新2年トリオでの任務を終えて、俺は久々に借りてきたDVDを観ようとぐぐ、と全身で伸びをした。現地解散だった為、釘崎も伏黒も各々寄り道をしてから帰るそうだ。少し残念に思いながら、共有にストックしておいたコーラを取り出した。
ふと人の気配を遠くに感じて、コーラを一度戻し、買い込んだ菓子の入ったレジ袋も置いてすぐそこの校舎入り口まで駆けて行く。一人の呪力、そこから動く気配は無い。馴染みあるそれはおそらくナマエさんで間違いないだろう。でも何故こんな所に?心配で駆け足で向かうと、そこには壁にもたれかかってしゃがみ込んでいるナマエさんの姿。ギョッとした俺は叫びかけた声を両手で抑えてから、小さく名前を呼んだ。ゆったりとした動作で向けられた視線は何処か虚空を見つめていたが、俺のことは認識してくれたのか、ゆうじ、と名前を呼び返される。
「大丈夫?気分悪い?保健室行きます?」
「……もう何も考えたくない」
「えっ、」
再び伏せてしまったナマエさん。それよりもこんな弱々しいナマエさんを見る事が初めてで、ただひとつ、只事ではないことだけは分かった。
「ナマエさん、俺と映画鑑賞しません?沢山借りてきたしお菓子とコーラもありますよ。あと前に貰った紅茶もあるから、そっちでもいいし」
それでも良ければおぶられてください、とくるりとしゃがんだまま背中を向ければ、やわい呪力が首周りを過る。背負ったナマエさんの腕は相変わらず細くて、背中に乗った身体は何故俺たちが勝てないのか不思議な程軽かった。
背負ったまま片手でスマホを取り出して、念の為五条先生に一報入れる。ナマエさんの事情をおそらく把握してるだろうし、必要に応じて迎えに来てくれるだろう。間も無く返ってきたメールには「悠仁ごめん、任せた」と、先生らしくない一文が載っていた。
背負ったままコーラを再び取り出していると、乙骨先輩が丁度任務帰りだったらしく、慌てた様子でこちらに駆けてきた。これまでの経緯を簡単に伝えると「五条先生はこのこと」知ってる?と繋がるであろう言葉は遮る様に伝えてあると話せば、苦笑気味にそっか、と乙骨先輩は言う。俺よりも付き合いの長い乙骨先輩は、ナマエさんの様子を見て何か思うところがあったのか、「せっかくだし共有にみんな集めて鑑賞会しない?」と提案してくれた。目配せする乙骨先輩の言葉に俺は首肯だけ返してナマエさんをソファにそっとおろした。
「虎杖くん持ってるね、あのモードのナマエさんすっごく貴重だよ。嬉しい事ではないかもしれないけどね」
「あのモード?」
「世界に嫌気がさして全部放り投げて思考を放棄してるナマエさん、かな?五条先生に謝られたでしょ」
僕も似た経験があるのだと、広げられたDVDパッケージを漁るナマエさんを見つめながら言う乙骨先輩は、その時もこんな風に接していたのだろうか。彼女と映画鑑賞出来ると聞いて、任務に出ている棘先輩以外はすぐ向かうと返信があった。とりあえず3人分のコーラだけ用意してテレビ前に向かおうとした所でソファに隠れて見えなかったナマエさんがぴょこらっと顔を出す。両手でコレを見るぞと主張する姿は、出会った頃の姿まんまの精神年齢と言っても間違ってない気がする。そんな考えもお見通しとでも言いたげに「当分あんな調子だよ」と乙骨先輩に笑われた。
「ホレナマエ、お前の好きな板チョコ持ってきたぞ。食うか?」
「……たべる」
「虎杖も食うか?」
「俺はポップコーンまだあるんでお気持ちだけ!」
やって来たパンダ先輩はどっさりと板チョコの入った紙袋を持ってやってきた。曰く、学長からの差し入れらしい。ナマエさんの様子を耳にして、持っていくよう言われたという。とたとたと歩いたナマエさんは、ぼふんとパンダ先輩にしがみつく。ぐりぐりと頭を押し付けるナマエさんをパンダ先輩はひょいと持ち上げて元々ナマエさんのいた場所ー乙骨先輩と俺の間に座った。胡座をかいた所にナマエさんを座らせて、開封した板チョコを一枚手渡してから映画鑑賞は再開された。
2本目の映画が終わる頃、ナマエさんは静かな寝息をたてて眠りについていた。やれやれと言いながら手近にあったブランケットをかけてやるパンダ先輩は、ナマエさんの兄の顔をしていた。
「コイツストレスを溜めてるとかは無いんだけど、やっぱ心身のズレから?たまに"不具合"を起こすみたいにこうなるんだよ」
