久々に言い渡された任務は、補助監督の伊地知くんと2人で結界術の張り直し。私が眠っている間、そして目覚めてからも、呪術師総出で張り直してくれていた。けれど、天元様直々のお達しで緩みがないか見て回る事になった。なんせ結界術は得手不得手がハッキリしているから、人不足の中、苦手な術師が一時的に張ってくれたものもある為、それらが緩んでいないか見て周るのが目的だ。
 私一人で見周っても良かったのだけれど、私の体調や現場復帰最初の仕事である事も鑑みて、多忙な筈の伊地知くんが送迎すると申し出てくれたのだ。日々気苦労ばかりの彼に必要以上に気遣わせるのも申し訳ないので、お言葉に甘えることにした。
 今日のルートのスタート地点まで数時間かかる。その間に少しでも彼を労えたらと、用意しておいた差し入れがきちんと鞄の中にあることを再確認して、仰々しく開けてくれた扉から車中に乗り込んだ。

「このクッキー、桜の香りが良いですね」
「少しでも気持ちが解れたら良いなって。お口に合ったなら良かったよ」
「……これ、五条さんの分は」
「心配しないでいいよ、キチンと作ってきたから。……それの倍以上の量だからラッピングなんかしてないけど」
「ハハ……なんか想像つきます」

 後から、伊地知くんにだけあげたとなれば悟くんの伊地知イジメが起こることは想像に難くない。勿論そこは抜かりなく、特大タッパーいっぱいに作って置いてきてある。余談だけど、高専寮にも幾つかラッピングで小分けにしたものを『ご自由にどうぞ』のメモ書きを添えて、籠に詰めて置いてきた。きっと帰る時には空っぽだろう。若者の食欲は底無しなのは、高専生だった頃の悟くん達でよぉく知っている。

「そういえば先日は虎杖くん達とクレープ作りをしたと伺いました。生徒の皆さん、僕の車に乗ると真っ先にその話題を出すんです」

 どこか楽しそうな伊地知くんに緩く開けたお茶のペットボトルを差し出す。まさかみんなしてクレープ大会の話をするなんて、同じ話を何度も聞かされるようなものだろう。よく伊地知くんは聞き飽きないなぁと感心してしまう。フロントミラー越しに表情を読まれたのか、「楽しそうに話してくれるので、私にとっても良い気分転換なんですよ」と、口を潤したお茶を此方に寄越す。

「なんかさぁ……生徒に気を遣わせて申し訳なかったよね、正直なところ」
「日頃の貴方の関わりが彼らをそうさせたんです。変に気負うと逆効果だと思いますよ。そこは甘受しましょう」

 柔らかいトーンでそう告げた伊地知くんは、みんなから聞いたクレープ大会の話を聞かせてくれた。最初は本人達のクレープの感想だというのに、最後には必ず私の様子を話しているというから、もう苦笑を洩らす他ない。懐かれてるのは嬉しい限りだが、行き過ぎるのも問題だな、と自省した。そんなことを言ったところで悟くんはきっと「そのままで良くね?」といつもの調子で言うのだろうけれど。

「すいません、少し電話対応します」
「断りはいいから早く出てあげて」

 優しい時間が車中に流れる中、それを割くように伊地知くんのスマートフォンが鳴り響く。メールではなく電話ということは、緊急事態という事だ。そして私が同乗している事は高専も把握しているので、おそらく緊急の除霊任務だろう。私はスピーカーフォンとなったスマホの言葉を聞き漏らさぬよう、愛刀を抱えたまま、静かに伊地知くんのやり取りを聞いていた。悲痛に震える声から、急いで進行方向を現場へと向けられた。





「五条ナマエです。状況は?」
「あっ……それが、帳が中々上がらないと思ってたら、帳のすぐそばで悲鳴のような声が聞こえて……っ!」
「落ち着いて、私たちが来たからもう大丈夫。伊地知くん、彼女のことお願い、私は一旦件の箇所を確認します」
「分かりました、お気をつけて」

 4月に補助監督になったばかりだというまだ若い彼女は、すっかり気が動転してしまっていたがキチンと最低限のことはこなせていた。流石と言うべきだろう。戦う力を持たない彼女は待つ間、心細かったであろうことは想像に難くない。私は伊地知くんに彼女を託して、躊躇いなく帳の中へ足を踏み入れた。





「まぁ、駄目だよね……」

 帳に踏み込んですぐそばに転がるのは、節々が喰い千切られた術師の亡骸。表情から酷く恐ろしい思いをしたことが伝わった。きっと散々弄ばれた後に殺されたのだろう。私はしゃがみ込んでそっと手を合わせる。間に合わなくてごめん、怖い中一人で逝かせてしまってごめん、最期まで戦ってくれてありがとう。メールで簡潔に伊地知くん宛に死体の仔細を送る。ついでに硝子ちゃんにも死体解剖依頼が来る旨を一報入れておいた。
 気持ちを切り替えて任務地を眺める。そこは都心部近くのこのエリアには珍しい、木造建築の一軒家。一家心中により事故物件となってしまった此処は、親族もどうにも出来ず、どうにもならず、そのままになっていた所が呪霊の巣窟になっていた。数だけの雑魚霊の吹き溜まり。そう判断されて昇級したばかりの二級術師が派遣されたのだが、感じられる呪力は二級術師では手に余るものだった。ましてや昇級したてで初めての一人任務。二級術師によくある死亡ケースだが、受け入れてはいけない。悲しみ、死を憂い、喪った仲間の分も足掻くのが、残された私達の使命である。

