どれくらいの時間刀を振るったか。数分かもしれないし、数時間かもしれない。どちらにせよ、少しでも早くこの場を片付けて"悟くんが封印される"という最悪の状況を回避したかった。やはりやるしかない。私は刀を下ろして偽夏油くんを見据える。
「もうおしまいかな?」
「うん、もう終わりにしよう」
「おい何する気だナマエ!!」
「……悟くん、多分そいつら宿儺の指持ってるから、私の代わりに悠仁くんを守ってあげて。一応対策はしてあるけど、きっと一度きりだから」
「『獄門疆、開門』。」
私の呪力に呼応して、呪符で封じられていた獄門疆は強い光を放つ。同時にこの数日で準備を進めていた、この場を中心地とする巨大な呪符の陣が発動して目の前の偽夏油の動きを封じた。一度限り、"30秒だけ"のとっておき。私は愛刀を鞘に納めて一歩一歩動かない彼に近づいていく。
「この陣では貴方を1分も封じ込むことは出来ない。だから考えたの。術者自身がこの中に道連れにするのはどうかなって」
「……正気の沙汰じゃないね」
「貴方と逆のことをすればいい。私と貴方が封じられている間に、悟くん達が全てを終わらせる。それでこの悲劇は、おしまい」
「ナマエ行くな!!待てよ!!!」
呪物の拘束対象は私自身だ。そしてぎゅう、と抱きしめた彼も共に封印される。少しずつ閉ざされていく世界の外側から、愛しい人が私の名を呼ぶ声が聞こえる。心地良いそれも次第にぼやけていく。まるで水底に沈んでいくように、私の聴覚は音の輪郭を捉えることが出来なくなる。暫しの眠りにつくだけだ。
大丈夫、きっと世界は救われるはずだ。なんせ私には、最強で最愛の特級術師様がいるのだから。
「真逆こんな事になるとはね、恐れ入ったよ」
「こうも上手く囚われてくれるとは思ってなかったから、少しびっくりしてる」
「身体に染み付いた魂が、こんな所で最後の抵抗をするとはね。貴重な体験をしたよ」
周囲の風景はまさしく地獄絵図。にも関わらず私たちはいつかのカフェと変わらぬテンポで喋っていた。まあそれ以外にやる事もないし、相手もそれを分かってか、元々お喋りな所があるのか、なんだかんだ付き合ってくれている。
それよりも彼の口から出た最後の抵抗、という部分に驚いた。そっか、夏油くんも一緒に悟くんを守ってくれたのかな。それだったらこれ以上なく嬉しい。私は崩れかけてた体育座りを直して、ふふ、と溢れる笑いを膝の上に隠した。
「今度こそお名前、教えてくれてもいいんじゃない?お喋りするなら不便だから」
「……天元に訊ねれば、私のことを『羂索』と呼ぶだろう」
「ねぇ羂索。その身体の中に、夏油傑の魂はどれくらい残っているの?」
「さあね。あんな風に抵抗されたのは初めてだから、私にも計りかねる」
「……夏油くんが聞いてると思って、少しだけ喋ってもいい?」
「物好きだね、君は」
ふ、と静かに笑みを浮かべる羂索は言葉は無いながらに私の申し出を許してくれるようだ。百鬼夜行の行われたあの日。京都にいた私は彼の最期に居合わせることは叶わなかった。伝えたいことは伝えられないまま、私の中で燻り続けている。もう届かないと分かっていても、今だけは羂索の見目に騙されて、この想いを伝えたかった。手紙にしたためるように、ひとつひとつ言葉を選んでゆく。
百鬼夜行の宣言をしに来た時にね。どうして私が『そっち側』じゃないんだろうって、ずっと思ってたよ。きっとこれからも、夏油くんを思い出す度に。
本当はさ、守るのに疲れたら手放したって良かったんだよ。でもそれが出来ないんだよね。真っ直ぐすぎる君は、本当に苦しかったと思う。
もし、私の存在ひとつでこの世の呪いを全部消せたら、貴方の心が壊れて、悟くんから離れてく事なんて、なかったのかなぁ。
「いつか約束したね。夏油くんが離反する前、私に『悟のそばにいてやってくれ』って。ごめんね、約束、守れなかったよ。」
