「だはははははは!!!おまっ……!!!」
「着せたの悟くんじゃないの!もういい脱ぐ!」
「待ってナマエさん、写真がまだです」
「やめて!恵くんカメラ向けないで!!って悠仁くん達も悪ノリしないの!」

 ある意味多くのものを巻き込んだ"夫婦喧嘩"から数日後、ナマエは高専の2年の教室ですっかり日常を送っていた。変わったことといえば、身長が再び縮んだことで制服を作り直したことと、ことある毎に五条がナマエを担ぎたがることだった。まるで「もう逃さない」とでも言いたげに、見かける度に担がれるのは流石のナマエも恥ずかしいというよりも呆れてしまった。恥は幼児身長の時に失っている。
 そして今現在何が行われているかといえば、いつも通り五条の思いつきによるある種の晒し上げである。身に纏っているのは五条が幼少期に着ていた袴。袴も制服も、新しいものは既に採寸が済んでいるが、それまでの繋ぎとして用意したらしい。
 ここまでは良い。何ら疑問も無かった。
 ナマエを着付けた五条が離席後暫くして戻って来た時には、ナマエの纏う袴と殆ど変わりないデザインの袴を着付けていたのだ。サングラス越しに悪戯が成功したように瞳を細め、私が企みに気づいたや否や、舌を出して品の欠片も無い爆笑をかましたのである。

「一応言っとくけど、昔から老舗のとこで同じ布地で作ってたから同じってだけで、こんなことの為に作ったわけじゃないからね?」
「こんなことって自覚があるのがクズね」
「もっと言ってやって野薔薇ちゃん……」
「でもナマエさん似合ってますよ!」
「悠仁くんんん君絶対途中から察してた顔じゃんんんん何で言ってくれなかったのおおお」
「五条先生の邪魔とか後が面倒じゃないッスか」

 そうだけども!!くあっ!!と叫ぶ彼女は背丈こそ変われど何ひとつ変わらなかった。……そう、何ひとつ。




「私、自分の選択を間違ってたとは思ってないよ。あの時出来る最大値を選んだだけだから」

 きっと最初で最後になるであろう、壮大な夫婦喧嘩のあった日の夜。ソファに2人並んで各々がやりたい事をしていた最中、視線は手元に向けたままナマエはぽそりと言葉を落とす。五条に聞かせると言うよりは、吐露のような、それくらいの淡さだった。

「……みんなの刹那的な青い春を守る為だけに、私は高専にいるから。居て良いって思ってたから。でもそれは正道も硝子も、もちろん悟くんも天元様も守ることなの」
「え?俺も餓鬼判定?」
「だから、まず相談するって発想が無かった」
「聞いて?」

 五条の制止を聞く事もせず、まるで自分自身に言い聞かせる為に紡いでいるように言葉を続けていく。ここで初めて、ナマエはこれまでも、ここまでも、誰かに頼る余裕さえ無かったのだと知る。開きかけた口を閉ざして静かに彼女の言葉を待つ。
 今、此処にはナマエと五条しかいない。インスタントのココアを淹れる為に沸かしているケトルの音が、こぽこぽと妙に耳に入ってくる。それほどまでに次の言葉を聞き逃さないよう、聴覚に意識を向けて緊張しているのだろう。

「きっとこれからも上層部の私を見る目は変わらない。都合の良い武器として利用しようと画策してくる。その為に私の周りの人達を脅かすことを何とも思わないんだ、アイツらは」
「……そう、かもな」
「でもね、私……忘れてたの」

 なにを、と問いかけた口はそっと幼い唇に閉ざされた。珍しい出来事に、五条は目を丸くして此方を見上げる彼女の姿を捉える。溶けるような、何処か微睡みの中に居るかのような柔い表情で再び言葉を紡いでいく。まるで一字一句全てを慈しむように。

「私の周りには強い人達ばっかりだったの。だから、私が守る必要なんて最初からなかった。だって、あの最強の術師の教え子達なんだから」

 かつて色彩を知らなかった彼女のクローゼットは、学生の頃に形だけの色を覚えた。それから数年経った今、様々な経験を経て、正しく彩る事を覚えたのだ。
 ずっと狭い部屋の中で一人孤独に戦って来たナマエは、本当の意味で部屋から飛び出して世界の広さを知った。そこで多彩な色の才能達に触れて、世界は決して強くないことも、けれども一人で守る必要なんてないことも知ったのだろう。

