「え?天元様が?」
「ああ、ちょうど京都校との交流戦の最中で申し訳ないが、行ってきてくれるか?」
「正道、それはいとイエスしか無いやつじゃん」
「……まさか大きくなったお前の正装を見れるとはな」
「泣いちゃう?正道パパ」
ハハッと笑ってみせた正道は、そういって当日は絶対失礼のないように、と口先だけで言っていた。絶対的信頼があるから言う事は言いました、というポーズでしかない。これが悟くんとかだったら念押しがこんこんと続くのだろうなぁと、かつての正道先生と悟生徒を思い出してふは、と思わず息が漏れる。
閑話休題。
洋装の正装であれば今時その場しのぎも割と何とかなるが、呪術界は和装がベターだ。まずそこらのお店に売ってないし、需要の差からか、高い。正直面倒くさい。その為、解呪が成功して真っ先に買いに出たのは袴だった。悟くんが生き生きするのは予想内だったが、まさか正道(と何故か居た硝子ちゃん)に着せ替え人形宜しく着物を当てられるのは中々しんどい経験をした。やれこの帯がいいだの着物に合わせるならこっちだの、着用する本人の要望は一切聞く気がない様子で、曰く「お前は適当に決めるから」らしい。
そんなわけで完成したのが、今はなき私の家の家紋が刺繍された淡い色調の着物とそれを締めるような紺色の袴であった。五条家御用達だから値段は聞かなかった。怖くて無理でした。
「あれ、ナマエと俺なんか用事あったっけ」
「私だけだよ。なんか今度天元様にお会いするみたい」
つとめて落ち着いた口調で伝えたつもりだったが、リビングのソファにもたれた悟くんは機微をひとつも取り逃がしてくれない。日程が交流会−−私の周囲の人間が誰一人ついていけない日を選んだことも気になっているのだろう。何よりお相手はあの天元様だ。正直名前を出すか躊躇ったが、下手に隠す方が悪手になるのは想像に難くなかった。
私たちの心の傷。乗り越えたフリだけは皆上手になったし、天元様に非があるわけではない。ただ記憶のトリガーになるには充分すぎた。
「当日さーぁ?俺行けねーから」
「……うん」
「着付けやっていい?ナマエより上手いよ」
「奇遇ね、私も頼もうかと思ってた」
帯を飾り結びして欲しいのだとソファに寄ると、ニンマリと笑う悟くんが私の身体を抱き込んで、そのままソファに道連れにされてしまった。本当は一人で天元様に会うのが怖いこと。悠仁くんとみんなの感動の再会の場に居合わせられないこと、何より成長した京都校・東京校のみんなの戦いを見る事ができない事。そんな考えはこの澄み渡る蒼には御見通しなのであろう。
抱きしめられたまま視線だけを部屋のラックにかけた和装一式に向ける。守護のまじないがかけられた刺繍入りのそれに、私を抱きしめる彼と同じ呪力を感じて胸がほんのりと温かくなる。きっとこれが愛しいという気持ちなのだろう。私は彼に「風邪ひいちゃうよ」と呟いて、名残惜しくも明日に向けて生きることを選んだ。
本当は、生きたいと思ったことなんてないから、生きねばと思わなければならない。何故そう思っているのかは分からないが、そうしなければならないという、強い呪力への縛りを感じていた。
家系が関係しているのでは、と思うくらい奥底の方で、私はそれを知りたかった。しかし悟くんがそれを拒んだ。彼もまだ知らないというが、先日見つけた書物を漁ればきっとこの違和感の理由も分かるのだろう。つまり彼は直感的に「知ってはマズイ」と感じたのだろう。それならばと、彼の心の準備が出来るまで待つことにした。私はまだ当分死ねそうにないから、待つなんてどうってことないと思ってたから。
「相変わらず上手というか、手際が良いねぇ」
「ちょっと黙って、今めっちゃ集中してる」
見下ろした先、サングラスの隙間から見える瞳は真剣そのものだった。集中しすぎて下唇が少し出ているのはあえて指摘しないでおいて、あとで硝子ちゃんにでも笑い話として持って行こう。
よし、と張り詰めていた空気を緩めた悟くんはカシャ、という無機質な音の後、私に今日のヘアアレンジを見せてきた。多忙な朝、着付けだけで良いのに「全部僕がやる!」と言って聞かなかったのは目の前の28歳児である。今年で本当に29になるの?
「……髪飾り、天元様にお会いするには少し派手じゃない?」
「いいの、それ五条家の嫁がつけるやつだから」
「とうとう天元様にも妬いちゃうの?」
隠せない嫉妬心に頬を少しだけ紅くする彼に抱きつくと、珍しく「着付け崩れるよ」なんてぶっきらぼうに言った。こんな姿見たら生徒達はきっと目を丸くするだろう。見せてあげる気はさらさらないのだけど。
「あ〜〜〜行かせたくねぇ〜〜〜」
「私だって天元様と話す暇あったら生徒達の試合観戦したいよ」
「お前の方が失礼極まりないね」
「悟くんの隣席で、悟くんの教え子の成長見れる機会なんて今まで無かったんだもの」
実は今日、本当なら任務が入っていた。生徒や教師陣が動けない日なのだから当然といえば当然なのだが、今日だけはどうか!と、スケジュール調整を担う伊地知くんに頼みに頼み込んでもぎ取った一日だったのだ。本当は。天元様にお会いする予定は伊地知くんの管轄外なので閉口するしかない。無念。
「一応呪符渡しとくから、何かあったらこれ飛ばして。呪力込めたらすぐ俺のとこまで飛んでいくから」
「天元様の所にお守りは持っていけないもんねぇ」
日頃から身につけている、心ばかりの守護の術式が込められた婚約指輪は、セキュリティに引っかかる為天元様の元へは付けていけない。代わりに今日は、渡された日以来、時折棚から出しては眺めていた結婚指輪が私の薬指で主張している。任務に何度か赴いても未だ弛まないことに、少しだけ寂しさを覚えていたりする。嬉しい変化でも、時には懐かしいと感じるのだ。
指先を見つめていると、視界に入り込んだ大きな彼の手が私の手を柔く包み込む。温かな呪力の流れを感じて、私は呆れるしかなかった。これは彼なりの全力マーキングである。やれやれ。