爪で傷付けないようそっと頭を撫でるパンダ先輩の獣らしい手は優しいものだった。ふと今まで言われてきたことを思い出す。みんなが言っていた。ナマエさんが大切なら生きてそばに居てやれと。それだけで彼女は救われるのだと。それで乙骨先輩はみんなでの映画鑑賞を提案したのだろうか。そうならば、してもらったことに対して俺たちに出来ることは、なんて少ないんだろう。俺はほんの少しだけ、笑顔の絶えないナマエさんの、仄暗い部分を垣間見た気がした。
「僕も深くは知らないけど、ナマエさんの家系は特殊な術式の所為で、酷い目に遭ってきたみたい。だから、時折スイッチが切れちゃうのかもね」
「ナマエさん、そんなこと微塵も感じさせないから凄いっスね……」
「うん、凄いよ本当に。でも辛い経験があるから僕たちみたいな奴に寄り添えるんだよね、きっと」
俺と同じように死刑になる筈だった乙骨先輩は、初めこそ死を受け入れていたらしい。けれど、五条先生とナマエさんの言葉で高専入学を決心したらしい。五条先生の『御三家』という肩書きや手腕に救われている存在がたくさんいる。俺もそうだ。そしてナマエさんもそうなのだと、付け加えるようにパンダ先輩は言う。
「生きる最終兵器、そんな人間扱いされないコイツを守る為に悟はいつだって奔走してたよ。流石に御三家入れちゃえば良いだろ、は突拍子が無さすぎて正道も失笑したらしーけどな」
「あははっ、先生らしいね。でも最短ルートだ」
「……つまり?」
「ああ虎杖は知らねーのか。要は、下手に殺せない様に五条家の嫁として招いたわけだ」
当時は幼女姿だから籍入れまでは無理だったから婚約者止まりだったけどなー。パンダ先輩の言葉を聞いて、まだ上京して間もない頃の会話を思い出す。
『恋愛感情が無いとは流石に言わないけど、色々事情があったんだよ』
『事情……』
初めて婚約していると聞いた時は釘崎が大層キレていたな、なんて一年近く前の事が懐かしく感じる。その時話していた事情というのが、このことなのだろうか。パンダ先輩と乙骨先輩の間で交わされる俺の知らないナマエさんの境遇。五条先生という最強の術師を守る為に、命を捨ててでも祓えという、上層部からの圧力。乙骨先輩は、今はもう無いとわかっていても、血塗れですっかり縮みきったナマエさんを見た時は上層部に殴り込もうとして、真希先輩達に全力で阻止されたとか。
「虎杖くん僕ね。命の恩人は五条先生だけど、心の恩人はナマエさんとパンダくん達だと思ってるんだ」
「心の恩人、ですか?」
「高専に一人だったらきっと心が折れて、今此処に僕は存在しない」
確信に満ちた力強い言葉に思わず息を呑んだ。隣で頷くパンダ先輩も、ナマエさんのことを同じように感じているのだろう。それだけ、ナマエさんという存在がこの高専にとって大きいということだ。いつでも生徒の誰かのそばにいて、自然と入り込んできてしまうナマエさん。それは酷く心地良くて、全てを暴かれてしまうような、そんな気になる。ナマエさんはそういう人だった。
『悠仁くん、おはよう』
きっとナマエさんは他者の日常に入り込むのがとても上手い人なのだ。それもおそらく無自覚で。だからこそあの五条先生さえも絆されてしまったのだろう。
相変わらず寝ているナマエさんの小さな身体を見て考える。俺はこの人に一体何ができるんだろう。思わず掌を握り込むと、パンダ先輩に制止された。
「悠仁ィ、前にも話したろ?傍に居てやれ、出来れば死ぬなってさ」
「ッス……」
「こんな姿見ちゃあもどかしい気持ちになんのも分かる。でも、コイツの抱えてる問題は多分コイツ自身と、精々悟のテコ入れぐらいでしかどーにもなんねーよ、多分な」
「その代わり、何か機微な変化を感じたら五条先生に伝えてあげるといいよ。僕はいつもそう」
眉尻を下げて話す、特級術師の乙骨先輩でもそうなら、俺に出来ることは本当にその程度なのだろう。いや、多忙な五条先生に代わって、生徒の俺たちが先生の目になるのか。それなら俺にも出来るかな。そう呟くと、虎杖くんはむしろ適任じゃない?と俺の独り言を、どこか楽しそうな声で乙骨先輩が拾った。
焦らずに出来ることからやろう。地下室での訓練中、そう教えてくれたのはナマエさんだった。