 彼女にしか出来ないことがある。
 そして等しく彼女には出来ないことがある。

「何の為に僕らが居るのさ。確かに術師が死ぬ時は一人かもしれない。けれど、初めから一人で戦う必要はないんだ」

 憂太は寄り添い励ますナマエに救われた。悠仁はナマエを守れるように強くなりたいと、より励むようになった。他の奴らも各々に思い慕っている。それに誰よりも救われているのは、僕だった。そのことに君は気づいているだろうか。……気づいていたらあんな夫婦喧嘩しないか。
 そっと包んだ身体は、矢張り小さい。抱え込んでいるものの大きさを測り間違えてしまいそうな程に、弱々しいものだった。けれどそれこそ測り間違えてはいけない。だって彼女もまた、囲って守る必要なんてないのだから。

「ナマエも僕もアイツらも、自分の身くらい自分で守れるさ。だから……せめて相談くらいはしてよ、何の為の僕なのさ」
「悟くんはもうちょっと日頃の言葉足らずを治してね?」
「あはは、精進しまーす」

 くすくすと笑う腕の中の彼女の呪力は、いつの間にか淀みがなくなっていたが、そんな事すっかり思考の外だった。





「急な謁見だからって殆どお揃いの袴って……」
「いや似合ってるよ?ナマエ」
「あんだけ笑っておいてよく言うよ……」
「おや、兄妹での謁見予定なぞあったかな?」
「天元様!昨日は有難うございました」

 ばっと勢いよく頭を下げたナマエを見て天元の表情は何となく柔いものになった気がする。改めて天元とナマエの付き合いの長さと深さを感じて少し複雑な思いだが、まぁ本人が嬉しそうだから良しとしよう。
 崩れかけていた正座を正して改めて向き直ると、天元様は徐にナマエの腹部へと手をかざす。まるで何かを探るような手つきで、慎重に。

「……うん、これなら問題なさそうだ」
「天元様、私の何を見てたんですか?」
「やっぱり気づいてなかったのか、まさか五条もか?」
「確信が無かったんで。どーせこの場で言われるだろうと思ってましたし」

 目を丸くした彼女がえ、え、と疑問で脳内が溢れているのがよく分かって思わず吹き出す。サングラスを外して改めて彼女の呪力の流れを追う。矢張りそこにあるべきものがきちんとあった。

「天元様、ナマエの内臓器官は"全て"補完された。そうですよね?」
「ああ。それどころか、領域展開なんて無茶をしたお陰で、恐らく前以上の出力なんじゃないか?六眼には如何様にみえる?」
「いやー、元々化け物だった奴が跳ねたら次は何になるんですかね?悪魔?」

 珍しくくすりと笑う天元様にぽかんと口を大きく開きっぱなしのナマエ。対照的な反応の二人の姿を思わず撮影したら、ものの見事にナマエにスマホを奪われた。

「………で、態々ナマエだけでなく私まで呼んだのは、他の理由があるからですよね」
「二人に、渡したいものがあってな」
「二人?私と悟くんに?」

 綺麗な桐箱は手のひらサイズ。躊躇いなく開けてみると中には「安産祈願」の四文字が刺繍されたお守り。流石の出来事に二人揃ってその場でフリーズしていると、けろりとした調子で天元様が「言っただろう、全て補完された、と」とダメ押しの一言を添える。……それってつまり、そういうこと?思考が追いつくより先に天元様の御前だとかそんなの考える暇も無くナマエを抱き締めていた。
 別に子どもが絶対欲しいとか、そんな風に思っているわけじゃない。でも、いつかナマエがそんな未来を望んだ時に、選択する余地がある方がいいと思っていた。まあ身体は再び後退してしまったから随分気の長い話になるかもしれないが、来たる日に、ナマエがしたいように出来たらと思っていた。だからこれは子どもを作れることへの感動ではない。愛する彼女の選択肢が増えたことへの喜びだ。
 桐箱に蓋をしてその場を後にする。繋いだ手の先では少しだけ頬の紅いナマエがもごもごと口を動かしている。

「悟くんは、子ども、欲しい?」
「僕は、暫くはナマエと2人きりを楽しみたいかな。どうせその身体でしょ」
「じゃあ、出来る身体になったら?」
「んー、その時は……また2人で考えたらいーんじゃないの?」

だって僕らは一人じゃないから。



未来の産ぶ声が瞬いた


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