「……で、上層部から何言われたの?」
「黙秘しまぁ〜す」
「何かは言われたのね……」
生徒達を寮に帰し、教室には私と悟くんの2人となった。今日は珍しく内勤だった彼はサングラスをしていて、何処か学生時代の彼を思わせた。あの頃の彼はもっと刺々しい空気だったし、傲慢を顕現したような存在で、あと今より細身だった。今でも細い方だけど、少年らしい身体つきとでも言えばいいだろうか。それでも小さな私を軽々持ち上げて、いつも肩車していたのだから、やっぱり男の子はすごいなぁと感心する。解呪前の私の事を憂太もひょいと片手で抱き上げたり、巫山戯てコアラの真似事をよくしたものだ。彼もこの一年で随分と筋肉がついたように思う。
「時間はちゃんと流れてるんだなぁ」
「急にどしたの、ババ臭いこと言って」
「みんなを通して時の流れを感じてるの」
「お前にだってちゃんと流れてるよ」
「自覚しづらいんだよ、術式の所為で」
術式を使う事は殆ど無いし、確かに少しずつ私も成長しているのだろう。しかし自分の事はどうにも自覚しづらいのだ。私に限らず皆そうであろう。私はかつての自分の机に着席して、すっかり日の暮れた窓の外を眺める。
目を瞑れば一瞬であの頃に帰れる気がした。しょうもない事で火花が散り、喧嘩に発展する事も少なくない男の子が2人。そして度々姿をくらます可愛いよりも美人と呼ぶのが似合う女の子が1人。そんな彼らのじゃじゃ馬っぷりに頭を抱えながらも、楽しそうに成長を見守る担任であり私の父。
(あ、やばいかも……)
昔を憂いて呪力が揺らぐなど、何年術師をやっているんだと、自身に言い聞かせて何とか揺らぎを抑え込もうとする。しかし抑えようとすればする程に不安定になってゆく。
「あっ、」
「いいよ、無理して抑えなくて。俺がいるし」
目を瞑ったままの私の目を覆うように悟くんの手が添えられて、ゆっくり呪力が流れ込んでくる。私を慰めるかのような、優しい呪力だった。この呪力があれば国家転覆も容易なのだと思うと、少しだけおかしかった。だって、こんなにも優しい。
「……もし、もしもだよ?近い内に上に呼ばれても、1人で行かないで。絶対俺を呼んで」
「そんなに不穏な動きがあるの?」
「アイツら狡賢いから、念の為だよ」
幼子が母親に縋るような、切なげな声で囁く彼は、今どんな顔をしているのだろう。
「それ本気で言ってンの?」
『そう苛立つな、仮に、の話だ』
「仮の話でもヒトの嫁を生贄にするとか言われたらそりゃ苛立ちもすると思いますケドね?」
『天元様の現状と五条ナマエの能力を踏まえた上でのひとつの案に過ぎん。貴様に事前通達しただけ、こちらも穏便にことを進めたいのだと分かるだろう』
「………」
『奴の結界術は天元様に至らずとも劣らぬ。現に結果は渋谷の件で見ただろう。今も現場で活躍しているそうじゃないか』
「ならナマエが眠りから覚めない間の周囲の人間をお前らは見たか?数字的損失だけで物事は計れない」
『兎にも角にも、こちらからは以上だ』
「ナマエは譲れない、呪術師全員を敵に回しても。それだけは覚えとけ」
瞼越しの温もりに負けて眠りについた彼女を抱えて、静かな廊下をゆったりとした足取りで進む。脳裏には今日の謁見で言われた内容が反芻される。
『五条ナマエを次期星漿体ないし天元様の跡継ぎとする』
現存する星漿体を1人知っているが、適合率の問題で星漿体の為にある術式を持つナマエの方が適していると言われた。しかし同化がうまくいかない可能性が限りなく高く、上層部は天元様が自我を失う"いつか"に備えて高度な結界術を操るナマエを天元様の位置に据えたいのだという。つまりは未来永劫の隔離。そんな話飲める訳がない。俺の我儘だけではない。世界から隔離されることは、彼女が再び幼少期と同じ思いをする事になるのだ。ひとつ違うのは、世界の広さを知ってしまった事だ。知らなければ求める事もない。だから幼少期の彼女は夜蛾学長と出会うまで生き延びてこれたのだ。
しかし今の彼女はどうだろう。人と触れあうことの温かさを知り、積極的に関わろうとしている。そんな彼女を、如何して孤独な場所へ送る事ができるだろうか。きっと俺だけじゃない。彼女と関わった生徒が、術師が、補助監督が、それをきっと許さない。
「好きで強い訳じゃないのに、如何してこんなに自由じゃないんだろーな……」
