「ナマエ〜迎えにきったよ〜ん」
「悟くん、お仕事お疲れ様」
「数日は学外での任務無し、伊地知には伝えてある」
「硝子助かる、トんでも平気そう?」
「身体的には問題ない」
良い酒待ってる、とニヒルな笑いを浮かべた硝子ちゃんにええ〜?と不貞腐れた声を上げる悟くん。私は見慣れたキャッチボールを眺めながら布団を捲った。ベッド横に置いてあったブレザーに袖を通してブーツを履こうとかがみ込んだら、待って、と悟くんから静止が入った。
「僕が履かせるから」
「……身長伸びたからベッド座ったまま履けるよ」
「そーいうことじゃないの」
足下に行儀良く並んだブーツは、以前の小さな身体だったら手どころか足も届かなかったから、いちいちベッドから降りる必要があった。けれど、解呪してからは屈めば手が届くし足も勿論引っかかる。悟くんからしたらいつも通りなのかもしれないけれど、私はどうも恥ずかしい気がして、甲斐甲斐しい彼から目を逸らした。その先にいる硝子ちゃんは大変楽しそうだ。みんな性格悪いぞ。
「悟くん、私帰る前に正道…学長に会って行きたいんだけど……」
「ああ、僕もそのつもりだったから大丈夫だよ」
「報告今から行くのか?」
「硝子ちゃん聞いてよ、この人朝っぱらから婚姻届書かせてそのまま出したからね」
信じられないよね、と問いかけるまでもなく、硝子ちゃんは下等生物でも見るかのような目で悟くんを見ていた。
「やっぱり婚約とか言い出した時点で奪うべきだったのか……ナマエ、今からでも遅くない、離婚届取りに行こう」
「スピード離婚すぎない?私離婚報告するの?正道に、パンダもびっくりだよ」
ブーツに足が綺麗に収まったのを確認してすぐさま悟くんから私を庇うように抱きしめる硝子ちゃん。それに頬を膨らませて可愛こぶる悟くん。流石にカオス過ぎるのでさっさと用事を済ませよう。うん、それがいい。ナマエ、考えるの疲れた。
「パンダ〜!!」
「お、ナマエじゃん。と、保護者その2」
「旦那って呼んで良いよパンダ」
「呼ばねーよバカ」
姿を見かける事こそあれど、久しくこうして会えていなかったから、解呪した身体である事も忘れて勢いよく飛びついてしまった。それでも少しよろめくだけで軽々私の脇を掴んで持ち上げてしまうのだから、流石はパンダだ。パンダもナマエ〜!とその場でくるくると回って、嬉しそうにしてくれるのが嬉しくて仕方がない。
私とパンダは義兄弟のような関係だ。何方が上かと聞かれると困ってしまうけれど、普段の振る舞いを見る人曰く「ナマエが上は無い」らしい。確かに悟くんとの婚約を報告した時も、正道以上に辛辣だったのを覚えている。大事な妹を悟にはやれん帰れ!と威嚇してたのは今では楽しい思い出だ。悟くん単体で会う時はそうでも無いらしいのだが、私とセットで会うと高確率で悟くんがボロ雑巾並にぎたぎたに言われる。何をって、悪口を。否定できない内容ばかりなので私も正道も今日も平和だなぁ……と天を仰いで2人の喧騒が止むのを待つしかない。
私がお茶を淹れ終える頃、ひと通り言い合ってようやっと満足したのか、悟くんは先に正道の元に、パンダは私の方に駆け寄った。
「な〜ナマエ、今度二年の授業も顔出してくれよ〜真希達会いたがってるぞ」
「それは日下部さんに言ってよ」
じゃあ無理だな。そうスッパリ言い切るパンダは明後日をみるようだった。うん、日下部さんは絶対呼ばないと思う。何故ならものぐさだから。
「でも憂太には会ったよ?」
「聞いた聞いた。棘が拗ねてたぞ」
「本当二年生みんな可愛い……」
二年生は悠仁くん達ほどがっつり授業に入ることは決してなかった。けれど、憂太の面倒を任されていた事もあって何かと関わりは多い子達だ。パンダも居るし。日下部さんが任務で不在の時を狙って顔出してみようかな。
