不在札をひっかけて、眠るナマエを残した家入は足早に学長室へと向かう。開けた扉の先には、既に夜蛾学長と五条が難しい顔をして待っていた。彼らの視線の先には、先程家入自身も見ていたフィルム写真。それは、眠るナマエを撮影したものだった。写真には映るべきものが何も映っておらず、明らかな欠損が見受けられた。今の身体になってから撮った写真には確かに映っていた筈なのに、綺麗に失われていたのだ。
「術式の
「……戻る見込みはあるワケ?」
「アイツ自身が自分に姫彼岸を使えばいい。ただ、それで正常な機能の臓器が戻るのかはどうとも言えないな」
写真の曇りは、本来彼女の子宮が存在する筈の場所にあった。家入の触診でも確認がとれている。きっかけがあったとすれば、未だ聞いていない上層部とのやり取りだろう。話を聞く前に緊急任務が入ってしまった為に、五条も夜蛾学長も、聞けぬままだった。その事情を知っていた伊地知は、任務後のナマエの異変に気づいてすぐに家入に連絡を寄越したのだ。
正直英断だったと思う。
彼女の術式は腹の呪力がものをいう。特に生殖に関する器官は、彼女の術式に於いて重要なファクターとなっている。この事実にいち早く気づけたことは、今後の任務への影響を考えればかなり大きい。顔色が悪かったというのも、術式の源となる内臓をひとつ失い、呪力の乱れたまま討伐任務を梯子したのだから、無理が祟ったのだろう。
「とりあえず本人も気付いてないっぽいから、まずはこの事実をどう伝えるかだと思う」
「硝子、上の奴らとの話が先じゃダメなワケ?」
「それが理由で体調崩したと勘違いされて、はぐらかされても良いならそうすれば?」
うげ、と洩らした五条はだらしなく投げ出していた脚を組み、前屈みに座り直して学長を見上げる。
「夜蛾学長はどうお考えで?」
「……上とのやり取りも気にはなる。が、その前に天元様に謁見してただろう。何か先を見て動いたんじゃないかと思えてならない」
「じゃあ天元様に話聞いてみるってこと?」
「ひとつの選択肢としては、アリだと思っている」
『ならば今から会いに来るとよい』
突然の第三者の声に思わず跳ねた3人は、その声が目の前の呪符から発せられていると気付く。その札はナマエから硝子へと、護身用として渡されたものだった。
「上層部はあの子の呪いが解けてから、如何にして五条家から離すかにご執心のようだな」
「天元様、ナマエは上層部にとってそこまで脅威なのでしょうか」
「夜蛾、それは違う。五条という後ろ盾がある事が気に食わないんだろう」
「は?僕?今更じゃないの?そんなこと」
天元の元に赴いた夜蛾と五条は、真意を掴みかねていた。後ろ盾なんて、そんなのもう何年も前からのことだ。だというのに、今更何を怖がっているというのだろう。五条は思わず眉を顰めて姿勢を崩した。コラ、と言う夜蛾の声はスルーだ。
「昨年の渋谷での独断での行動や消息を絶ったことがひとつ、要因となっているだろう。ナマエも一人の人間で、意思を持って行動できる。そんな当たり前のことに今更気づいたんだろうよ」
「最終兵器とするには都合が悪いってことね」
「うむ、そう言うことだろうな」
そのまま天元は言葉を続ける。少し前からナマエに対して次期天元と推薦する勢力が存在すること。彼女の事情を知らぬ者たちが、早急に五条との間に子を作り御三家の世継ぎを産み、次期当主の安寧をはかるよう提言していること。それらの要求を、五条家のお取り潰しをチラつかせて迫っているらしいこと。
「なァんで天元様はそんなこと知ってるんですか?上層部から聞かされたんです?」
「いや、聞いてない。……あの子の結界術の精度が昇華したおかげだな」
「つまり、天元様とナマエは結界術を介して繋がっている、ということでしょうか?」
「概ねそのようなものだ。実際先程も、彼奴の呪符を通して声を送れただろう?」
元々術式によって天元との適合率を高く出来るナマエである。天元の説明を聞いて色々と腑に落ちた五条は、脳内でどうことを進めていくかを逡巡していた。
「ぶっちゃけ、天元様の席にナマエってどーなんです?いけちゃう?」
「悔しいが、何ら問題ないだろうな。寧ろいつ崩壊するか分からない私よりも、余程安全だろう」
「……胸糞悪ィな」
「あの子のことは結界を通してずっと見守ってきた。上層部の意見を鵜呑みにするには、些か情が湧き過ぎてしまったよ」
ふぅ、と重い息を吐いた天元は手元に持つ何かを見つめながら、暫し沈黙した。一瞬嬉しそうな表情を見せたのが気になって、五条は身を乗り出して手元を覗き込む。それに気づいた天元は見やすいよう目の前に掲げてみせた。水引きで編み込まれた梅の花。決して上手い作りでは無かったが、作った人物が真面目な人間な事だけはその繊細なつくりから伝わってきた。
「これは……あの子が初めて直接謁見に来た時に贈ってくれたものでな。ふとした時に箱から出しては眺めているんだよ」
「ああ、言われてみれば引き取った後、暫く熱心に作ってました。まさか天元様への贈り物だったとは……」
「悪いな夜蛾、確かお前は二つ目の完成品を貰えただろう?」
「ええ、大変綺麗な仕上がりでしたよ」
父と母の娘の取り合いこわ。口にこそ出さなかったが、二人が漂わせる慣れない空気に、五条は堪らず身体を震わせた。
「あの子がまだ笑う事を知らなかった頃を知っている人間としてはね。今の生活を続けて幸せでいて欲しいのだよ。確かに稀有な存在だ。だからこそ、日の当たる場で笑顔でいてほしい。もう、地獄は充分味わってきたのだからね」
ふと五条は気づく。矢鱈と天元からの呼び出しが多かったナマエが、面倒くさがりながらも必ず行き、帰ってくると笑顔だった理由が。きっと互いに自身のことを重ねていたのだろう。ナマエは過去部屋に軟禁されていたし、天元はこの場から離れる事が叶わない。故に、今回のこの呪符経由の呼び出しもまた、ナマエの身を天元が案じていたからだろう。
「ナマエの内臓は姫彼岸を使えば確かに戻るであろう。但し、どれ程の成長分を持っていかれるかは分からぬ」
「命を授かる場所に干渉するから、ですか」
「そうだ。姫彼岸は無から有を生み出す、本来あってはならぬ術式だ。故に対価が必要なのだ」
きっと彼奴を救えるのはお主だけだな。そう言って微笑んだ先には、何処か険しい顔の五条。奇しくも誰よりもあの子を知るのは自身だが、知らずとも救えてしまうのはきっと五条悟ただ一人なのだ。彼女自身が、心から愛してしまったのは彼だけなのだから。