ぱちりと目が醒めて身体を起こそうとすると、くい、と身体を引かれてぽすんと悟くんの腕の中に誘われた。彼の目はすっかり開かれていて、もう随分前から起きてたのだと分かる。
「おはよう、寝れなかった?」
「寝たよ。少し前に起きてお前の寝顔眺めてた」
「やめてよ……見せ物じゃない」
「うん、見せ物じゃない。俺だけ見ていいの」
ご機嫌な悟くんは昨日から異様に舌が回る。硝子が見たら砂糖を吐きすぎて胃液まで出てくるんじゃないかと思う程度にはいつもより糖度が高い。当の私もやや胃もたれ気味だ。
「昨日から悟くん変、どうしたの」
「んー?浮かれてるのかも」
「……浮かれてる?」
「うん、浮かれてる。楽しい」
言葉に嘘はない。でも何が楽しいのか、浮かれる理由は何なのか、私にはわからない。悟くんにはわからなくて良いよ、と言われたけど気になって仕方がなかった。
「……ナマエの袴姿見るとなんか気落ちするわ」
「仮にも晴れ着になんて事言うの」
「新しいの作ろうぜ、決めた、絶対そうする」
どうも昨年のハロウィンを思い出してウンザリするらしい。とはいえ私はこの着物が気に入っているから、彼がいない場面で着ようと決めた。着物購入イベントは回避出来ないと分かっているから。
そろそろご両親がこの和室に来ると訊いて正座を整えた。縁側に近い場所に座る悟くんはサングラスを外して仕舞い込む。彼の正座はいつ見ても凛々しい。そんな姿を見て、また昨日の不安が胸をチクチクと刺してくる。今までこんなこと考えた事無かったのに、どうして今更不安になる事があるのだろう。落としていた視線は襖の開かれる音で慌てて上げた。
「あら、あらあら!あんな小さかったのに突然美人さんになって」
「お義母様、ご無沙汰しております」
深々と頭を下げると、今更仰々しいのはやめて、と柔らかい声が届く。いつお会いしても優しい方だと思う。きっと悟くんの優しさはこの方から受け継いだのだろう。
「写真で見たけれど、やっぱり実物が一番素敵ね。もっとよく見せて頂戴な」
「……母さん、父さんが入れなくて困ってる」
「あらごめんなさい」
「久しいなナマエ君。事情は聞いていたが、大変だったな」
相変わらずこの家は御三家だけど緩いなぁと思う。私が当主の嫁だからという事を差し引いても、こんなフランクで良いのだろうかと来る度に対応に戸惑ってしまう。
「君の命懸けの奮闘のお陰で、大事な息子を失わずに済んだ、感謝する」
「お義父様頭を上げてください!前当主様がそう軽々に頭を下げるなんて……!」
「それだけのことをして貰ったということだ。言葉だけの感謝では足りないぐらいに」
大切な一人息子を失う所だったと漏らすお義父様の言葉は、僅かに震えていた。私が獄門疆から目覚めた時の正道の涙を思い出す。ああ、キチンと父親として彼を見ているのだと、何処か安心してしまう自分がいる。最終兵器として扱われてきた私と違って、彼は人として大切にされてきたのだ。
「えっと、ご報告が遅れて申し訳ないのですが」
「ナマエ、それは俺が言うから」
「え、」
「入籍を済ませました。前にも話した通り家の事は俺が回すから、彼女には高専で俺のサポートに専念して貰います」
「御当主様に私達が口出せないからな。悟がそう決めたなら好きにしろ」
「でも1人で抱えないで、ちゃんと出来る事があれば頼ってね。勿論ナマエさんも」
お義母様の言葉にうんうん、と頷くお義父様も何ひとつ心配事などないと言いたげに悟くんに視線を向けている。思わず溢れかけた不安を飲み込んで、感謝を述べ改めて礼をした。
「ねぇ悟、ナマエさん借りてもいい?」
「なんで?」
「私の若い頃の物を幾つかお譲りしたいのよ」
「あー……まあいいよ」
