「五条ナマエ、ただいま参りました」
「そんな硬くならずとも良い。君とは昔馴染みだろう」

 結婚おめでとう、と投げかけてくれたのを合図に、深々と下げていた面を上げた。天元様は私が高専に引き取られてから大層可愛がってくださり、時折呼び出しては最近はどうだ、息苦しさはないか、と私の身を案じる言葉をくださった。けれど、どこか裏に仄暗さを感じるお姿に、私は並べられた言葉達をあまり魔に受けないように努めていた。

「今日はどのようなお話でしょうか」
「家紋の入った古書は読んだかい?」

 突然の質問にえ、と素で返事を返してしまった。家紋……?私の家にそんなもの存在したのか。いや、五条家の話だろうか。質問の意図も意味もわからずわたわたしていると、良い良い、と天元様は一枚の和紙を卓上に差し出した。これは……彼岸花?

「姫彼岸花。今はネリネという洋名の方が通りが良いそうだが、これが君の血統の家紋にあたる」
「姫彼岸花……これ、正道と悟くんは」
「知っている。古書を読んでいればな。ただナマエ、君が読んでいなかったことは予想外だった」
「悟くんに、止められました。多分内容を知ってるからではなく、反射的に嫌な予感がしたんだと思います」
「だろうな」

 ハッキリ言い切った天元様に、私は恐怖以上の感情を覚えた。これは、探究心だ。しかも後先を省みない、大変危険な。分かっていても、私は私自身にブレーキはかけられなかった。

「私の家系のこと、お教えください」
「その為に呼んだのだから、勿論」





 天元様から話をひと通り聞き終えて、少しキャパシティを越えたので暫しの沈黙がやってきた時だった。高専の緊急アラームが鳴り響き、侵入者の存在を知らせた。私は瞬時に生徒達が過ったが、彼らには学長達がついている。きっと大丈夫だろう。

「忌庫に侵入者がいる」
「えっ?!!」
「すまないが頼めるか、ナマエ一級術師」

 天元様の言葉に頷き、私は急いで忌庫へと向かった。交流戦への乱入はおそらく囮だ。しかし天元様は私に頼む、と仰った。つまりは、こちらの護衛に回せるだけの余裕が悟くん達の方には無いのだろう。呪符を飛ばすか悩んだ末に、現着して状況判断してからにしようを決めて胸元に呪符を仕舞い込んだ。





「あれ?こっちには誰も気づかないんじゃないの?あんまり騒ぎにしたくないんだけどなァ」
「仮想怨霊……しかも上手にお喋りするのね」
「アハ、強いでしょアンタ。俺強い奴は嫌いじゃないよ」
「……虎杖悠仁を知ってますね?」

 ピタリと止まった長髪の相手に、彼が悠仁くんと七海くんが対敵した呪霊だと素早く理解した。触れられてはいけない。彼の手には既に回収された品々があったが、戦況を鑑みると取り返そうと戦うのは悪手だ。今私がこの場でリタイヤすることの重大さを嫌というほど理解しているからだ。術式を使えば良いが、先程聞いたばかりの天元様の話が邪魔をして、それは憚られた。
 ふと彼の纏う呪力に違和感を覚えて其方に意識を向ける。ぶわりと汗が沸き、心拍数が跳ね上がる。何故、どうして、そんなはずはない。だって彼はあの日あの時。
 悟くんが殺したのだから。

「何故貴方に夏油くんの残滓が付いてるの」
「あ!もしかしてお前が夜蛾ナマエ?」
「質問に答えて」
「真人、今の彼女は五条ナマエだよ」

 聞こえてはいけない声に、私は振り向く事ができなかった。呪符も飛ばすべきだと分かっているのに、背後から抱きすくめられてしまった私はなす術もなく、懐かしい声をすぐそばで拾い上げた。

