縁側に腰を下ろして体術訓練に勤しむ生徒たちを眺める。あの後、悟くんが楽巌寺学長と話をしたいと言い、私と歌姫先輩は部屋を後にした。
 『子を成せない身体である』
 『術式によって生まれた存在』
 知っておくべき事実だと分かっていても、唐突過ぎて受け入れる事が上手くできない。心はまるで、欠損してはまりきらないパズルのようだ。

「ねぇ、よかったら体術みてやってよ」
「………え?」
「ナマエ相手の組手懐かしいわー!あの子達にも体験させたいのよ、勿論本調子じゃないだろうから術式無しで」
「別に、良いですけど……」

 突然の申し出に呆気に取られていると、声をかけられた生徒達に手を引かれ、あれよあれよと組手が始まった。後から気づいた事だけれど、これは少しでも私が気を紛らわせられるようにと思ってくれた、歌姫先輩の優しさだった。





「……で、何でお爺ちゃんは僕の確認無しに言っちゃったワケ?」
「事前にお主に話せば本人は一生知らぬままじゃろう」
「そりゃね、で、僕だけ残したってことは話には続きがある。その判断は僕に委ねようってんだ。無責任だね」
「……これは、彼奴へのワシなりのケジメ。好きに思えば良い」

 机上に置かれた先ほどの書物。おそらく隠し持っているよう上から圧力がかかっていたのだろう。そして昨年起こった渋谷での一件。ナマエが身を隠し立ち回らなければ、上層部が羂索に侵食されていた事も、事態を渋谷でおさめる事も敵わなかっただろう。命を賭けて救ったナマエが仮に傷つける内容だとしても、隠し持つ書物を託すことが、楽巌寺学長なりのケジメだと思ったのだろう。呪詛師による上層部の腐敗に気づけなかったことへの。
 そんな彼は否定しなかった。話には続きがあることを。つまり、それこそが僕が共に呼ばれた理由であり、場合によっては彼女の生命に関わる事なのだろう。いつまで睨んでても仕方がない。小さくため息を吐いてから、話の続きを促した。

「術式の祝詞『双の罪』と『無知の罪』は、先の子を成せない話に深く関係しておる」
「あぁ〜……アイツもやけに気にしてた」
「無知の罪、とは子を成せない身体であることを知らぬ者を指す。そして双の罪とは、本来禁じられている人間を術式で以って生み出すこと」
「アイツ自身も術式で生み出されたってワケ?」
「話を急ぐでない。無知の罪は、子を成せない事と言ったが、隠された頁の封印を解いたら仔細が載っておった」
「封印?」
「おそらく、これこそが彼奴の家系の闇深い部分であり、隠匿したかったことなのかもしれんな。少なくともナマエ……彼奴は真っ当に母の腹から産まれた子だ」

 指し示された頁は白紙が続いている。しかし呪力を流すとじわじわと文字が浮かび上がる。当初は封印がかけられていたものを、楽巌寺学長がようやく解いたのだという。そんな封印が解かれた頁は、万が一の為の特別仕様。そこまでして隠し続けてきた闇の歴史。読み終えた頃には、術師最盛期とも言われた平安時代のこの家系はどれだけ壮絶だったのかと、吐き気に襲われた。
 親であり、直属の上司にもあたる夜蛾学長に伝聞を押し付けてしまう事も出来ただろう。それでもこのジジイはそうしなかった。伏せられてきた事実によってこれ以上彼女が苦しまないよう、あえて悪役を買って出たとはたと気付く。これではもう怒るに怒れない。楽巌寺学長にとっても彼女は特別な存在なのだ。

 書物は本来忌庫にあるものらしい。
 後日東京校に送ると話をつけて、楽巌寺学長との密会は終わった。とりあえずは夜蛾学長と相談だな、と上手く回らない頭は最低限のやるべき事をはじきだした。





「お、やってんねぇ〜」
「さっきまでの暗い顔は何処へやらって感じね」
「悪いね、気ィ使わせて」
「アンタの為じゃないわ、あの子の為」

 歌姫の視線の先には生徒数名を相手取って組手(とは口ばかりのひたすら避けるだけ)をしているナマエの姿。術式無しであれば数名の生徒など、彼女にとって敵ではない。それでも「上級ゴリラとはタイマンじゃなきゃ無理」と真顔で葵に言って泣かせたらしい。多分相手取るなら誰かとペアでも対応出来ただろうが、純粋に暑苦しいのが嫌だったのだろう。彼女は昔から葵にだけは当たりが強い。本人はそんなつもり無いらしいが、京都校の生徒は口を揃えて「ナマエさん葵の操縦上手いんです」と言ったとか。……まあなんか想像つくな。濃いキャラな奴ほど操縦上手いもんな、アイツ。

「で、それなりの話の収穫はあったワケ?」
「まぁ……楽巌寺学長がナマエに伝えず俺だけに話したのは英断かな。戻ったら夜蛾学長には話すけど」
「そんなに酷い話なの?」
「とてもアイツの耳には入れられないね」

 正直最初から最後まで、ナマエには知らせず俺だけに伝えて欲しかった。しかし楽巌寺学長はナマエを一人の呪術師として認めていた。本来は星漿体の代わりとなる為だけに生み出された術式。そんな業を生まれながらに背負わされた彼女に、どれだけ辛い現実だったとしても伝える事で、未来への選択の余地を与える事が、彼なりの愛情だったのだろう。呪術の世界は甘ったれた事ばかりでは生きていけない。
 分かっている。甘いのは俺自身だしナマエに過保護になっているのも俺だ。それでも、もうこれ以上彼女を苦しめたくなかった。ましてやタイミングが良くなかった。なんせ親に挨拶行った翌日だ。聡い彼女は五条家の嫁として世継ぎのことを気にするだろう。楽巌寺学長はそういう切り出し方をしたのだから。

「どんなことがあろうと、僕の嫁はオマエだけだよ、ナマエ」

 心の底から呟いた言葉は、離れた場所で変わらず組手をしているナマエに届くはずもなく、強い春風が奪い去ってしまった。



つむじ風すら今は痛い


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