「迅、お前ナマエと何あったの」
「林藤さんまだ聞くの〜?それ」


君と独白く土曜日



 今日の会議は散々な目に遭った。未来視で注目される事は分かっていたけど、まさかナマエの事だとは思わなかった。今日の自分は決して上手い対応が出来てなかっただろう。あの場では「まあ迅もお年頃ですから」と余計な言葉を添えつつも場を諫めてくれたのに、帰りの車中という、逃げ道のない場所で改めて聞くのは中々に狡い大人だと思った。流石は俺の事をよく理解してるな、と少し肩をすくめてしまう。

「こないだウチ泊まったでしょ?アイツ」
「小南のカレーに万歳してたな」
「あの日泊まってけって言ったのさぁ……俺なんだよ」

 へぇ?と続きを促す様なリアクションが返って来る。俺は何から言葉にしたらいいか悩んだ。話したくない訳ではない。伝え方を忘れてしまったのだ。
 日が暮れてから降り出した雨は、雨足を強めていた。きっと今夜はもう止まないだろう。強めの雨音が心地良かった。雨音に吸い取られてしまったらいいな、なんてこんな狭い車中であり得ないのに、そんな狡い事を思いながらあの日の事を思い返した。

「アイツがあの日の夜、何故かは分からないけど1人で泣いてる未来が見えたんだよ」

 本当は月曜日の時点で、可能性の低い未来として視えていた。日中見かけた時は思わず呼び止めようとしたが、ナマエを引き止める理由を俺は持っていなかった。
 夜の任務で彼女の声が聞こえた時は驚いた。元々別部隊がシフトに入っていたはずだが、代打を頼まれたのだと言われて納得した。その後のやり取りで上手く釣れたら、もう一度『視』直すことが出来る。そう思って夕飯にかこつけて玉狛に来る言い訳を用意した。そして任務後、合流したナマエを視て罪悪感に襲われた。

 泣く未来が色濃くなるきっかけは、俺が玉狛に呼ぶことだったと気づいたからだ。

 彼女が泣くのは、1人孤独に嘆いてのことだった。ワンルームの部屋で誰も見ていないのに、声を殺して泣く姿は酷く痛ましかった。
 久しく、それこそ何ヶ月前か分からない、それ程に彼女は孤独に慣れてしまっていた。1人で居る事に支障がないよう、自ら引いた線から決して踏み出さないように。そして踏み込ませないように。
 しかしそれは遊真がやってきたことで揺るがされた。今まで1人で居る為に「近界民だから」と言っていたのに、ナマエは遊真を守る事を優先した。彼が来て以来、その言い訳を使う事をやめたのだ。そうして彼女は、1人で立つだけでも危うさがあったのに、そっと片足を地から浮かせて片足立ちでゆらゆらと、一層危うさを増している。

 それなのに、俺が踏み込んで、その曖昧になってしまった線引きを揺るがしてしまったのだ。彼女の孤独感への言い訳を、多分俺が奪ってしまったんだろう。

 月曜日の誰かと食事を共にするのが久々で、その日は余韻で過ごす。火曜日は忙しないスケジュールにあまり寂しさを感じる暇が無かったようだ。そして運命の水曜日、あいつはひと区切りついた時、ワンルームの孤独感に泣き崩れる。その映像は俺の中に何度も流れ込んできた。まだ変えられる。分岐は、どこだ。
 悪足掻きだと分かってても、せめて視える範囲では泣かせたくなくて、遊真に「月曜のお礼って言えば来るよ」と伝えた。俺が連絡する未来もあったけど、遊真に連れてきてもらうことにした。そちらの方が可能性は高かったから。
 泊まってけ、と言ってその日の彼女は泣かない未来が確定した。でもそれは結局その場凌ぎの慰めにしかならない。そして翌朝の木曜日、彼女は俺からのおかえりに終ぞ返答はなかった。もう玉狛−旧ボーダー基地はナマエにとっての帰る場所ではないと、言わせてはいけなかったのに、結果的に言わせてしまった。今の所視えてはいないが、近い未来、きっと彼女は泣くだろう。

「泣くことが問題なんじゃないよ。それぐらい限界がきてるってこと」
「迅お前、もう嫁にして連れて帰って来いよ」
「はぁ?!!」

 突然のぶっ込みトークに思わず声が裏返った。車中であることも忘れて身を乗り出そうとしたが、シートベルトのおかげで俺の身体は見事に助手席にダイヴした。
 なんて事を言うんだ、この人は。俺たちまだ19歳だぞ、正気か。信じられない、と思いながら林道さんの横顔を見ていたが、外からのライティングで見えた林藤さんは、決してふざけてはいなかった。本気、とは少し違うけど、それぐらいの気持ちであれと言いたいのだろう。

 俺は『あの時』、なんて言葉を掛ければよかったのだろう。
 昔は温かい笑みを向けてくれていたのに、いつからそれすらも仕舞い込んで作り笑顔で強いフリをする様になったのだろう。
 そうさせてしまったキッカケは、はたして何だったっけ。