「やあ、久しいね、ナマエ」

 死んだはずの夏油傑の呪力が、私の後ろに立っている。振り返って幻覚だったらと思うと、恐ろしくて振り向けなかった。

「なん、で、生きてるの」
「喜んでくれないのかい?つれないね」

 あれ、なにかがおかしい。

「傑くんは悟くんに殺されたじゃない。生き返りなんて事実飲み込めないよ」
「呪術なんてものがある世界でそれを言うのかい?」
「貴方はだれ」

 声が鋭くなった事に目の前の真人と呼ばれた呪霊は目を丸くしていた。感情豊かな呪霊である。一方で、背後に立つ自称夏油傑は、どんな顔をしているのかは分からないが、明らかに纏う空気が変わった。

「やだなぁナマエ、何を言い出すんだい?」
「違和感があったから鎌をかけた。私はずっと彼を夏油くんと呼んでいた。つまり私は日常生活の中で一度も傑くんなんて呼び方、してない。貴方は誰なの」
「……参ったな、まだ知られたら困るんだ」

 誰に、なんて訊かなくても分かった。素早く取り出した呪符を飛ばそうと胸元に手を入れた。そこに呪符は無かった。振り返ると、五条家の紋が描かれた呪符を楽しそうに手遊びしている夏油傑の皮を被った誰かがいる。
 確かに呪力は夏油くんのものだった。しかし、混じりを感じたのだ。つい最近まで私がそうだったから気づけた事で、普通なら見落とすような、本当に些細な混じりだ。

「君の着物、姫彼岸花の家紋だね。生き残りがいたとはね」
「貴方もこの家紋を知ってるの?」
「唯一の、女にしか扱えない術式だからね」

 話しながらも手先では呪符がどんどん形を変えて、最後には連なる2匹の鶴になった。所謂夫婦鶴だ。私は身体は夏油くんなだけあって器用だな、と場違いにも感心してしまった。
 そんな私を見て何故か吹き出したのは目の前の偽夏油だった。

「いつの時代も姫彼岸花の家系は面白い女が多いね。私は良いと思うが、危機感は持った方がいいな」
「嘘。貴方は私に危害を加えないし、あの真人とかいう呪霊にもそれを許さないでしょう。何よりここで私が戦ったところで結果は目に見えてるから。それなら有意義なお喋りに使う方がよっぽど利口だよ」
「うーん、やっぱり欲しいな、君」

 もの惜しげに私の髪飾りを見ている辺り、私を連れ出す事で、悟くんと戦うことは避けたいらしい。だが高専にわざわざ侵入してきたのだ。いずれは戦う事になるのだろう。

「私がここで見たのは、二人組が逃走する姿と荒らされた忌庫。一人は呪霊、一人は呪詛師の可能性アリ。それでいい?」
「おや優しいね。夏油の名は出さないのかい?」
「夏油傑であってそうではなかったと、証明する物証が私には無い。上層部は見てくれだけで夏油傑と判断して、夜蛾学長と五条悟の立場を危うくする為に使うから絶対に言わない」

 それがゆくゆく大きなリスクになったとしても、今は目の前のリスクを最小限に抑えるべきだ。悠仁くんが復帰したばかりだし、いかんせんタイミングが悪い。

「お互いそれが良いだろうね。特に君は」
「……私が?」
「夏油傑じゃない、というのは悪くない指摘だったから、温情で言うけどね。周りのために君だけが"あの頃から"何ひとつ変わらずに傷つくのは、ただの自己満足に浸っているだけさ。誰も救われないんだよ。実際五条悟は解呪をして、君の時間を動かそうと必死なのだろう?」

 何故そんなことを知っているの。解呪はごくごく一部の人間だけで執り行われた。そもそも私の存在は高専でも限られた人間しか認知していないのに。これはもしかして、

(高専内に、裏切り者がいる)

 私はじゃあね、と去っていく影に見向きもせずに、浮かび上がったいくつかの可能性にその場に項垂れることしかできなかった。



枯れることを覚えたネリネ


ALICE+