「ごめんね、約束、守れなかったよ。」
何故君は泣きそうな顔をしてるんだ。
何故君が謝らなきゃいけないんだ。
何故、こんなことになってしまったんだ。
時は、10月31日の夜、ハロウィンに浮ついた空気の渋谷まで遡る。
渋谷への緊急招集がかかり、高専所属の術師全員が配置につく。前線側まで硝子が出てくる程の規模は百鬼夜行以来だろうか。ハロウィン一色だった渋谷は、一変して宵闇色の帳に包まれた。捕らわれた非術師は皆僕を呼べと叫んでいる。
「僕を熱烈に呼んで良いのは可愛い可愛い嫁さんだけなんだけどなぁ」
ウンザリしながら帳の中に手を差し出す。するりと入り込み、無下限で人らの頭上を歩いて進んでゆく。地下鉄メトロ線から感じる特級呪霊の呪力は、かつて感じた事のあるものが二つ。あとは知らないな。呪詛師も混ざってそうだが、あいにく電波が遮断されていて外に通達する術がない。ナマエがいてくれたらその辺は上手くカバーしてくれるのにな、なんて無いものねだりをしつつ歩を進めてゆく。早く片付けて僕はナマエ捜索に戻りたいんだよ。全く。
「……どういう事ですか?」
「だから今は時間がないの、とにかくこれを持ってて。万が一の時の為に。ね、お願い」
突然出現した呪力に構えたが、その場に現れたのは姿を消していたナマエさんその人であり、俺も虎杖も呆気にとられていた。交流会の時に身に付けていた正装で、背には彼女の愛刀である呪具が背負われている。そして再会早々手渡された数枚の呪符。ナマエさんは、家紋だという姫彼岸花が刻印されているそれを、大事に持っていろと言う。説明している時間はないらしいが、それを承諾出来るほど大人じゃなかった。
「五条先生がどれだけ貴方を探して、」
「その五条先生の為に必要なの」
「……どういう事ですか」
「手遅れになってしまうから、そうなる前に私は行かなきゃ。全て無駄になってしまうから」
まっすぐな瞳で俺の手を包む掌は、ひと回りもふた回りも俺より小さいのに、溢れんばかりの力強さを放っていた。
「全部終わったら、説明してもらいます。これから起こることも、消えた理由も、全部です」
「……恵くんはやっぱり良い子ね」
ゆるりと細められた目は慈愛に満ちていた。きっとこの人は、五条先生は勿論だけれど、多くの人を救う為に消えたのだ。それが必要なことだったのだ。俺と悠仁をそっと抱きしめてから「呪詛師に気をつけて」という言葉を残してナマエさんは去っていった。隣に立つ虎杖は酷く悲しげな顔で背中を見送っていた。
「絶対生き残ろうな、伏黒」
「当たり前だろ」
いつかのパンダ先輩の言葉を思い出す。ナマエさんのそばに居てやれと言われた。生きてそばに居てやれと。それだけで意味があるならば、精いっぱい呪いあってやろうじゃねーか。
「……やっぱり来たのか、ナマエ」
「私は呪術師なので、勿論。」
「そうか、それは残念だね」
渋谷駅へと続く線路上に佇むその人は、態とらしく肩を竦めてみせた。掌に希少な呪物を確認して希望的観測は見事に散ってゆく。記録でしか知らないそれは、名を特級呪物『獄門疆』。今、渋谷駅のホームでは悟くんが特級呪霊数名を敵に戦っている。本当なら其方の加勢をしたい気持ちでいっぱいだった。それでも私は果たさねばならないことがあった。悟くんに二度も親友を殺させるなんてこと、させたくなかったから。そして何より、これはこの術式を持つ私にしか出来ないから。
「どこで気づいたのか、訊いても?」
「……違和感は、初めて会った時から。でも確信に変わったのは二度目に市街で会った時」
天元様からの突然の術式に関する開示、そして折よく私が一人の時にだけ遭遇する彼ら。元々上層部と関係は良い方ではなかったが、露骨にこうも立て続けに非常事態が続けば疑うものだ。彼ら−呪霊サイドと繋がっている人間がいる事。そしてそれは高専のかなり深部まで入り込んでいる事。
それらを探るには、一度私自身が消息を断つ必要があった。悟くんに伝えるべきか迷いはしたが、生徒を巻き込みかねないと思い、苦渋の選択をした。後でこっぴどく叱られるのは承知している。それでも上層部の目を掻い潜り、彼らの蛮行を阻止する為には必要な事だった。後悔はない。たとえこの身が消えることになるとしても。
「びっくりしたよ。上層部、真っ黒だったなんて。この計画の為にどれだけの時間を費やしたの?」
「基盤はこの身体の主が作ってくれていたからね。そんな大したことはしてないよ」
「……貴方自身の名前、訊いてもいい?」
「数多の身体を渡り歩いてきた過程で捨ててしまったよ、そんな符号」
「そう、残念。お墓も建てられないなんて」
「おや、私に勝つ気でいるのかい?」
「勝たなきゃいけないの。そのための準備をしてきたから」
私は背負っていた袋から愛刀を引き抜く。呪物となった刀身は、私の呪力を喰ってカタカタと震え歓喜していた。
「貴方を悟くんに会わせるわけにはいかない。だからごめん、私と遊んでいってよ」
中身は違うと感覚的に分かっていても辛かった。見目も声も呪力さえも、かつての友と同じものだったから。悟くんも、夏油くんを手にかけた時こんなにも悲しい気持ちだったのかな。溜め込んだ涙が瞬きと共にひと雫だけ、頬を伝った。