「……で、気分はどう?ナマエ」
「悪くない、かなぁ」

 あの後遊真くんはそのままカゲくん、嵐山と共に本部へ向かった。残された私と迅は、玉狛支部へと続く河川沿いを、ゆったりとした足取りで進んでいた。結局何処まで視えていたのか訊ねたが、みてないよ、と簡潔な返答が返ってきた。ちなみに遊真くんのお墨付きだ。
 河川沿いの桜はすっかり散ってしまって名残惜しさもあるけれど、新しい命が芽吹き始めている。新芽を包むような柔らかい風が、私たちの間をすり抜けていく。

「なぁナマエ、今日来る前、遊真に何話したの?」
「んー?私は化け物だなって話。そうでもなかったかもって今は思ってるけど」
「お前が化け物ならボーダーは魔窟だな」
「茶化さないでよ迅」
「茶化してないよ、茶化してない」

 そっと私の手を掬い取った迅の目は、まるで私を慈しむようで少し頬が、あつい。ふ、と笑って再び歩き出した迅は未だ私の手を緩く繋いでいる。私は彼の気持ちに応えるようにぎゅっと握りこむ。すると驚いたのか少し跳ねた様子だったけれど、何事もなかったように繋ぎ直された手は互いの指が交互に絡まっていて、まるで逃がす気はないとでも言いたげだ。そんなこともう無いよって言いたかったけれど、心配性の彼はもう少し経たないと信じてくれないだろう。私のこれまでの行いの末路である。

「ねぇ迅。次の会議、一緒に行ってくれる?」
「勿論、貴重な意見出してよ。仲間なんだからさ。もう全体通信で言われるのもヤだろ?」
「やめてよ、アレほんと黒歴史……」

 ガロプラ戦の夜を思い出してゲンナリした。せめて私宛で良かったのに、敢えて全体にした辺りに皆の性格が出てると思う。それでも貴重な意見だと迅にも肯定されて、少しだけ前向きに捉えられるような気がしてしまう。なんてチョロいのだろう私。
 あ、と足を止めた迅は暫し沈黙する。これは大抵何か未来が流れ込んでいる時だ。邪魔をせぬよう黙って河川を眺めていたが、不意に名前を呼ばれて振り返ると酷く不機嫌な顔の迅が此方を見ていた。一応不機嫌の原因は私ではないことだけは理解できる。

「今夜、ていうかこの後?ちょっと付き合って。ガロプラと接触する」
「……戦うの?」
「いや?戦わない為にお前が必要。相手も戦う気はハナから無さそう」

 今度は私を通して未来を見ているのか、視線が合うようで合わない。見終えた迅に不思議なことを訊かれる。ハッとした私は何度も頷き、2人支部への道を急いだ。





「すっごく小さい頃に、ガトおじさんに貰ったイヤリング。親交の証に渡しとくって言われたの。迅が未来視したのは多分これじゃないかな」
「これ、夜出る時付けててくれる?」
「分かった、他は?」
「んー……今の所見えてないかな」

 近界を旅していた頃の小物程度の荷物は、一度も開けずに小物入れも兼ねたオルゴールの中に入れたままだった。まさかこうもあっさり開ける日が来るとは思わず、懐かしいメロディに耳を傾ける。

「このオルゴール。元々母様のものだったんだけど、良く寝れない日に聴かされてたの」
「……良い曲だね、優しい音だ」
「うん。叔母様の身代わりになった時、これを渡されたの。中身もそのまま……母様の遺品になっちゃった」

 以前叔母が私だけを狙って玄界に来た時の話が本当ならば、もう間も無く母の命は尽きる。どちらにせよ、星の贄となった者とは二度と話すことは叶わない。私に出来るのは、遠く離れた場所から少しでも安らかに眠って欲しいと祈る事だけだった。
 元々生命力もトリオン量も多いわけではない母が、叔母が来るまで星の贄を全うしていたことに驚いたくらいだ。星を渡る旅の中で、父に何度も「お母さんと、新たな出会いを忘れるな」と言われ、親交の証やプレゼントで入るものだけはこのオルゴールの中に入れるよう言われていた。三門という終点に辿り着いてからは一度も開かず、奥底にしまい込んでいたオルゴール。開けてしまったら揺らいでしまいそうで怖かった。だというのに呆気なく開けさせてしまうのだから、迅は凄いと思う。

