空を飛ぶ鳥は前触れなくその身を地面に伏した。校庭周りの草木は痩せ細り、生命力を微塵も感じられない。唯一害を受けていないのは、彼女から水引き飾りを託された者達だけだった。五条だけは未だ身につけていなかった為簡易領域でいなしたが、それも何処まで耐えられるかも分からない。仮に五条も領域展開をした場合、おそらくナマエが押し負け、一番望まない結末になるだろう。それだけは避けなければならない。
思考が定まらない最中、視界の中のナマエが結界に囚われ、一時的にだが呪力の流れが止まる。
『全く感情に踊らされるとは、かの五条家もまだまだ人間だな』
「……悠仁、じゃなくて宿儺か」
いつの間にか校庭に降り立った悠仁は、意識を両面宿儺に預けたらしい。どのようなやり取りがされたかは分からないが、この場を抑えることには協力的なようで、呆れた様子でナマエを眺めていた。
『安心せい。餓鬼に殺すなと言われておる。多少の手荒は許されたいがな』
「まさかこんな場で呪いの王と共闘するなんてね」
『万が一つにも此奴の命が取られようものなら、妾もただではすまぬからな。やむを得ん』
「はは、上等。で?宿儺サマは何か知ってんの?アレの攻略法」
横目に此方を見た宿儺は思考を一巡した頃に再びナマエの方へ向き直り口を開いた。
『命を操る禁忌の術式。ではその奪った命は何処へゆく?消滅するのか?この術式の本来の意義を考えろ』
「……ナマエはハナから喧嘩する気がなかったってこと?」
『まあだろうな』
奪われた命は何処へゆく?術式がうまれたのは天元様という絶対的存在を維持する為。星漿体を絶えず生み出し続ける為のストッカー。ならばその行き先は、勿論そこにあるのだろう。
ナマエは、自身が星漿体になろうとしている。身体を組み替える為に多くの命を贄にして、その身さえ贄として差し出すつもりなのだろう。そんなこと、お前を対等に見る誰もが望んじゃいないのに。
「夜蛾学長!天元様にコイツの式神飛ばして!!」
「とっくに飛ばした!何をする気だ悟!!」
「コイツ自身が星漿体にならなくても、それだけのエネルギーがあれば天元の呪霊化を先送りには出来んだろ!」
『ほう、愉快な答えだな。また同じ日を迎えるのが分かっていてその選択をすると?』
「この術式への理解が深まれば、もっも別の可能性が見つかるかもしれないだろ」
『おや、これはまた愉快な奴が居るじゃないか』
綺麗に折られて鶴の形をしたナマエの呪符からは、明晰な天元様の声が届いた。愉快な奴、とは表に出た両面宿儺を指しているのだろう。宿儺は嫌悪を隠しもせず、ナマエを囲うように木の枝で何やら書いている。何かの転送術だろうか。
『おい天元、二度と儂の手を煩わせるなよ』
『この子は昔から我が強くてな。だからお主も手を貸したのだろう?違うか?』
『……もう黙れ、不快感で術が狂いそうだ』
目の前で掌印を結んだ宿儺は、ぼそりと聞こえない音量で何かを囁いた。辛うじて意識が浮上し始めていたナマエの耳は捉えたらしい。驚いたように目を見開いて、それから目を細めた。彼女と共に結界の中で囚われていた呪力は一瞬で消え去った。曰く、天元様の元へと飛ばしたらしい。これでむこう数年は確実に意識を保てるだろうと、それだけを言い残して宿儺は意識を悠仁に明け渡してしまった。多くを語る気は微塵も無いようだ。
変わらず結界に包まれたナマエだったが、おそらく彼女なら容易に破壊する事が出来ると宿儺は思っているのだろう。幼女とまでは行かずとも、再びランドセルが背負えそうな背丈になった姿でナマエは沈黙を守っていた。俯いた顔からは表情が読み取れない。付き合いが長くなってもこういう時の対応は苦手だ。物分かりの良い彼女に甘えっぱなしだったと、再認識して反省せざるを得ない。
「五条アンタばっかだねぇー、単純な事じゃんよ」
「五条先生って意外と奥手なのね」
「釘崎、多分ナマエさん相手にだけだぞ」
いつの間にか校庭へと降りてきた面々が言いたい放題に語りかけてくる。その単純が分からないから困ってるんだ。しかしことナマエの事では硝子に頭が上がらないので、黙って二の句を待つ。するとそれを待たずして口を開いたのは悠仁だった。
「ナマエさんはオレが同じことをしたらどう思いますか。止めますよね?オレも一緒っす!こ、今回は自力では無理だったけど……また同じ事があればまた止めます!何度でも、何度でも!!」
ナマエさんに生きててほしいから
ハッとする思いだった。思えば、事の解決にむけて話し合うことはあっても、自身の気持ちを伝えることはしていなかった気がする。生きててほしいから。そんな単純なことを、僕は。俺は。伝えてこなかった。ふと先程の宿儺の呆れ顔を思い出す。言いたかった事を察して苦笑が漏れた。
「ナマエさん今度春の新作コスメ見に行く約束、破るつもりですかぁ?」
「ナマエさん居ないとこの人の暴走誰が止めるンすか。俺は御免ですよ」
「あははははは!言われてるぞ悟ぅ?こりゃあ妹は暫く実家に帰らせていただきますかぁ?」
「しゃけしゃけ!!」
「なんなら女子寮で預かってもいーんだぜ?なぁ?」
「真希さん天才!それ良い!!」
矢継ぎ早に飛び交う言葉にも顔を上げない彼女に最後に声をかけたのは、彼女自身が手を差し伸べた一人であり、今では呪術界の次世代を担う程に成長した少年だった。
「ナマエさん。もう自分を愛してあげてください。あの日、僕にそう言ってくれたように、あなたもあなた自身を愛していいんです。その身全てを自己犠牲にしなくていいんです。もしそうするのであれば、その時は……五条先生が笑って見送れる時に、してください」
高専に来たばかりの頃の彼からはとても想像のつかない朗らかな笑みは、僕だけでは取り戻せなかっただろう。同級生という仲間がいて、心のサポートとしてナマエが居たから今の彼は満ち足りた笑みを携えて此処にいる。
悠仁だってそうだ。誰にでも懐く彼だけれど、そんな彼を保っていられたのだって、つきっきりになれない僕に代わって地下での生活にナマエが寄り添ってくれていたからといっても過言ではない。僕の掬い取れないものを、彼女はずっと見逃さずに掬い取ってくれていた。そんな彼女に、今回の件で僕はきちんと向き合って話し合う事をしただろうか。
「ナマエ、僕と生きてほしいって言ったことあるよね?それは、ただ生きてて欲しいわけじゃないよ。すぐ隣で、笑っていて欲しいんだ。上の言う事が辛かったら抱え込まずに教えて。君の壁を一緒に飛び越えるために僕は居るんだよ」
「……生きてても、いいの?」
ようやっとあげられた顔は瞳いっぱいに涙を蓄えて、溢すまいと懸命に目を見開いてこちらを見ていた。彼女が生い立ちの中でずっと己に問うてきた命題なのだろう。当たり前なんかが存在しない世界で構成されたナマエという存在は、どこまで行ってもその一点だけは自信が持てなかったのだろう。僕は軽い音と共に割れた結界から飛び出した彼女を抱き留めて、耳元で確かに伝わる様に音に乗せた。
「いいに決まってるだろ。生きてくれよ、俺の為に」
視線の交わった瞳は、笑みを浮かべた勢いで一筋の涙が頬を伝った。