「貴方はお父さんについていってね」
私の手を引いたお義母様の制止にハァ?といつもの悟くんが顔を出す。いつもなら抱きすくめられて駄々を捏ねてるな、と思いながらくすりと笑う。
「なかなか周囲に女の子が居なくてねぇ。でも綺麗なまま捨ててしまうのも忍びなくて」
「その気持ち、分かります」
「髪飾りとかもあるの。自分で付けないようなら生徒さんに譲ってもいいから、持っていってくれると嬉しいわ」
「わぁ……!こんなに、良いんですか?」
見ただけで物に無頓着な私でも高価な物だと分かる。そして年季は入っているのに、大切に扱われてきて綺麗な状態を保っていることも見てとれた。そんな貴重な物を私なんかが受け取って良いのだろうか。躊躇う私の手を掬い上げてお義母様はふわりと微笑んだ。
「私も貴方には感謝しているの。お腹を痛めて産んだ子だもの、絶対お父さんより感謝してるわよ!」
負けず嫌いなのもお義母様譲りなのかな、と思ってつい表情が綻ぶ。御三家は何処も厳しい環境だが、五条家は悟くんが貴重な六眼持ちなのもあってか、比較的当たりが柔らかい気がする。彼にとってそれが良い事なのかはわからないけれど。
「あの子の人生全部捧げて愛した子だもの、私達も味方でありたいのよ」
「人生全部……?」
「これ、見覚えなぁい?」
「あ、初めて伺った時にお借りした手鞠……?」
「悟ね、これを持つ貴方に一目惚れしたのよ」
「ぅえっ?!」
内緒よ、と人差し指を口元に当てる姿は何処か悟くんに似ていた。突然の爆弾発言も相まってつい頬が紅くなる。最近照れてばかりだな、私。というか昔会った事あったのか。何故彼は教えてくれなかったのだろう。
「あの日は荒れに荒れて大変だったの。先生に向かって名前聞けなかった!次いつ来るんだ!って噛み付いて、その後お父さんから拳骨を貰ってたわ」
「あのお義父様が鉄拳制裁……」
「悟にそれが出来るのはお父さんと夜蛾先生だけね」
「ウッ、なんだか父がすいません……」
「違うのよ、偏見なくいち生徒として指導してくださったことに感謝してるのよ」
「……私には勿体無い父です、本当に」
「そんな事言ったら夜蛾セン泣くぞー」
「あらもう済んだの?悟」
「ナマエ貰ってって良い?」
「ええ勿論。ナマエさん、これは高専宛に送っておくわね」
きっと幾つかは生徒に渡ると伝わっていたのだろう。自宅ではなく高専宛に送ってくれると申し出てくれた気遣いにお礼を伝えた。ふと私の横から伸びた手が、ひとつの簪を手にする。トンボ玉を部屋の明かりに透かして眺めた後、器用に私の髪を簪でアップに纏め直す。
「独占欲は過ぎると嫌われるわよ?悟」
「……るせー、ほら行くぞナマエ」
「え、あっ、有難うございました!大切にします!」
襖の隙間から見えたお義母様は、廊下を折れるまで微笑みながら手を振ってくれていた。
「ったく余計な事言いやがって……」
「手鞠の話?」
「お前覚えてなさそうだったから言わなかったのにさぁ……」
「一目惚れがその時だったってバレるのが嫌だったからじゃなくて?」
「もう黙って」
乱雑に引き寄せられて唇が押し当てられる。突然のキスでも目を瞑ることにすっかり慣れてしまった自分がいる事に気づく。それだけの長い時を共に歩んできたのだと思うと、何だか感慨深く感じてしまう。
術師として生きる私たちの生は決して長くはないだろう。ましてや一人は特級の中でも最強と言わしめる絶対的存在。そうしてもう一人は最終兵器と称して温存され続ける、自爆特攻の運命を背負う存在。それでも1秒でも君の隣にいる事を願う。それがどうか君も同じであったらいいなと思うのは、我儘だろうか。その答えは何度も角度を変えて触れる唇が教えてくれた。