「ねぇ、出るまで少し時間あるから、中のものがどんな国で貰ったものなのか、教えてよ」
「はは、多分全部紹介しきれないね」
「いいじゃん。俺たち別に今日だけの命じゃないし」

 迅の瞳は優しく私を見つめている。そうだ。父が終点にこの場所を選んだのは、残された私が生きていけるように祈ったからだった。私は亡き家族を想いながら、迅の指差すひとつひとつにまつわるエピソードを話し始めた。不思議と涙は出なかった。





 夕方頃、イヤリングに合わせて、ゆったりとしたワンピースに白のロングカーディガンを羽織り、リビングへと降りる。まだまだ夜は冷えるので、念の為迅に貰ったストールを肩にかけた。帰りはきっと首に巻くことになるだろう。
 賑やかなリビングでは、陽太郎が楽しそうにヒュースくんに絡んでいた。今回はどうやらお子様……というよりは雷神丸の鼻が必要らしい。林藤支部長もゆっくりとソファに腰掛けて残り少ないコーヒーをあおる。

「ナマエ、行けるのか?」
「行きますよ、私に出来る事があるなら」
「んー…そうじゃなくてね、俺も迅と同じなの」
「同じ?」
「てか上層部皆そう。お前の事は娘のように思ってるし、無茶はさせたくないワケ」
「……心配性な父ばかり持っちゃいましたね」

 亡き父が此処を終点に選んだ理由を改めて痛感する。一人暮らしの頃は、月に1,2回城戸さんにちょっといいレストランに招かれ、トリガー整備でエンジニア室に行けば、最近どうかと鬼怒田さんに声をかけられた。些細な事で落ち込んでると何故か唐沢さんが現れて、何も言わずにペットボトルのミルクティーを手渡してくれた。根付さんは私の事務処理能力を買ってくれていてしょっちゅう手伝いを理由に呼び出す。忍田さんは下手な言い訳もせずにストレートに「最近どうか」と聞く為だけに呼び出すのだから、本当に、心配性な父ばかり持ってしまった。そうさせているのは私なのだけれど。

「オッサン達のお節介だけどね、お前は大切な仲間でもあるけれど、戦友から託された宝物でもあるんだ。あまり自分を蔑ろにするなよ」
「……うん、ありがとう、林藤支部長」

 少し照れくさくて、膝下丈のワンピースの裾を見て顔を上げる事が出来なかった。そこで迅の声がかかり、いよいよご対面の時間が来る。相手はガトおじさんではないらしいが、イヤリングに反応する相手がいるらしい。未来視の反応的に、私の知ってる人ではなさそうだと聞いて、少しだけ残念に思った。
 迅と林藤支部長が先に玄関を出て軽い打ち合わせをしてる間に陽太郎が靴をせっせと履くのを見守る。ふとストールを引っ張られたような気がして、玄関口に腰掛けたまま視線だけ背後へと向けると、いつかの迅みたいにヒュースくんが立っていた。どうかした?と訊ねても中々口を開かない。彼はあまりコミュニケーションを自主的に取れる子ではないから、時間の許す限り待つ。靴を履き終えた陽太郎に先に出ててと伝えて、ショートブーツのジップを閉めた私は玄関で立って同じくらいの目線に立つ。

「……気をつけて、行ってこい」
「え、」
「ほら、先輩が呼んでるから行け」

 たったそれだけの言葉に、どれだけの勇気と想いが詰まっているか、私は知っている。玄界では殆どあり得ないけれど、近界ではこんな何気ないやり取りすら最後になることだってあるのだ。それだけ気を許してくれたのか、はたまたそれだけ私が危なっかしいと思われているのか分からないが、言葉にしてくれた気持ちは嘘じゃない。私はいってきます、と小さく返して玄関外の迅の元へ駆け出した。

光なのだと信じていたい

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