「一番"美味しいヤツ"は2階かな?」

 ギラつく刃は肯定するかのようにカタカタと揺れる。恐らく下の階は雑魚霊で満たされているのだろう。ならば2階から入ってしまうのが手っ取り早い。主不在の家屋とはいえ、一応親族の方のものだ。ささやかな謝罪を述べてから、地を蹴り上げて勢いのまま2階窓を蹴破った。

「うわぁ……成長期?ご立派ですこと」

 肉団子にほっそい手足が生えてる。成長期というより超肥満。硬い外皮が分厚すぎるせいで、ただ切りつけるだけでは内側の核に刃先が届くか少し怪しい。少しずつ削るか、一太刀で決めるしかないか、と刀をそっと構える。先に間合いに踏み込んではいけない。私は神経を研ぎ澄ませて、刃先は核に狙いを定めた。

「(きたっ……!!)」

 敵が初動の為に息を吸い込んだ瞬間に床を蹴って間合いに踏み込む。呪力を流し込んだ愛刀の切れ味は絶好調で、あれだけ硬い外皮がまるでくるみ割りの様にあっさりぱかん、と真っ二つに割れる。聞くに耐えない悲鳴をあげて祓った呪霊からは、喰い千切られてしまった術師の右足だけが残されていた。2階の大物呪霊が消えた事で一階からドッと押し寄せた雑魚霊は、伊地知くんへの後処理の電話の片手間で足りる程度の小物ばかりだった。こいつらだけだったのなら術師が死ぬ事はなかっただろう。事前調査の穴が悔やまれる。勿論任務までの期間に潜伏した可能性もあるが、たらればの話をしてももう失った命は返って来ない。それが世界の理である。……本来ならば。
 全てを祓い終えた私は家中の残穢を消しまわってから、念の為結界で家屋を保護する。また呪霊の巣窟になっては厄介だ。

「お疲れ様です、今から此方に後処理班が来ます。私たちはこのまま任務に向かいます。……大丈夫ですか?」
「あっ、ごめんごめん、大丈夫だよ」
「……結界は、至急の箇所をピックアップします。今日はその数箇所だけ回りましょう」

 これはきっと優しさや私への甘やかしではなく、伊地知くんの補助監督としての判断なのだろう。優秀な後輩の采配を信じて、私は素直に彼の言葉に従うことにした。

「それでは行きましょう、クレープ大会の話、ナマエさんも聞かせてくださいね」
「……伊地知くん君、飽きない人だねぇ」
「皆さんが楽しそうに過ごされてるのを聞くのが好きなんです」

 引き継ぎを終えて車に乗った私達は、今度こそ任務地に向かう。ゆっくりと動き出した景色からは、見覚えのある姿が一瞬、見えた様な気がした。





「あ、ナマエさんこっち見た!気づいたかな?」
「五条先生目立つから気づくんじゃないの?」
「果てしなくどっちでもいい」
「ハハッ、それよりも3人ともどーだった?アイツの戦いぶりは」

 緊急の連絡は僕にも入っていた。しかし生徒引率の任務だった為、現着した時にはもうナマエが帳の中へと入った後だった。六眼で呪霊の数を捉え彼女一人で事足りると算段した僕は、どうせ来たのだからということで社会見学よろしく生徒3人を引っ掴んで2階での戦闘を観ることにして、終幕を見届けて今に至る。
 本当は死人が出た後の現場には彼女を呼んでほしくないのだが、一番近くに居たのが彼女だったのが良くなかった。加えて、此方は生徒指導の任務先で少し手こずってしまったのも時間がかかった要因でもある。とはいえ生徒の成長は目覚ましいものだったので、ナマエの戦闘を見せる良い機会になったということで納得する事にしよう。

「後半電話しながら祓ってましたけど。あの人の方が化け物じみてますよね」
「恵それ本人に言うなよ、アイツしょげる」
「ナマエさんが刀使ってるとこ初めて見たけど、あんな切れ味良いモンなの?」
「釘崎、ナマエさんの刀は呪物だぞ」
「なんで虎杖が知ってるのよ」
「いや、任務同行した時に聞いたから」

 ハァ?!!とキレた野薔薇は悠仁に詰め寄る。そういえば野薔薇だけはナマエとペアで任務に出た事が無かったか。

「悠仁、復習テストがてら、あの刀の説明してみな?3、2、1、ハイッ!」
「えっ?……っと、確か元々は付喪神だったのが呪霊、呪物化した刀、で……流し込んだ呪力量で切れ味が変わる?のと、確か斬撃が飛ばせるって言ってたような……」
「おっいいね、じゃあそれを何故ナマエが使ってるのかな?」
「刀の能力を使いこなす為にはただ呪力を流すだけじゃダメで、流し込む時に繊細な呪力操作が必要だからです!」
「だーいせーいかぁーい!!悠仁普段もそれぐらい覚え良いと筆記良くなるのにね」

 あの刀は当時学生だった五条達が回収したものだった。しかしあまりにも繊細かつ、結界術にも似た複雑な"回路"を持つその刀を扱えたのは、ナマエただ一人だったのだ。幼女が自身よりも長い刀身を軽々と操る様は、その場にいた全員を魅了した。本来ならば忌庫行きだった呪物だったが、紆余曲折ありそのままナマエ預かりとなったのだ。……当時の記憶を反芻した僕は、少しだけ苦い思いを思い出しては人知れず気落ちした。まあ生徒の手前、そう見せることはしないけどね。



引力は果たして何をもたらしたのか


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