夜勤はなかなか入れる人が限られているので、私や迅といった、1人で一部隊扱いの人間が当てられることも多い。とはいえ今の迅は風刃を常備していないので、その辺りどうしてるんだろうとは思うが。成長途中の混成部隊に放り込んでも良い刺激になるのかもしれないな、とあれこれ考える。
びり、と頬を掠めた違和感に其方を見つめた。門出現のアナウンスがけたたましく辺りに鳴り響く。全容を捉える前にいつもと違うことに気づき距離を取る。無線越しに指示を仰ぐが、何故か無線が機能していない。規格トリガーからの緊急アラームが鳴る様子は無い。
(妨害電波でも出てるのかな……?)
ずるり、と人が1人。そこにトリオン兵の姿は無い。対話で解決するかもしれない。私は右手のポケットに仕舞われた黒トリガーをぎゅうぎゅうと握りしめながら冷静を装う。月明かりの逆光は未だ相手の表情どころかシルエットすらぼかしていた。
「私はナマエ。この国を守る者。でも不要な戦いはしない主義。貴方の目的はなあに?」
「素敵な主義ね。それで済むなら私も助かるわ。私の目的は貴方よ、ナマエ・苗字」
「その呼び方嫌いなの、やめてくれる?」
「あらごめんなさい。でも苗字の名を貴方は未だ捨ててない、そうでしょ?ナマエ、唯一の生き残り」
腹の底から不快だと思った。それでも顔に出してはいけない。交渉術に於いて、先に冷静さを欠いた方が喰われる。相手が一歩、また一歩こちらに近づいて来ると、ぼやけていた表情が少しずつ明るみに出て、ハッキリした頃には私は足が縫い付けられたようにその場から動けなかった。最初の国を出た時に見た母とそっくりの様でまるで似ていない、この女の顔が私は大嫌いだった。
「おばさん老けた?何の用?」
「やだわ、仮にも貴方の母様の姉よ?敬いの気持ちはないわけ?」
「はは、お母さんはお前のせいで生贄にされたも同然なのに何を言うの?周りを騙して得た短い余生はどう?楽しめた?」
幼いながらに覚えている、本来忘れていてもいい、忘れてしまいたかった記憶の断片達。国を保つための生贄に選ばれてしまった叔母は、瓜二つな双子の妹−私の母を上層部を騙して差し出したのだ。
それに気づいた父は、いずれこの事実を知る私たち家族が消されてしまうことを懸念して、国を飛び出した。泣きじゃくる私と、それを抱き上げて下唇を噛み締めた兄、幼い子ども2人を連れて。
「で、何?秘密を知る私を消しにきたの?」
「いいえ、それだったら念入りに調べた挙句、こんな堂々と姿を見せるようなことしないわ」
「……お母さんが寿命を迎えた、大方そんなとこ?」
沈黙は肯定。最近の違和感が一気に晴れていく。とくに月曜日の門、あんな至近距離で開くことはそうそう無い。おそらく私の下調べだったのだろう。その後も任務では度々似たようなことがあった。けれど門が開き切る前に処理出来るならそれが一番だと、鬼怒田さん辺りは喜んでいたのは記憶に新しい。私もそう思っていたから、過去なんて蓋をしていたから、気づけなかった。これは私のミスだろう。下唇から血の味がした。
「生贄が予定より早くバテてしまった所為で、入れ替わりがバレてしまったの。殺される覚悟もしたんだけどねぇ。救済措置として、貴方という貴重な戦力を迎えに行けば、他の人間を生贄に充てるとおっしゃるの」
「クズばっかだね、行かないよ」
「最後の血縁者を助けてよナマエ、ね?」
「もういい、黙って」
私は右手のトリガーを握りしめた。相手は地位に胡座をかいて碌に戦闘経験を積んでない女が1人。捕らえて情報を吐き出す必要もない。私と父があの国のことは全部ボーダーに話してあるから。衰退の一途を辿るあの国が、繁栄して情勢が変わっているとも思えない。本来なら選ばれなかったはずの母の娘、即ち私を探す程なのだ。捕まえる必要などない。そこまで考えたところで、私の視界は赤一色の地面へと成り果てた。
「ナマエ、帰ろう」
「……迅」
彼女の右手には兄の形見でもある黒トリガーが握られていた。しかし刃先が汚れているのは確かに左手のボーダー規格のトリガーだった。視線は未だ血溜まりと、門があったであろう場所をぼんやり見つめていた。おそらく死体は相手方に回収されたのだろう。
結局林藤さんは来なかった。近くに待機はしているが、お前だけの方がいいと言われたからだ。瓦礫の上、ナマエと俺だけが月明かりに照らされていた。
「ナマエ、お前……」
「似てたでしょ?お母さんとおばさん、一卵性双生児だったの」
