「水引きなら今もやってるよ、修行の一環」

 学長室から預かってきた水引きのキーホルダーをみせると、ああ、と何事もないと言いたげにそのキーホルダーを指に引っ掛けて眺めている。ナマエはくるくると回してながら僕を見上げて「これが何か?」と、とりあえず自宅へと連れ帰ってきて同じソファに座っても座高の差で、いつもと変わらぬ上目遣いで不思議そうに問う。

「僕ぜーんぜん知らなかったんだけど?」
「だって聞かれてないもの。補助監督の車全部に守護の術かけた水引き飾りがぶら下がってるけどね、一応。気づかなかった?あ、呪符の呪力の方が強くて気づかなかったかぁ。へー?ふぅーん?」
「……ごめんって、なに拗ねてんの?可愛いね」
「んんん拗ねてない!!」

 カッ!!と威嚇する姿はさながら飼い慣らされた子猫である。怖さも無ければ、ただこちらを煽るだけのその行為に、果たして彼女は意味があると思っているのだろうか。多分思ってないな。賢いくせに、こういったことにはとことん鈍いのだ、コイツは。だからこそ分からせてやりたいと思うのは、最早男のサガであろう。
 すっかり臍を曲げてしまった彼女を腕の中に捕まえて、少しだけトーンを下げた声を耳元に落とす。それだけで黙り込んでしまう彼女のいじらしい姿は、俺だけが知っていればいい。

「悟くん、明日任務は?」
「あるけど結界の見回りだけだから、お前の水引き買いに行きがてらで平気。行くデショ?」
「伊地知くんに無理言ってない?」

 じとりと訝しげにこちらを見るナマエに、これは伊地知が言い出した事だとありのまま伝える。彼女はまだ自身の身に起きている事を知らない。しかし任務の采配を決めている伊地知は最低限のことを承知していて、また学長からの支援もあり、ナマエが抜けた分と明日だけは付き添っていられるよう調整をしてくれたのだ。なんだかんだ気配りの出来る奴で、以前デートの予定を邪魔した事を何処かで清算したかったらしい。自分の事にはてんで鈍いナマエのそばに居てほしいという気持ちもあったのだろう。皺寄せは優秀な生徒達がなんとか対応してくれる、そんな安心感があった。

「明日は水引きもだけど、ナマエの服も見に行こう。僕が見繕ってあげるから」
「……クローゼットに入るだけにしてね」
「勿論、選りすぐりのやつを買ってやるよ」

 ナマエは度々僕のことを金遣いが荒いと言う。彼女の場合は無欲ゆえに使わなさすぎだが。彼女に代わってあれこれ買うものだから、僕が見繕うと言う度にこの問答は繰り返されてきたが、僕の言葉を聞いて安心したのか、ふにゃりと笑ったナマエはぎゅうと抱きついてきた。先程までの拗ねた彼女はもう何処にも居ない。





 翌日は温かい日差しがカーテンの隙間から差し込んでいて覚醒した。未だ夢の中のナマエは僕の腕の中でぬいぐるみを抱き締めている。みてくれは学長の呪骸と同じだが、あくまでただのぬいぐるみである。幼女の頃に連れ歩いていた呪骸と同じ姿だが、あくまで別個体だ。連れ歩いていた呪骸は夜蛾邸でナマエの帰りを待っているらしい。
 起こさぬようベッドから抜け出して、掛け布団を彼女に掛け直して僕はキッチンへと向かう。サングラス越しでも彼女の呪力がブレているのが分かる。しかし呪力総量に変化が無いのは正直驚いた。果たしてこの呪力を彼女は本気の戦いの場で制御出来るのだろうか。不安は残るが、まずは目の前のことからひとつずつ片付けていくしか無い。僕はかつての後輩が愛していたパン屋の食パンをトースターに入れて、電気ケトルもスイッチを押して彼女が起きてくるのを待つことにした。さて、今日は何処まで行こうか。





「あれ、任務は?」
「買い物しながらチェックしてくから大丈夫、水引き見に行こ、俺にも作ってくれるんでしょ?」

 こくりと頷いたナマエの今日の装いは、桜を思わせる淡い色のワンピースに白いパーカーとデニムジャケットを重ねて羽織り、ブラウンのショートブーツ。普段色彩とは程遠い装いの彼女だが、センスがない訳ではないようで、水引きで作られていたあの梅も、決して単調な色選びではなかった。
 昨日、耳元で囁いた言葉を首肯した彼女は、俺にも水引き飾りを作ってくれるという。どうせなら生徒のみんなにも作りたいと言うので、修行も兼ねてるなら自分で作らせようと提案し、授業で使う水引きだけ選んで貰うことにした。それでも彼らの練習用とは別に彼らのイメージカラーを買う気満々のようだが、ここは好きにさせよう。下手に戦いで呪力を使わせるより、呪力を込めて水引き飾りを編んでくれていた方が、呪力の暴走の可能性も低くて安心だろう。