私は夏油傑にはなれない。
羂索もそうだったように、どこまでいっても夏油傑は君一人しか存在し得なかったのだ。だから、代わりにそばにいるなんてこと、出来るはずが無かった。逆を言えば、私の代わりに夏油くんが居ることも出来なかったと、自惚れたかった。五条悟を形作るものとして、私たちは一人も欠けてはいけなかったのに。私たちの青いビー玉のような春は、呆気なく砕け散ってしまった。
「君の心を守るには、私は無力だったよ」
「そんなことはないさ」
突然返ってきた声に思わず俯いていた顔を上げた。それは、羂索としての言葉なのか、夏油傑を垣間見た者としての言葉なのか。どちらかは分からないが、向けられた瞳は間違いなく夏油傑の儚い優しさを持っていた。
「ナマエ。君は何処までもきっと変わらないんだろうね。だからこそ、私の心は最後の最後まで呪術師として、あの場所で悟達と過ごす事が出来たんだ。だからどうか、私なんかの事で嘆かないでくれ。私は、ナマエのような存在の為に、身勝手な未来をひとつ選んだに過ぎないのだからね」
「げと、くん……」
並べられた言葉は、間違いなく羂索ではなく夏油くんのものだった。確信に変わった瞬間に、ずっと抱きかかえていた何かが決壊したように溢れ出した。抑え込もうとした時にはもう遅かった。止めどなく流れる涙は、いつの間にか私を抱きしめていた彼の袈裟に染み込んでゆく。「こんな事したら悟に怒られちゃうな」なんてクスクス笑う姿は昔と何ら変わっていない。
「あいつの本体は"
「……一緒には、帰れないんだね」
「元々死人だからね、今は羂索の所為でこんなだけどさ」
こうして最期の会話が出来ただけでも奇跡さ。そう言った彼は満たされた表情で私を見つめていた。ふと視線の中に異なる色を見つけて、私は思わず俯いた。
「最期くらいいいじゃないか」
「や、でも私、知らなかったから」
「隠し通したからね」
夏油くんの視線は、悟くんから受け取るのと同じ色を孕んでいた。劣情を孕んだ視線。一度もそんなこと思わせなかった彼は、本当に隠すのが上手い。そんなこと上手くなくて良かった。そしたら離反も阻止出来たかもしれないのに。
「ネックウォーマーの色を選んだのは羂索じゃなくて私だよ」
「急に何を、」
「露草の花言葉を知っていてね。思わず選んでしまったよ。今の主人格は何とも思ってないようだけどね」
「私も、知ってる、その花言葉」
じゃあ最後まで言わなくてもいいね。そう告げた夏油くんは私を再び引き寄せて今だけ、と言って慈しむように私の背を撫でた。何も気づけなかった私を責めるどころか「気づかないでくれたから悟のそばにいられたのだ」と、何処までも彼は優しい言葉を吐く。そうやって優しすぎるから君は一線を越えてしまったのに。ごめんも、ありがとうも、今の彼に伝える言葉としては正しくないと思った。
的確な言葉が見つからなくて、私は最初で最後の悟くんへの裏切りをする。私の唇を受け止めた夏油くんは普段切れ長の目がまん丸になっていて思わず笑ってしまった。
「さあ、名残惜しいけれどそろそろ時間だ。ナマエ、君の呪力で眠らせてくれるかい?」
「……うん、痛かったら言ってね」
「痛むわけないさ、君の呪力は優しいからね」
彼の頭にそっと両手を当てて、ゆっくり呪力を流して、行き渡ったところで私は祝詞を唱えた。どうか、今度こそ君の魂が安らかに眠れますように。力の抜けていく彼にもたれていた私も一緒に髑髏の海へと落ちてゆく。ぎゅっと抱きしめた彼は穏やかな表情で瞼を深く閉じて、名前を呼んでももう返事が返ってくる事はない。
私もいよいよ呪力を使い果たして、ぬるま湯に浸かる様な心地良さに誘われゆっくりと目を閉じた。私たちの眠りがどうか、安らかでありますように。
「おやすみなさい、夏油くん……羂索」