それは果たして誰のことを指して告げたのか、俺自身、よく、分からなかった。
「弱いよりはマシだろう」
「……夜蛾学長、」
「珍しく参ってるな、少し寄っていけ」
出迎えられた学長室には検査器具をつけて大人しくしているパンダも居た。首だけくるんと回して小声で「おう悟」と声がかかる。俺はナマエをソファに寝かせてから遅れて挨拶を返す。
「上層部から言われたか」
「学長も?」
「ああ。是非は言わなかったが、そうはならないだろうとだけ言っておいた」
「それ遠回しに言ってますよ」
「まあ長いこと父親をやってるもんでな」
サングラスを外してナマエに向けられた視線は父親由来の慈しみが含まれたものだった。上とのはさみうちで度々胃に穴が空きそうだと(主に俺のせいで)言っていたこの人でも、ちゃんと譲れないものがあったのかと感心してしまった。信念がない奴は術師として生きていけないと教えたのは誰でもないこの人だったというのに。
先程まで教室で、しかも懐かしい席に座るナマエを見ていた所為だろうか。心が無性にあの頃に戻るような感覚に陥る。
「なぁ夜蛾セン、俺、間違えそうで怖いよ」
「間違える?悟がか?」
「世界とナマエを天秤にかけなきゃならなくなった時、最強術師"五条悟"として、何を選ぶべきか。その時が来たら選べばいいやって思ってた。こんな難しいと思わなかったよ」
半ば自嘲気味に笑ってみせると、夜蛾学長は顎に手を添えて暫し考え込む素振りを見せる。何度か俺とナマエの間を視線が往復して、フッと息を吐いた。
「うちの子はそんなヤワじゃないぞ」
「そうだそうだ、俺の妹だぞ」
「何故1人で選ぼうとする。お前はいつから孤立したんだ?よく見ろ、お前の後進は今日も立派に務めを果たしているじゃないか」
それがお前の選んだ道だろう。そう告げられて、脳内に今までみてきた教え子や後輩に同期、そして今は亡き親友の姿が刹那的に過ぎ去ってゆく。ナマエは強い。渋谷の事で痛感した。俺を守る為に俺の手を振り解いて駆け出していった。かといって他多数を見捨てる訳でもなく、出来る限りのことをやりきった。彼女1人でそれだけの事を成し遂げたのだ。共に進めばもっと出来ることがあるだろう。そこに他の奴らも巻き込んだら、一体どれだけの事ができるだろうか。
「最強だからこそ、周りを頼る術を知れ、悟」
「……やっぱ学長のグーパンには敵わないなぁ」
「正道お前今のご時世体罰はヤバいぞ」
「パンダ違う違う、なんかこう、心臓が殴られた感じ。ハッとさせられた」
「はああああああぁ?!!!!」
突如上がった悲鳴に学長も俺も驚きのあまりその場で跳ねたが、声を上げた主は勢いよく起き上がったまま、顔面蒼白でだらだらと汗を流している。嫌な夢を見た……という訳では無さそうだ。若干引き気味のパンダがどうした?と動揺を見せず訊ねると、ナマエは突拍子もない事を言い出した。いつもの事だが。
「私、今年御三家の挨拶回りしてないよね」
「お前寝てたからな、正道だけで行ってたぞ」
「私、籍入れてから五条家にご挨拶行ってない」
「まぁ……そうなるなぁ」
一段と蒼白になったナマエはけろりと答えたパンダを大きく揺さぶりながら壊れたようにヤバいヤバいと繰り返している。
流石の両親も彼女の身に起きた事は承知しているし、年始は多忙過ぎて俺自身碌に帰れなかったから、目覚めた後もそことなく事情は察しているだろう。なんせ御三家である。この界隈への理解もあるし情報のパイプはあちらこちらに張り巡らされている。
内々で行ったプチ結婚式(ドッキリ)も何故か知られていて、写真を送れとメールが来た時は呆れたものだ。
「え?ヤバくない?パンダ的にどーなの?婚約してるのは伝えてあったよ?でも籍入れる前に挨拶無しで、その後も全然顔出さないって不義理にも程があるよね?私ヤバいよね?」
「おうとりあえず落ち着け、餅でもつくか?」
「お餅食べるぅ……」
さめざめと泣く彼女を見て、近いうちに京都に任務で出向く予定だったし、ついでにナマエも連れて行くことにしよう。そう決めて早速伊地知にメールを送る。もちろん日程調整の要求だ。流石の伊地知でも事情が事情だから何とかしてくれるだろう。まぁ、俺相手なら理由が何であれなんとかしてくれるヤツなのだが。
また着付けしてやらないとな、とそう遠くない日を待ち侘びている自分が居て、ああ本当に好きなんだなと自覚させられた。