高専内、トラックのある校庭。そこには生徒を見守り続けてきた由緒ある大木が、景色に溶け込むように佇んでいる。それは私が初めて高専に訪れた頃と変わらず(一回病気に罹った事はあったけれど早期発見で大事に至らず)、今もここに在る。そっとてのひらで触れれば、自分とは違う温もりが交わるような、不思議な感覚を覚える。そういえば渋谷事変の起こる直前、決心の揺らいだ私が寄ったのもこの大木だった。
 悟くんや夏油くんたちの組手(という名の最早取っ組み合い)を眺めるのもこの木陰や木の上からだったし、憂太たち3年生を見ていたのもここだった。悠仁くんの代は指導にガッツリ入ることが多かったから、みんなで寄りかかって木陰で休んだ。
 今の私の装いは、懐かしさを感じる黒いシャツワンピースで、タイツや靴は履いていない。肩がすっかり落ちたワンピースは、サイズが合わないから随分とオーバーサイズに見える。身体が縮んだ証拠そのものだった。

「ナマエさん」
「……どうしたの?憂太」
「戻りましょう、みんな心配しています」
「心配、か……」

 裸足のまま歩いたせいで足裏には細かい傷がたくさんあるだろう。でも痛みなんて感じる事はなく、そのまま足を地面に擦り付けると、憂太から咎める様な声が上がった。

「戻りましょう、お願いです、これ以上はもう」
「何処に戻るの?」
「えっ、何処って」
「今、上層部は私を使いたがっている。私を利用して悟くんを縛りつけたいの。そんなの、憂太も嫌だよね」
「っ、!!」

 私を次期天元様の席につけたいのはあくまでごく一部だけ。殆どの人間は五条家の子を作り、変わらず最終兵器として息を潜めていて欲しいのだろう。天元様の次世なんて私にそのような権力を与えるのは、上層部も望んではいないのだ。殆どの人間は"五条と繋がった私"に価値を見出していて、それを利用してやろうとあれこれ立ち回っているのだ。悟くんは、呪術界を変える為に教鞭を振るっている。その邪魔も、教え子の邪魔も、私は一時たりとも許せない。だから、私は選んだのだ。誰に言われるでもなく、私の意志で。

「みんな幸せになるのに、どうして止めたがるの?君の恩師も夢の為に日々戦ってる。私はその手助けになりたいだけだよ」
「その手助けが本当に五条先生の為になると思ってるんですか、おめでたい人ですね」

 熱くなると途端に口が悪くなるのは変わらないな、とまだきちんと少年だった憂太に思わずふ、と息がもれた。五条悟と同じく在学中に特級となった乙骨憂太。違うのは、まだ彼には青春が残されている事。きっとそれを守る為に悟くんは何も惜しまず立ち向かうだろう。ならば、私も惜しむ事はない、何も。大木に身体を預けて憂太を見つめる。その手首には私が出会ったばかりの時に贈った水引きのブレスレット。流石にもう切れてしまいそうかな。案外武術派な彼だ。劣化が早いのは致し方ないから、今度落ち着いた時に新しいものを用意しようかな。

「ところで憂太はさ、何分時間稼げって言われてるのかなぁ」
「え?!!なんでそれを……!」
「あ、やっぱり時間稼ぎだったんだ」
「〜〜〜ナマエさんッ!!」
「あはは、ごめんごめん。鎌かけたらこんな素直に応じると思わなくて。……しっかり稼がれちゃったな」

 ざり、と砂利を踏む音は僅かに切れ切れの呼吸音も含んでいた。しかし流石は高専所属。悟くんだけでは無い、皆が数回の深呼吸で息を整える。万年人不足の筈なのに、私の目の前には悟くんとその教え子達がずらりと集まっていた。最後尾には正道の姿も見える。

「ナマエ、行くなよ」
「あのさ、私別に死ぬわけじゃないんだよ。会おうと思えば会える。なのにどうしてみんなは引き留めるの?」
「会えるとかじゃねーだろ、俺達のそばに居ろよ。この場にいるみんながそう思って引き留めに来た」

 みんなの真っ直ぐな、けれど迷い揺れる瞳がとてもじゃないけど見ていられなかった。言いたい事、分かるよ。私は結界を通してみんなを感じる事ができるけれど、みんなは会いに来た時しか私を認知出来ない。でも、寂しいのはきっと最初だけ。呪術の世界にいるなら、永遠の別れが突然来るなんて日常だ。再会が許されているだけ恵まれているとさえ思う。

「……悟くんは、私のせいで振り回され続けるのよ、それでも良いの?」
「そんなのプロポーズした時にとっくに腹括ってる。お前も分かってるだろ、ナマエ」
「そう………じゃあ、"交渉決裂"ね。」

 私の呪力が淀み漂う。ああいつから私はこんなに汚れてしまったのだろう。私は足下に置いてあった刀を持ち上げて、そっと鞘から抜刀して構える。悟くんも応えるように目隠しを下げて、その透き通った双眼をこちらに向けた。

「ナマエ、最初で最後の夫婦喧嘩だね」
「ここまでスケール大きいのは中々お目にかかれないね」

 私の身体が限界を迎えるか、或いはその前に悟くんが私を捉えるか。最初で最後の、術式アリの悟くんとの喧嘩が始まる。みんなの手前、悪いけど手は抜いてあげられないから覚悟してね。



アポロ何号だったら君に届くんだい


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