「へぇ〜、こんなに種類あんのね、水引き」
「最近は水引き細工のアクセサリーとか個人販売してる人も増えてるからねぇ。私も久々に来たけど種類増えてる、どの色にしよっかな」
「ナマエさ、ここで選んでてくれる?俺待ってる間少しだけ"視て"くるから」
「うん、終わったらお互いに連絡でいい?」
「何かあったらその時も連絡しろな」

 彼女の首から下げられたチェーンの先にはきちんと俺の呪力を込め直した婚約指輪が爛々と主張している。間違っても彼女を襲う馬鹿な霊は居ないだろう。そもそもナマエ自身かなりの実力者なのだし、そんな心配微塵も無いが、五条家当主の嫁という立場的に命の危機はいつでも息を潜めている。念には念を、というやつだ。
 予め決めていたルートでショッピングエリアを歩いて、残穢や雑魚を祓っていく。本チャンの呪霊は今の時間では現れないことが既に分かっているので、今やれる事だけを済ませながら目的の店へと足を運ぶ。

「どうも、オーダーしたやつ、出来てます?」





 約束したカフェテリアに着くと、ホイップの乗ったホットココアを飲みながら詩集を捲るナマエの姿があった。事前に伝えた通り、購入した水引きは高専に送るよう手続きを済ませたのだろう。自分はアイスのココアにバニラアイスをプラスオーダーして、スプーンの刺さったそれを持って向かいの席に着席した。

「サラダ記念日?また懐かしいものを」
「良いものはいつ読んでも色褪せないものよ、悟くん。ところで、呪霊は?弱いのは減ったけど若干手強いのが残ってる?」
「流石だね〜。ソイツ、条件が決まってるから面倒くさいんだよね。ま、デートのついでと思えば許せるかな」
「2級くらいだよね。可哀想に……」

 悲惨な死を遂げるであろう呪霊に憐れむナマエだが、自分の任務でもボコボコにしてただろうから、一瞬で楽になれる分、俺が担当で寧ろ良かったんじゃないか。……とは口にはしなかった。学生時代なら多分口を滑らせていただろうが、今の自分にはアラサーの余裕がある。せっかくのデートを無駄にはしたくないのだ。

「ナマエ、どーぞ」
「?なにこれ」
「俺からのプレゼント……っていう名の新しい縛り、かな?開けてごらん」

 以前からずっと考えていたプレゼントだった。今の彼女はもう幼女の姿ではないから指輪を指にきちんと嵌めることができる。それでも結婚指輪を嵌めるでもなく、嵌まらない、小さな婚約指輪をチェーンで首から下げているのは、戦闘中に指輪を傷つけたくないから。それを知ってから、ずっとずっと悩みに悩んで選んだ、世界に一つだけのフルオーダーの逸品。勿論守護の術は既にかけてある。

「綺麗なネックレス、繊細な作りだから付けるのちょっと怖いかも」
「って言うと思ったからそうならない様な術をかけておきました〜……ほら、そのチェーン外して。ほらほら」
「もう、急かさないでよ」

 カップを端に寄せたナマエは、慣れた手つきでチェーンを外して持ち歩き用のアクセサリーケースへと仕舞い込む。次いで未だ開封されたばかりの、主役の石を引き立てる様に連なる小ぶりな石が上品な煌めきを放つネックレスを、彼女はひとしきり眺めてから首元へ寄せてチェーンを繋ぐ。胸元で煌めく石は、元々そこが居場所だったかの様に馴染んでいた。思わず俺は口角が上がる。

「で、これは何用のプレゼントなの?」
「結婚したのにいつまでも婚約指輪をぶら下げてるから、没収するためのプレゼント」
「それだけ?」
「十分すぎるだろ、どーせ結婚指輪に術かけてやっても傷つけたくないとか言ってチェーンに通さないだろーしお前」
「う、よくお分かりで……」

 任務のない日は軽く磨いて指に嵌めてくれていることを俺は知っていた。だから、じゃあ新しい首輪を与えてやろうと、今回のフルオーダーに行き着いたわけで。勿論値段はナマエがドン引きするから言わない。彼女自身も恐ろしくてとても聞く気には慣れないのだろう。ただただ嬉しそうに撫でて、悟くんありがとう、とだけ告げた。





「地下駐車場、まあ車中不倫とか賄賂のやり取りとか……犯罪が蔓延るっちゃ蔓延る場所だね」
「時間になれば出てくるから、ナマエは下がっててくれる?一応呪符は持ってて。でも術式はダメ。戦闘もね」
「分かった。じゃあ帳、下ろすね」

 詠唱無しで帳を下ろしたナマエに少し驚いたが、現存する術師の中で天元様に次ぐ結界術の使い手となれば容易なのかもしれないな、と一人納得してしまった。天元様が「彼奴の結界術は昇華した」と話していたのを思い出す。

