「蟹うっま!」
「これ誰が出張先で買って来てくれたの?」
「しゃけしゃけ!」
「天才だな棘、こっちの鮭もうめーぞ」
「パンダが食べるといよいよ熊だね」
「ナマエさん俺たちの事ばっかしてないで座ってください、蟹消えますよ」

 恵くんに言われて少し躊躇ったのちに輪の中に入る事にした。みんなが少しでもお腹を満たしてゆっくりしていってくれたらそれで良いかな、と思っていたのだけれど、そんなことはランドセル姿からの付き合いである恵くんにはお見通しだったらしい。一年生の泊まる準備をしていた手を止めて、悠仁くんが注いでくれた鍋の小皿を受け取る。気づかぬ内に冷えていた指先が温もりを取り戻していく。小皿には優しい出汁の香りと透き通った水面、そして愉快な具材達が並んでいた。
 今日の鍋会が決まった日をぼんやりと思い出す。大量の発泡スチロールと共に帰ってきた悟くんから「みんなが出張先で買った貴重な具材達である」と聞いて、目を丸くしたのは記憶に新しい。彼らの手によって、日本の南北東西至る所が救われているのだと、こんな形で痛感するとは思わなかった。

 救われる命がある中で、救う為に失われた命もたくさんあった。もう指折りでは数え切れない顔が浮かんでは消えてゆく。

『ナマエ先輩!組み手してください!』

 快活な笑顔の彼と仏頂面のかつての七海くんが過ぎった時、慌てて現実に戻る。どれだけ悔やんでも、無いものは、無い。今目の前にある子達だけを守ることを考えるのだ。苦い思いと共に鍋の汁に口をつける。

「美味しい、またやろうね」
「お前まだ食べ始めたばっかだろ」

 パンダの尤もな指摘にふにゃりと笑う。正論だが、言わずにはいられないのだ。みんなもきっともう十年この世界で生きてたら分かるようになる。出来ればわからないままでいてほしいけれど。





「あれ?パンダは残るの?」
「明日正道が迎えに来るから一年見てろってよ」

 名残惜しくも帰ってしまった棘くんと真希ちゃんは、二年ズお泊まり会の念押しをしてタクシーに乗り込み去っていった。パンダはその見目ゆえに高専か正道の迎えが必須だが、私がお風呂を済ませても何故か帰る素振りを見せなかったが、質問への回答を聞いて納得した。
 パンダは生徒の1人でもあるが、それ以上に兄のような、弟のような、特別な存在でもある。棘くんに何か言っていたから、おそらく私が不安定である事を察してそれらしい言い訳でも伝えて残る事にしたのだろう。迎えも正道の予定だったのならば、ひとつ返事で承諾したのが容易に想像出来た。

「お風呂どうする?今日はブラッシングだけ?」
「お前がそう聞いてくると思って入ってきてある。ブラッシングだけ手伝ってくれ」
「良いよ〜久々だねぇこのやり取りも」

 お風呂から既に出た悠仁くんと恵くんは、持ち込んだDVDを大画面で満喫中。一番風呂だった野薔薇ちゃんは、私の部屋でお風呂後のアフターケア中である。
 食卓に座ると背後に影が落ち、それがパンダだと分かる。手にはドライヤーが握られている。昔はドライヤーの重さを幼児の身体ではとても支えきれなくて、よく乾かしてもらっていたなぁ。ふわりと優しい風が髪を撫ぜる。彼は器用にブラシで髪を解きながら着々と乾かしてゆく。カチンとスイッチが切られて乾いているか確認するよう促された。うん、問題無し。
 振り返りお礼を告げると、次は自分の番だと床に胡座をかいて専用ブラシを手渡してきた。かつては両手でせっせと動かしていたのに、今では片手で持てる大きさだ。

(ああ私、ここでも変わったのか。)

 嬉しい筈の変化に陰りを感じている自分に違和感を感じた。中々梳かし始めない私の名前を呼んだパンダに謝って、私はそっとブラシを当てた。彼の毛並みは変わらず心地良かった。





「……ナマエさん寝ましたね」
「ぐっすりじゃん。悟の心配大当たりだったな」
「あ〜俺無力だなぁ〜……」
「んや、居てくれただけで充分だ、ありがとな」

 俺のブラッシングを終えてから一年2人に挟まれて映画鑑賞をしていたナマエだが、30分もしないうちに瞼は閉じられた。
 コイツは昔から顔に出ない。今でこそ表情豊かなヤツだと思われがちだが、それはあくまで「こういう時はこういう顔をすれば良い」という知識で補っているだけだ。ツギハギの心は決して彼女に優しくはない。
 それでも長い時間をかけて、自然と感情表現が出来るようになった。一方で負の感情を隠すのは相変わらず上手い。本人も無自覚だから尚の事タチが悪い。

