私という存在は、世界に消費される為に存在していると思っていた。蓋を開けてみればその憶測は正しくて、『天元様を保つ為』ただその為だけに生み出された、世界が生き抜く呪われた家系だった。星漿体がいつか途切れてしまった時の為に備えていたが、偶然にも、私の代でその時を迎えてしまった。
ふと思うのだ。
私が星漿体ないし次期天元様の席についた時、私の家系は絶えてしまうのではないか、と。その時、世界はいよいよ"いつか"の時を迎えた時の策を失う。結局は滅亡することを先延ばしにしているだけのように思えてならないけれど、不思議とそれを受け入れている私が居た。
だって愛する人たちを守れればそれで良いから。薄情な私はただそれだけだった。貴方が生きる世界だけでも守れるなら、これ以上幸せな事はない。最強は、始めから最強だったのではない。与えられたものは確かに唯一無二の才能だったけれど、それを生かすも殺すも本人次第だと私は知っているからだ。常に術式の可能性を模索し、努力を惜しまない。だから彼は最強に相応しい存在なのである。言葉が先か、行動が先かなんて面倒なことはこの際置いておこう。彼が確かに最強の呪術師であり、そんな彼が少しでも肩の荷が下ろせるのならば、この贄となる役回りも悪くないと思えた。
渋谷事変の時でさえ、あれだけ困らせ怒らせたのだ。今回は困らせるなんて程度では済まないだろう。それでも、何も持たざる者だった私が彼に何か贈れるのであれば、これ以上のものはないと思えた。先日受け取ったばかりのネックレスは慎ましく小箱の中に息を潜めている。
五条悟くん。貴方は私という、生きる殺戮兵器としてしか価値を与えられなかった人間にとって、眩しいほどに輝く道しるべでした。いつだってそこに瞬く一等星。視界が歪むのは、きっともう、私にとって一等星が必要ないからだ。私はこの場所で、永遠にひとつのことに専念するだけなのだから。私は思考を停止して、そっと目を閉じた。箱の中の煌めきは、蓋に隠されて、もう見ることは叶わない。
ナマエに贈ったネックレスの呪力を一瞬だけ感じて、其方に向かってひた走る。流石の俺でも息が切れそうなほどに、この結界続きの中は複雑怪奇だった。ようやく見慣れた襖を見つけて両手で開くと、天元様の膝下で静かに眠りにつくナマエの姿があった。あどけない表情で縋るように天元様の着物を掴む手は、心なしか小さく見えた。
「待ってたぞ、五条」
「……ナマエを、どうする気ですか」
「前にも言ったろう。私は反対している。ほれ、目を凝らしてよく見てみろ」
促されて抱き寄せた彼女の身体は、僅かばかり袴が緩かった。乱雑に目隠しを下げて目を見開く。術式が作動している。一体何処に?顔からゆっくりと視線を下ろしていくと、腹部の景色に目を疑った。ゆっくりと視線をあげて、天元様の言葉を待つ。今"何が"起こっているのか、事実を理解こそすれ"何故"このような事が起こっているのか皆目検討もつかない。
「術式で呪力を生み出し補ってるんだよ。流石の六眼でも、目を凝らさないと気づけなかっただろう?」
「何故、そんなこと」
「それだけ臓器の損失が大きかった。それだけのことさ」
するりと撫でた頬は、幼い丸みをみせていた。少女とも幼女とも言い難い、その姿に何処か寂しそうな声色で天元様は彼女の名を呼ぶ。深い眠りの底からは決して起こす気は無いらしく、小さな音は空中で霧散した。
「……どうしたら、救えますか」
ナマエの肩を掴む指先が僅かに震えた。本当は訊かなくても分かっていた。でもそれをどうしても肯定出来ない自分がいた。未来のナマエが泣くことなんて、目に見えていたからだ。それでも、きっと目の前のこの人は、その方法しかないと告げるのだろうか。
「五条、お前の考えている方法が一番良い。ただ、もうひとつだけ、方法がないわけでは無い」
地獄を見ることになるがな、そう続けた天元様は小箱を差し出した。開くと中には見覚えしかないアクセサリー達と、見知らぬ包みがひとつ。
「五条、お前はナマエの"最後の呪い"を解く覚悟があるか?」
「……で、その二択ってなんだったワケ?」
「えー、その顔は察してくれてんじゃん。言わなきゃダメ?」
「推測と事実確認は違うだろ。大事なことだが」
「手厳しいねぇ……」
ぱ、と口を開いた硝子の唇から放たれた紫煙は、綺麗な輪を描いて空中を揺蕩っている。風のない夜だった。まるで時が止まっているかのように、紫煙は長いこと形を保っている。おそらくひとつ目の選択肢は、姫彼岸を使って子を作り、五条家の世継ぎを"作る"こと。そしてふたつ目は、彼女の母と同じように、術式を消してしまうこと。母親と違って呪力に恵まれた彼女ならば、術式を失っても十分現場で戦うことが出来るだろう。しかしそれは過小評価しがちな彼女にとって、生きる意味を奪われることと同義だ。きっと頷きはしないだろう。
「無自覚に発動してる術式止める為だけに、なんでナマエが辛い思いしなきゃいけないワケ?上の考え無しな発言の為に?意味わかんねー」
神妙な顔で咥えていた煙草を指先でつまみ、口元を引き結んだ硝子は、ひとつふたつ呼吸をしてから、五条に向けていた視線をふたたび虚空に向ける。彼女の母親は、苦しみから逃れるために無意識に己の術式を"消して"しまった。そして今の彼女は、同じように悩むことから逃げるように、己の術式にとって大切な部分を"消して"しまったのだ。術式ごと消せなかったのは、自分にかけられている周囲からの醜い期待への罪悪感からだろう。
「今アイツは天元様のもとで眠ってる。術式がこれ以上不要な呪力を生まないように、天元様の張った結界の中で」
「ああ、夕方呼ばれて診てきた。前ほどじゃないけど大分喰われたね。また袴作り直しか?」
「あんくれーなら直しだけで十分だろ。それに本人も嫌な顔するだろ多分」
からからと笑う硝子は、五条の言葉を聞いて「違いないね」と言った。学生時代、あれだけ制服を作る事を頑なに拒んでいたのだ。より高価な袴を買い直すなんて言った日には、全力で止めてくるだろうサマが二人には容易に想像出来てしまった。
「……一言言ってくれれば良かったのにな」
「ウチの嫁、ホントこーゆーとこあるよね、どういう教育受けてきたの?」
「私らと同じ教育受けてた筈なんだけどな。で、いつやるワケ?」
「やるのは今でも出来る。ただ、二度と黙って何かを決める事がないように、少し勉強させないとね」
「……あー、ナルホド。まあ日取り決まったら連絡してよ。絶対予定こじ開けとくからさ」
宙を漂っていた折り鶴は突如跡形もなく握りつぶされた。聞き耳を立てていた主はきゅ、と唇を噛み込む。ああ、そっか。空を仰ぎいるのは「君は似た気持ちになったことある?」と夏油に無性に問うてみたいと思った。まあそんなこと今更だけれど。