「……来たね、低級だけど二匹。いける?」
「誰に言ってンの?」
「……ふふ、これは失礼、最強の術師様」

 低級、とは言ってもあくまで俺たち二人の物差しだとそうだというだけで、実際は二級、うち一匹は一級寄りの奴だろう。俺はポケットに突っ込んでいた右手を出して、掌印を組む。その後は、まるで一瞬、風が吹いたかの様にあっさりとした終わりだった。

「地下駐車場壊さなくて偉いねぇ」
「壊してたらお前修復しただろ、術式使うなって言ってンのに」
「そりゃあね」
「はーい、任務終わり終わりぃー。お前の服見に行くよー」

 肩を掴んでエレベーターへと向き直らせると、くすくすと楽しそうに笑うナマエがはぁい、と幼なげな返事をする。いつもの戯れ、この時そう思い込まずにいたら、未来を変えることは出来ただろうか。未来の俺は、何度だってこの日を思い出すのだろう。





 数日ぶりに足を運んだ医務室には、珍しく耳飾りが主張している硝子の姿があった。水引きのピアス。手術中に外れる事を懸念して普段から付けられるわけではないが、今日は書類仕事が山積みだからと、気分転換につけてみたのだと言う。彼女の隈目がちな表情が、ピアスのカラーがあるだけでぱっと明るく見えるのだから、色の効果は不思議なものである。
 教室に赴くと、今度はお揃いのブレスレットをつけた二年が3人。それぞれイメージカラーの水引きをベースに、石まで編み込んであるし、守護の術が丁寧に織り込まれていた。三年生達にはカニカンをつけたチャームが贈られたと悠仁が教えてくれた。三年生は皆武器袋があったり制服のジッパーだったりと、引っ掛けて置ける場所が沢山あるかららしい。パンダだけは、ペンダントトップにしているとか。





「憂太、何かきーてない?」
「えっいや……聞いてないと、思います」

 悠仁の話を聞いてすぐさま憂太に話を聞きに行ったが、憂太は特別引っ掛かるような会話はしなかったらしい。不気味な程に、普通だったと、そう言った。
 疑心は、確信に変わった。
 駆け込んだ学長室では、きっと彼女が贈ったであろう綺麗に編み込まれた水引き細工と、彼女の筆跡の手紙を見て手で顔を覆い隠してしまった夜蛾学長の姿があった。

「何があったんです、学長」
「急いで天元様の元へ行け、道中でアイツを見かけたら引き摺ってでも連れ戻して来い」





 ねぇ正道。私、きっと寂しくないと思うの。だって、私の守護がきっとみんなを守ってくれるから。私の事を忘れないでくれるから。
 今まで愛してくれてありがとう、お父さん。
 悟くんたちのこと、お願いね。

 正道に宛てた手紙に綴った言葉は、何一つとして嘘じゃない。心からの気持ちだった。どうせいつか最終兵器として死ぬ事を迫られるなら、次期天元様として少しでも生き永らえる道を選ぶ方が良いと思ったからだ。私をそれなりに愛でてくださっている天元様は、初めこそ良しとは言わないだろうけれど、きっと最後には折れてくれることを私は知っている。
 いつか、夏油くんが掲げたような「呪いの生まれない世界」なんて大層なものは作れないけど、結界がより良いものになれば、術者が死ぬ事を0には出来ずとも遥かに減らせることは出来るだろう。

 本当なら、悟くんに伝えるべきだった。

 でも、伝えたら何としてでも止めるだろう、彼は。だから何も言わずにこの道を選んだ。決して死ぬわけじゃない。会おうと思えば会いに来れる。子を成せない身体の私に、選択の余地なんてはじめから存在しなかった。だから、上層部に迫られたあの日から、迷いなどとうになかった。この日を迎えるために、出来ることはやり切った。最悪席に腰を据えてからでも呪符は作れるし、水引き細工の守護だって新しく作れる。だって時間は無限にあるのだから。

「やはり来てしまったのか、残念だ」
「元々こうなる運命だったんですよ、天元様。遅かれ早かれ。そういう術式家系のもとに私は生まれてしまったんです」

 僅かに歪められた口元を見て、自分が酷い物言いをしたと自覚する。けれど、撤回することは今更出来なかった。だって全て本当で、変えようのない真実なのだから。私は、世界の贄としてしか生きられない。ただただ大人の都合で消費されていくだけのいのちならば、せめて生き様や死に様は選ばせてほしかった。

「……五条とは話したのか」
「天元様なら言わずともご存知でしょう?」

 だって、私達はつながっている。結界術を通して、断片的に、情報も感情も交わる。きっと天元様は知っている。五条悟に話せば、この場にいる事は叶わなかったと。私は手元の小箱を開けて、彼の呪力が込められたネックレスと婚約指輪を見つめた。結婚指輪は嵌めたままだ。気持ちに区切りをつけるようにそうっと小箱の蓋を閉じた。
 私はもう、帰らない。……帰れない。



還らずの演者


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