車窓越しに流れる景色は、年に一度とはいえもう何度も見てきたものですっかり覚えてしまった。悟くんはお家事情を片付ける為に先に帰省した。後を追う形で私は任務からそのまま五条家に向かっている。ご両親へのお目通りをするのは明日の予定なので、今日は泊まらせていただく離れで過ごす予定だ。
 正直京都校の面々と会ってからの祓霊は少し手こずって疲労感があるので、着付けに耐えられる気がしない。明日で本当に助かった。……ここまで加味して悟くんが予定を組んでいそうだなと思った辺りで、私は微睡みに飲まれるように眠りについた。





『夜蛾ナマエともうします』
『ご丁寧にありがとう、うちの子と同い年だったね』
『はい、私はまだまだじゃくはい者でみじゅくなので、至らない点があればお伝えいただけると嬉しいです』
『いやぁアイツにも聞かせてやりたいね』

 ぺこりと下げたその姿は、5つになるかならないかだというのに滑らかに年齢不相応な挨拶をした。しかし挨拶された夫婦は事情を知っているので不気味がる事もなく、寧ろ難しい言葉を連ねる幼女を褒めていた。
 今回の幼女の要件は挨拶だけだったので、奥方から手毬を渡されて『遊んで待っていてね』と庭に招かれた。遊んで良いと言われはしたが、整えられた綺麗な庭で遊ぶのは、綺麗なキャンバスを汚してしまう気がして、手毬を持ったままじっと履き慣れない草履の爪先を見つめていた。

『お前、その手毬こっち投げろ』

 突然聞こえた声に顔をあげると、太陽光を浴びて綺麗な白髪が主張していた。そしてそれに負けない輝きを持つ二つの蒼い瞳。聞こえなかったのかと思われたらしく、一字一句同じ言葉を受けて、慌てて手毬を宙に投げた。綺麗なカーブを描いた手毬は、綺麗に声の主である少年の元へと辿り着いた。

『へぇ、上手いじゃん』

 そう言って有無を言わさずに再び手鞠がこちらへ飛んでくる。慣れない着物で不安だったが、彼も私の手元を狙ってくれたのか、その場から動くことなく吸い込むように手の中におさまった。見目からしてやんちゃ盛りのはずなのに、私に合わせて優しく投げてくれた事が伝わって心がぽかぽかとする。

『お、笑った』
『え?』
『お前笑ってる方がいーよ、可愛い』

 可愛いなんて言われた事がないから思わず手毬を落としてしまった。目の前の少年は大人びた笑みを浮かべながら一歩一歩近づいて、手毬を拾うかと思えば私の頬をするりと撫でた。

『なぁ、お前名前は……』
『坊ちゃん!また勉強から逃げ出して!』
『ヤベッ、見つかった!っと、お前また相手しろよな』
『あ、あの……』

 名前を名乗ることも尋ねる事も儘ならないまま、彼は駆け出して行ってしまった。遠くなる背中を見つめていたが、次第に視界が歪んで、私の意識はゆっくりと過去の思い出から離れてゆく。






「ナマエ?寝てたの?」
「……悟くん、おはよぉ」
「任務大変だったらしーじゃん、お疲れ。歩けそう?」
「うん……がんばる」
「目開いてないじゃん、ウケる」

 本当ならばこのまま再び眠りにつきたい気分だったが、車は既に五条家の裏門につけられていて、流石におぶってくれと我儘を言うわけにはいかない。何とか意識を保って車の外へ出る。日が落ちて少し気温が下がったおかげか、ひんやりとした空気に少しだけ目が覚めたような気がした。

「荷物これだけ?」
「うん、着物一式は悟くんが持って行ってくれたし、一泊ならこんなもんだよ」
「あー……まあそうか」

 何か思う所があったのか、或いは私が失念している事があるのか不安が過ぎる。私に視線を寄越した悟くんは「こっちの話だよ」と笑ってみせたので、多分大丈夫なのだろう。

「敷地内入るまでは頑張って、あとは身の回りのこと全部やってくれるから」
「……え?」
「なんせ僕の奥サマだからね?」

 ハートマークでも付きそうな言葉を最後に、私は五条家の給仕さんかと思われる女性陣に担がれて運ばれていく。驚いて説明を求めるように悟くんに目配せすると、楽しそうに手を振っていた。ちくしょう他人事だと思ってるな!





「……つかれた、もーむり」
「えー、ご飯一緒に食べようよ、ほらほら」

 離れに運ばれてきた食事はどれもこれも美味しそうだ。けれど、あの後給仕さん達にされるがままに風呂に放られ、普段なら絶対しないような丁寧なケアをされ、数着の部屋着を着せ替え人形され、ようやっと解放されて今に至るわけで。いよいよ目は開けているのも辛い。

「全く可愛いなぁ僕の奥さんは」
「……今日やたらそれ押すね」
「ほら、口開けて」

 言われるがままに口を開けば、美味しい香りと共に炊き込みご飯が優しい手つきで運ばれる。あ、美味しい。目が開かないままんぐんぐと咀嚼する。美味しい?と聞かれたので返答の代わりにかぱりと口を開いた。けらけら笑いながらも再びひと口分のご飯が運ばれる。

「御三家当主様にこんなことさせられるの、多分ナマエだけだよ」
「こんなことしてくれるの悟くんだけの間違いでしょ」
「はは、間違ってないね。他の奴にやらせたらキレる自信ある」
「お箸貸して、あとは食べれる」

 もう良いの?と残念そうに聞くものだから、思わず箸が止まる。私に餌付けしてたら悟くんが一向に食べ進められないじゃない。それもそうか、と納得したのか悟くんも手前の箸を持って魚をほぐし始める。いつ見ても綺麗な食べ方をする人だ。
 今になって、本当に私なんかで良かったのだろうかと、明日の挨拶への不安が襲った。揺れてはいけない。平常心、平常心。
 そのあと食べたせっかくのご飯は、全く味がしなかった。



甘やかすのは夜半まで


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