「俺、ナマエさんが少しでも笑ってくれたら嬉しいけど、馬鹿だからやり方がわかんねー」
「だから一緒に居てやれ。出来れば死ぬな」

 たくさんの身近な死を受けとめてきた彼女は、決して強いわけではない。悲しみ方が分からないのだ。
 悟が言っていた。アイツは傑が消えた時さえ何も感じさせなかった。それは俺たちにとっては救いだけれど、アイツ自身には救いでもなんでもない。ただ負の感情が蓄積されていくだけだ、と。それから付け加えるように、憂太や悠仁の存在はナマエにいい影響を与えるよ、きっとね。とも話していた。

「おし、お前ら消灯だ、今日はナマエと仲良く雑魚寝しよーぜ」

 なぁ悟。お前の存在はナマエにとって救いじゃないのか、とは聞けなかった。きっと誰よりもその疑問を抱いているのが悟自身だと、察してしまったからだった。





 早朝、まだ日が昇り始めたばかりという時間に何とか帰宅を果たした僕は、玄関口に行儀よく並ぶスニーカーやローファーを見て、頼んだ通り生徒達が泊まってくれたのだと分かりホッと胸を撫で下ろした。過保護だと言われようとも、今のナマエを1人きりにしておくのは躊躇われた。まさか泊まりではないとはいえ、二年の奴らまで食いつくとは思ってもみなかったが。

「あ、五条先生おかえりなさい」
「悠仁おはよう、他の奴らとナマエは?」

 誰も起こさぬように慎重にリビングへ向かうと、既にキッチンで朝食の支度を進める悠仁の姿があった。野薔薇はナマエの部屋のベッドで、恵とパンダ、そしてナマエは寝室に布団を敷いて雑魚寝状態らしい。真っ先に寝たのがナマエだったと聞いて、やはり疲れてたか、と苦笑が漏れる。

「ナマエさん寝てすぐにパンダ先輩が消灯!とか言ってて。多分二番目に寝たの俺かも」
「そっか。悠仁はよく寝れた?」
「みんなで雑魚寝って地味に初めてで、俺」

 朝起きたら何故か泣いていたと洩らした悠仁は、鍋の火を止めてエプロンを外した。カウンターキッチンからベランダ越しに空を眺める目は何処か寂しそうで、彼もまた、孤独を知る人間だったなと過ぎる。

「昔僕もしたよ、みんなで雑魚寝。共有スペースでさぁ。朝になったら誰かがナマエのことを潰してんじゃないかって騒いだなぁ」
「……俺が初めて会った時より小さかったんでしたっけ」
「そ。幼稚園ギリ行ってるかな?って感じ。外出かける時はいっつも誰かが抱っこか肩車してたよ」
「肩車……」
「あとね、何か新しい体験を僕らとする度に泣いてたよ。悲しくないのに何で泣いてるんだろうって、自分でも理由分かってないの。可愛いよね」

 悠仁は流石に自分の涙の理由を分かっているだろう。けれど当時のナマエは流れる雫を掬ってはあれ?あれ?と洩らしていた。僕の昔話にかこつけた励ましにきょとん、とした顔をしてから、にぱっといつもの笑顔であざっす、と言った悠仁は、出会った頃より幾分も逞しくなった。

「お、悟帰ってたんか」
「やあパンダ。結局泊まったんだ?」
「まあな〜心配性なのよ兄ちゃんは」
「パンダが義兄になるのなんかヤだな僕」
「ならナマエは諦めるんだな〜」
「それは断固拒否する!もうナマエは五条姓ですぅ」
「朝っぱらから五月蝿いですよ、ナマエさん起きたらどーすんすか」

 僕らの会話で起きたらしい恵は酷く不機嫌そうな面構えでリビングにやってきた。慣れた手つきでコーヒーメーカーの準備をする恵に、僕の分も頼む。普段はナマエと僕の2人きりの朝が、こんなにも賑やかな日が来るとは思わなくて、どんだけ人気なんだウチの嫁さんは。と嬉しいような妬けるような複雑な気持ちになる。ふと、思ったことが思わず口から溢れていた。

「子どもが出来たらこんな感じなのかなぁ」
「「………」」
「悟お前、思っても生徒の前では言うなよ、2人固まったぞ」
「1人は鳥肌が立ったし朝から最悪な気分よ」
「はっは!野薔薇おはよう。さて、悠仁が作ってくれた朝ごはん貰おうか。パンダは悪いけどナマエのことベッドに上げといてくれる?」
「あいよ〜じゃあ一年は朝飯準備頼むわ」

 僕が出る頃には皆準備を終えて朝食になるだろうが、きっとナマエは起きてこないだろう。未だ夢の中の彼女に早くただいまと言いたい気持ちを抑えて、賑やかなリビングをBGMにバスルームに向かった。



幸せに溺れて死ぬまで


ALICE+