「迅、これはお節介なオヤジの言葉だと思って聞いてくれればいい。」
「……なに?」
「お前はもっと欲張っていいんだよ」

 ああいつ奴ほど押しに弱いモンだぞ、と悪い顔で笑っていた。狡い男っていうのはこういうことを言うのだろう。でも確かにそれはナマエにも当てはまるな、と納得してしまった。昔から俺がゴネてゴネて、最後にはナマエが折れるのだ。それが俺なりの甘え方であったし、彼女の甘える理由を与える事にもなっていた。気付いたのは彼女が玉狛を去って暫くしての事だった。

「アイツさぁ、玉狛いた時俺の忠告全然聞いてくれなくて大喧嘩したことあるじゃんか」
「いやー後にも先にも喧嘩らしい喧嘩してたのあの時だけじゃない?お前達」
「今とは正反対の対応だったからなーナマエ」

 そう、昔の彼女はてこてことついてきては、今の遊真のようにあれはなに、これはなに、と己の探究心のままに俺を振り回していた。そして俺は喜んで振り回されていた。みんなが俺の未来視を信じる中で、いつでも最後まで疑ってくれたのは彼女だけだった。
 月曜の任務だってそうだ。本当はあの日彼女が処理した開きかけの門、完全に視落としていた。正確には、早業すぎて気づけなかったんだな、とその時を迎えてやっと理解した。

 彼女はいつだって俺の未来視を過信しない。

 それは、全てを俺に背負わせないようにという、彼女なりの優しさだった。俺はその優しさにいつも救われていた。きっとこの密室に於いては、わざわざ言葉にする必要は無いだろう。
 遊真に仲が良いのか悪いのかを聞かれた。半分は当たりで半分ははずれである。彼女は俺の心を案じているのだ。心から心配してくれているのだ。俺が視逃しても、切り捨てることを迫られても、俺が救えなかったものを彼女は救うのだ。だから、彼女は俺の予知を過信せず、鵜呑みにせず、いつだってファイティングポーズをやめない。
 あの日も俺が「平和だよ」と言った後の左手にはキチンとトリガーが握られていたのだろう。そうじゃなきゃあんな早技、無理だ。

「迅お前、今でもアイツのこと好きなんか?」
「え?何々みんなして。パワハラ?」
「みんな?」
「遊真が反抗期、俺限定。何があってもナマエの肩持つよって宣言されちゃった」

 遊真のやつナマエに懐いてるからなーと林藤さんはどこか楽しそうだ。人の不幸で酒飲むつもりか。
 旧ボーダーの所属メンバーには今更隠しようのない事なのだろう。俺は確かにナマエのことが好きだった。幼少期から過ごしてきた事もあって家族愛のようなものも未だ色濃く存在するだろうが、流石の俺でも恋愛的な意味が含まれていることは理解できた。今までも、これからも。
 少なくともあの頃のナマエは同じ気持ちだと思っていた。戦闘中こそそんな素振り見せなかったけれど、換装体さえ解いてしまえば普通の女の子だ。作ってくれた飯を美味いと言えば嬉しそうにしたし、物資の買い出しに俺だけ連行されかけた時はナマエも一緒じゃなきゃ嫌だと随分とごねたものだ。その度に頬を少し赤ながら「迅は仕方ないなぁ」なんて言いながらも、満更でもなさそうな顔で着いてくるのだから、大人たちも早く捕まえてしまえだの何だの言ってきた。……あの頃キチンと言葉にしていたら、未来は何か変わっていただろうか。

 ナマエは、死なない。余りある強さと信頼から、そう思っていた。未来視で視える最悪の未来ですら、彼女は生きていた。幼い頃の俺は、彼女との模擬戦で勝ち越したことがない。今手合わせをしたらどうなるかは分からないが。
 現ボーダー体制になって毎日未来視が出来ない距離に行ってしまってからは、同じS級だったから任務でも会うことが叶わず、遠く離れた場所からただその強さを信じることでしか、俺は俺を保つことが出来なかった。

「迅は自分の事になると途端に不器用になるんだよなァ……ナマエだって立派な女の子だぞ」
「俺が一番知ってるよぉ……」
「ははっ!かの迅悠一でも、好きな子の事になると形無しだな」
「……俺のこと何だと思ってんの」
「初恋拗らせた少年と、自己犠牲の塊で、少年を日々苦しめるお転婆な女の子」

 しゅるる。林藤さんのシートベルトが縮んでいく音に、ああ玉狛に着いたのか。とぼんやり理解した。早く自分も降りる準備をしなければと思っているのに、身体は貼り付いたように助手席から動かなかった。深く座り込んだ俺の視線は今も強い雨が広がっていた。フロントガラスを打ち付けては、収束して溜まり切った水滴が自重で流れていく。

 カチャン。
 音がした方を視線だけ向けると、それはドアを開けた音ではなくシートベルトを閉め直した音だった。驚いて顔を上げると、どこか悪巧みを考えている表情で俺を見下ろしている。なんで。少し先の未来を覗き見て、ただただ何故、という疑問が頭の中を反芻した。

「なぁ迅、俺がこれから車を出す事で、大規模な震災での被害が増えるとか、あるか?」
「いや、それはない、けど」

 むしろ救われる命が増えるくらいだ。どの未来に分岐しても。

「よし。じゃあ行くか」

 車は再び走り出した。支部の玄関には、傘の中で呼び止めることもなく、此方を見ている小南の姿。しっかりしろ、と言われているようで居た堪れなかったから、俺はナマエの為の言い訳を見繕うことにした。そんな思考力、もう残ってなかったのだけれど。

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