念の為言っておくと、日下部さんとはどちらかといえばこざっぱりした人間性が合ってて仲は決して悪い方ではない。それでも授業となると人それぞれ教え方があるだろう。下手に介入する程図々しくはないのだ。まあそう言いつつも憂太みたいに自分から申し出てくる子の面倒は見る。教師じゃないけど聞かれたら応える。それぐらいの距離感で接するのが、私なりの線引きである。
「ナマエ、収まるところに収まったな」
「正道!悟くんったら横暴なの!!」
「七海と伊地知と学生数名から聞いてるぞ」
「皆何?そんなに僕の事嫌いなの?」
「悟、何事も手順があるという話だ」
叱る気力も無い、とでも言いたげに正道はその大きな身体を竦めた。きっと近いうちに硝子ちゃんからも聞かされるのだろう。親不孝な娘でごめん、男を見る目がないのは今更なので許して欲しい。
朝の時点で薬指の主張には気づいていたようだが、キチンとことの経緯を話す時間が無かったので、後から聞かされて大層呆れたと言われて返す言葉も無かった。とはいえ、悟くんが私の立場の危うさを思って婚約を申し出た時点で正道の中では嫁にやったつもりでいたらしい。何度も言うようだが呆れはしたが、決して驚くことは無かったと言う。流石は元担任教師、伊達に付き合いは長くない。そして娘が流されるのもいつも通りだと、父親の顔で私の頭を撫でる。
「すっっっごい今更だけどさ、なんでナマエって学長のこと名前呼びなの?」
パパ!って呼ばないの?とこてん、と首を傾げる悟くんと、言われてみれば確かにと顎に手を添えたパンダ。言って良いのかどうか、目を合わせて正道に問うと、苦笑気味に言葉を促される。そこまで大層な理由でもないのだけれど、改めて訊かれるとちょっとだけ、恥ずかしい。
「……授業中とかに間違って呼んだら恥ずかしいから。夜蛾姓になってから悟くん達の代に放り込まれるまでは呼んでたよ、パパって」
「「えっマジ?」」
変なところでシンクロしないで欲しい。でも事実そうなのだから、これ以上は何も言わなかった。授業中は仮にも生徒としての私がいた。でも、夜蛾先生と呼ぶのは何処か隔たりがあって、結果的に今の呼び方に落ち着いた。一応当時は(というか今朝までは)、仮にも私は夜蛾な訳で、自分の名前に先生なんて、どうも歯痒いと言うかなんというか……
余談だけど何故パパ呼びだったのかは、記憶に残っていないとはいえ実の父をお父さんと呼称していたから、どうもその呼び名は避けたい思いだったのだ。その辺りは正道も察してくれて、パパと呼べば、その厳つい様にはちょっと似合わない、そんな所も含めて大好きな笑顔で私の名前を呼んでくれた。
「私はみんなの普通がよく分かんないけどさ。結局記号が何であれ、そこに込められた気持ちが大事だと思うから」
「じゃあ僕も正道って呼ぶか」
「それはただの不敬だからやめてね」
貴方のそれには敬いが無いからダメです、悟くん。そう言えば悟くんは分かってるよ、と楽しそうにクツクツと喉奥で笑う。私こそ分かってるんだよ、悟くん。貴方がわざとそうやってふざけた言葉を選んでいるのを。今日の出来事を少しでも忘れるように、楽しませようとしてるってこと。そんな貴方はいつだって不器用な優しさをくれるから、好きだ。決して言葉にはしないが。
「あ、パンダ、私こないだ一年生の子達とおうちパーティしたの!今度二年生組ともやりたいな」
「お、いいじゃん!確か憂太が長期任務近かった気がするから直近で都合いい日オレ見繕っとくわ」
「やった、ね、悟くんもいいよね?」
「そんなに可愛くはしゃがれちゃったらダメって言えないなぁ」
僕の奥さん可愛いからさぁ〜なんて、仮にも義父(正道)の前でよく言えたものだ。正道は正道で、うちの子だからなと満更でもなさそうなのが、本当にイカれている。口に出したら怒られそうだけど、師が師ならば教え子も教え子だなぁなんて思った所で正道にゆっくり休めよ、と労われた。……あ、私も一応この人の元教え子だった。