久方振りの着付けの締め付けに呻き声をあげつつ、なんとか天元様のいらっしゃる部屋へと辿り着いた。普段ならそう叶うものではないが、どうも天元様も私に話したい事があるらしく、謁見したいという私の頼みはすんなりと通った。落ち着かず正座のまま揺れ動く度に鈴の音が部屋中に響き渡る。人気を感じて面を伏せて待つと、相変わらず仰々しいな、と苦笑混じりな声が聞こえた。許しを得て顔を上げると、変わらぬお姿の天元様が此方を向いて座っていた。
「先日の任務では大変だったようだね」
「でもお陰でわかった事も多いので、良しと思ってます」
「今日会いに来た事と関係があることだろう?」
私は頷き、言葉を続けた。この刀の由来や、発見当時には知り得なかった経緯、エトセトラエトセトラ……これはあくまで主題の為の前置きでしかない。そんな事は天元様にはお見通しだろうが、必要な過程だと、口ひとつ挟まずに耳を傾けてくださった。以前から感じていた違和感がカチリと綺麗に嵌め込まれて完成したパズル。その答えにご意見をもらう為、今日はこの場に訪れたのだ。そしておそらく天元様が私を呼び付けたのも、近い理由ではなかろうか。
「以前から似たケースの任務に遭遇する事が多いと感じていたのです。まるで意図的に充てがわれているみたいに」
「………」
「上層部は、私を天元様のお席に……なんて考えてる筈が無いですよね」
「お前は昔から本当に厳しいな」
私の態とらしい言葉選びはどうやら伝わったようだった。そう何度も少女が贄に捧げられ呪霊化したケースに遭遇すれば、私も疑うというものだ。それが意図的なものなのだとすれば、理由は間違いなく直近の懸念事項である天元様のことだ。幾年もの月日を過ごしてきた天元様は、とうの昔に人間であることを捨てている。星漿体との同化が叶わなかった今、天元様の存在はいつ泡沫となってもおかしくない。そう話したのは天元様ご自身だった。現存する星漿体として九十九由基が居るが、貴重な術師を星漿体とするのは今の上層部からすれば惜しいのだろう。となれば、この時のためだけに存在する術式を持つ私が指名されるのは時間の問題だろう。
だからこそ、言葉裏に込めたのだ。私は少なくとも今は同化を拒絶すると、きわめて明確に。
「上層部は確かに意図的に任務を回しているかもしれないが、先日の事はナマエ、きっとお前が引き寄せた出会いだろう」
天元様の言葉に思わず間抜けな声が漏れる。何故、と問えば天元様は閉口してしまう。視線が私から愛刀へと移り、暫くの間沈黙が流れた。
「……そうか。お前の好きにしなさい、櫻吹雪」
ゆるりと上げられた口角と優しい口調は刀身を喜ばせたのか、鈴の音が成る程にカタカタと揺れ動いている。一体何を話していたのだろう。私は再び視線の交わった天元様の言葉をひたすら待ち続けた。
「上層部はナマエをどうにかして此処に据え置きたいようだが、正直私は反対でね。その話をしたかったのだが……その必要もなさそうだ」
なぁ櫻?と呼ばれた刀身は巾着袋から飛び出して天元様の前にことり、と降り立つ。初めてのことに慌てて抑え込もうと片足をついたが、無害だから心配するなと天元様の制止が入る。この子が勝手に動き出すなんて、私は悟くんの失言時以外見た事がないから、正直気が気でない。大人しく天元様の手の内におさまった愛刀は、天元様の手で抜刀される。天井の光に充てて見つめられる刃先。
「丁寧に研がれているね、刃溢れひとつ無い。良い腕だ」
「大切な戦場の相棒ですから」
「彼女は、もしナマエが星漿体に選ばれるような事があれば、上層部全員の首を刎ねる腹づもりのようだ」
「はぁ?!!」
愉快そうに笑う天元様だが、今とんでもない発言をされましたよね。聞き捨てならないにも程がある。私は恐ろしいことを考えているらしい愛刀を見て肩を落とした。
「上層部にはこの旨を伝えよう。流石に命は惜しいだろう」
「……天元様はそれで良いのですか?」
「決めるのは私ではない。ナマエ自身だ。まぁ、お前の周囲は星漿体になるなんて絶対に許さないだろうね」
チン、と良い音で収められた刀身は、静かに私の元へと帰って来る。周囲の中にはきっとこの子も含まれているのだろう。
「私からもうひとつ話したい事があったのだが、それは次の機会に取っておくとしよう。そちらも近いうち不要になる気もするが」
「えっ」
「お前は一人じゃない。愛されていることを忘れてはいけないよ」
私の頬をするりと撫でた天元様は、そのまま部屋から消えてしまった。一体何を伝えたかったのだろう。全てお見通しの天元様は、私の心の中の何に対して今の言葉を向けたのだろう。ただひとつ分かるのは、天元様はなんだかんだ私に甘いということだけだった。
入り組んだ建物から出てようやっと陽の光を浴びる。足は自然と声の響き渡る校庭へと向いていた。歩く度にリン、と鳴る鈴の音が私の存在を彼に知らせる。階段に座る彼に見下ろす形で視線を交わして「ただいま」と告げると、手招きをされたので、階段の隣にゆっくりと腰掛ける。地面につく直前に腰を引かれて彼の無下限に捕まったことに気づく。着物が汚れずに済むけれど、なんとも贅沢な術式の使い方だ。校庭に視線を向けると2,3年生が合同で体術の訓練をしている。日下部さんが不在の為、悟くんが纏めて面倒をみていたらしい。
「天元様と何話してきたの?」
「んー……何だろう、愛について説かれた、かな」
「中々ディープなトークテーマだね」
カラカラと笑う悟くんは言わずともどんな話をしてきたのかなんて分かっているだろう。なんせ彼は賢く聡い。私よりも周囲のことが見えている。
「悟くんはさ、子ども、欲しい?」
ずっと心の奥底にしまっていた質問を囁くように紡ぐ。何となく彼の答えは分かっているが、きちんと彼から聞きたかった。
「生憎ナマエと教え子達に愛情注ぐので手一杯なんだよねぇ。だから少なくとも今は求めてない。けど、ナマエが欲しいならいくらでも手段を探してあげるよ」
そう言って私の手を柔く掴む彼は、優しい表情で守りたい教え子達を見つめている。思っていた通り、いや、思っていた以上の答えをもらって、呼応するように私もまた柔く握り返した。
『妾のようにはなるな、絶対に』
『妾の分も幸せになれ。』
そう言って背中を押してくれた少女の姿を思い浮かべて目を瞑る。私はとっくに幸せだけど、彼女の分も、少しでも長く幸せでありたいと思う。そのためには悟くんも幸せでいる事は必須で、その為には私はまだ星漿体として務めを果たすわけにはいかなかった。私には、五条ナマエとしてやるべき事がまだたくさん存在すると、そう信じている。信じて良いと、天元様にも言われたような気がしていた。ゆっくりと開かれた視界の先で、これからもっと美しく咲いていくであろう磨き途中の原石達が私を呼んでいる。私の手を引いて立たせてくれた悟くんは先に階段を降りていく。そうして私の視界は愛するものだけで構成された。この視界を満たしてくれる世界を守る為に、私は今日もナマエとして生きていくのだ。
再び呼ばれた名前に、はーい、と緩い返事をして、私は輪の中に駆けてゆく。陽炎に連れ去られてしまった旧友と色違いの鈴が、リン、と世界の端で鳴いていた。