はは、迅読み間違えてるよ?と虚空を見つめる視線が少しだけ細められた。母親じゃなかったことに安堵するべきなのか、俺にはわからなかった。彼女達の事情は、ナマエの父親から聞いていたから知っている。だからといって生者を切る事に傷つかない程、ナマエが出来た人間でないことは、俺もよく知っていた。すっかり三門に馴染んでしまった彼女は、戦争の日々を思い出すたびによくパニックで泣いたり体調を崩したりしていた。小さい頃の話であって、今はその片鱗すら見せないのだけれど。
「躊躇いなく人を殺せる、私はやっぱり近界民らしいね。笑っちゃう」
「そんなことないだろ、やらなきゃやられる。お前は出来ることをやったんだろ」
「迅の未来視もそう言ってた?」
ナマエは未来視を信じない。正確には信じるけれど、最後まで疑い抜く。本当に正しいのか。視落としはないか。そういった時に俺が自分自身を責めることがないように、己が宙ぶらりんの、何にも属さない存在でいる事を彼女は選んだ。選ばせてしまったのだ。
「未来視じゃない、俺がそう思ってる」
「珍しいことを言うね、らしくない」
「玉狛に帰ってきてよ」
俺の消え入りそうな声はきちんと伝わったのか、言葉の意図を探るかのように換装を解いたナマエはこちらをまじまじと、珍しいものをみたとでも言いたげに見つめている。
意図なんてない。未来視とか関係ない。これは単なる俺の我儘だった。
出来るだけ毎日帰るようにするからさ。今日も明日も生きてるよって、顔を見せて安心させて欲しかった。そして、願わくば旧ボーダーの時のように、玉狛を居場所として、寄りかかる場所として選んで欲しかった。玉狛支部が始まるよりも前から、空室がひとつ、ずっとお前の帰りを待ってるんだ。この話をするより先に出ていく事を決めてしまっていたから、部屋にはずっと主人は居ない。遊真たちの部屋決めの時ですら、誰もあの部屋には触れなかった。
「ナマエ、帰ってきてよ、俺のみえない所で泣かないでよ、悩んだ時は一緒に悩むよ。泣きたい時はせめて俺の傍で泣いてよ」
「迅、無理だよ」
「無理じゃないさ、俺のサイドエフェクトが言ってるんだから」
選択させる気ないじゃない、と俺に抱きついて涙でぐしゃぐしゃになりながら笑う彼女は、やっぱり年相応の女の子だった。
車に戻った後、林藤さんと共に事の全てを聞いた。林藤さんはそうか、とだけ言って俺とナマエを彼女の住むアパートの前で車を停めた。てっきりイレギュラー報告の為に本部に戻ると思っていたので未来視で視た時は驚いたが、前準備の無かったナマエの方がよっぽど驚いただろう。
「今後また接触が無いと、100%言い切れるわけじゃない。なら迅預かりにしとくのが得策、だろ?」
「林藤さぁーん……」
「ほら諦めろって、どうせ荷造り時間かからないだろ」
そう、俺も旧ボーダーのみんなも知っている。彼女が玉狛を去ってから、荷解きらしい事をしていない事を。必要最低限だけを引っ張り出して、買い足した家具はせいぜいカーテンぐらいのものだろう。布団は床敷きだしテーブルは段ボールだ。テレビはなくても困らないらしい。便利な世の中である。いつだったか、「一国のニュースだけ読んでると情報が偏るから」とか言って、外語まみれの新聞を広げていた事を思い出す。
結局彼女の荷物は、いつもの大きなバックパックに海外旅行でもするのか?と思う様な90L越えのトランクひとつと、いつもテーブル代わりにしていた段ボールひとつだけだった。それだけ?と訊ねたら「荷物が多いと私の死んだ後手間になるでしょ」とにべもなく言い切った。
日付を跨いで随分経つのに、玉狛支部には明かりが灯っていた。段ボールを抱える林藤さんは事情を知っていたのかニコニコと笑っていてもナマエに教える気はないらしい。俺は林藤さんから視えた事柄に、呆れと少々の満更でもない気持ちを込めて、ため息をついた。ナマエのてからトランクをひったくって、代わりに新しく用意しておいた支部の鍵を手渡す。昔から変わってない鍵の形状に、そろそろセキュリティ考えた方がいいね、なんて、今から起こる事を考えたらなんともどうでもいい話に空返事をした。
「おお、ナマエさんおかえりなさいませ」
「ナマエ〜!!アンタどんだけ待ったと思ってんのよ!!」
陽太郎起きるだろ、と小南を嗜める林藤さんと嗜められた小南、そして眠る事を知らない遊真。ぽかん、としているナマエがおかしくて、俺はダメ押しの一言をかける事にした。
「おかえりナマエ、待ってたよ」
振り返った彼女は、今度こそ嘘偽りのない満面の笑みを浮かべて、俺たちに「ただいま」と伝えたのだった。