トリオン兵から救助された捕虜は、全員が国の方針に異議を唱えた者たちだった。私の両親も目を付けられているのを悟っていたからこそ、父は幼い子ども二人を連れて国から玄界まで逃げ仰せたのだろう。母様は王族の血縁者ゆえに国を離れられなかったが、今この三門に現れたということは、もうなりふり構っていられる内政ではないのだろう。目覚めた彼らの話を聞くに、恐らく私が赴くまでもなく、国は崩壊に向かってゆくのだろう。

 私はどうも母様の面影があるらしい。形式上捕虜として治療を受けている祖国の彼らは、迷い無く私の無事を喜んだ。兄や父のことを伝えても、あの状況で一人でも命があるなら奇跡だと皆が喜んだ。当時の私の記憶は断片的かつ酷く朧げで、彼らの喜び様からようやっと己の命の重さを知ったような気がした。





「ナマエさん、ナマエさーん」
「……あっ、ごめん遊真くん」
「嬉しくなさそうだね?みんな無事だったのに」
「うん、正直複雑、かな?」
「フクザツ?」

 玉狛支部の屋上、手すりに身体を委ねる。心の燻りを上手く言葉に出来ないことが、こんなにも苦しいものかと思わず溜め息が漏れてしまう。察しのいい遊真くんはとてとてと隣に並び、「ゆっくり受け入れていけばいーよ」といつもの調子で言った。これは近界民じゃなきゃ言えないな。
 私が有難うとお礼を言えば、ちゃっかり10本勝負を言い残して屋上を出ていく彼は、やはり抜け目ないなと思った。さて、明日には目を覚ましてくへるだろうか。





 翌日、エンジニア室からの連絡はないまま、約束通り遊真くんと10本勝負をする為に本部に赴いていた。彼の要望で私だけ黒トリガー使用のポイント移動無し10本勝負だ。(そもそも規格トリガーは私に合わないので黒トリガーじゃないと連戦が出来ない)

「ナマエさんのトリガーは孤月を2本使ってるみたいなモンでしょ?凄いね」
「規格のよりひと回り小さいけどね。この黒トリガーは私がうんと小さい時から守ってくれてるから」
「オニーサンからの愛情ってヤツだね」
「遊真くんのお父上の愛情も素敵だと思うな」

 会話の最中でも交わる刃が着実にトリオン漏れを進行させてゆく。遊真くんと私の共通点は、唯一無二の存在から、自分にしか扱えない黒トリガーを授かったことだ。
 彼がまだ玄界に来て間もない頃、事情を知って如何にも他人事には思えなかった。だから珍しく彼の黒トリガーを奪取せよという意見が上層部から出た時には、ついカッとなって喧嘩腰になってしまった。彼のトリガーを奪う事は、彼を殺すことである。望んでそうなったわけではないのに、大人の事情、ましてや玄界の事情に巻き込むなんて見過ごせなかった。
 結果的に迅が上手いこと場をおさめたらしいが、結果、迅にとっての『唯一無二』は本部預かりになってしまった。あの時の彼は「この方が良い未来になるから」とへらりとしていたけれど、実際のところは彼のみぞ知る。私が遊真くんを近界に連れ出すなんて言い出さなければ、もっと別の方法があったのかもしれないなんて、もう過ぎてしまったことなのに疑念が晴れる事はきっとない。

『本当にこれで良かったのかなって頭をよぎる事はあっても、揺れる事はないよ。だって俺が迷っちゃオシマイだろ?』

 かつて迅悠一が私に向けた言葉を思い出す。私たちに出来るのは選ぶだけ。正答だけを選び抜くなんて出来るわけがない。何かを選ぶということは、何かを捨てるということなのだから。
 ふと目前にスコーピオンの切先が迫る。私はそっと目を閉じてその一太刀を受け入れた。




「最後の最後で一本取られちゃったなぁ」
「目瞑ってたじゃん、ノーカンだよあんなの」
「開いてても避け切れない間合いだったのよ」

 トレーニングルームから出てきた遊真くんは不満気に振る舞うが、手渡されたミルクティーには随分とご機嫌な様子で、感想戦が終わる頃には甘みに負けて笑みを浮かべていた。私よりも長く近界にいたというのに、どうしてここまで無邪気なままでいられたのだろう。機会があれば彼の冒険譚でも訊いてみたいものだ。
 ふと視線を感じて周囲を見渡すと、私の代わりに視線の主を見つけた遊真君が「迅さん」と声をかける。ゆるりとした笑みを浮かべ挨拶をする彼は、久々の生身のようだ。よくよく後ろを見たら三雲くんと林藤支部長も同伴していた。

「お前の母さん、面会出来るってよ」





 どんな感情がこうさせているのかは分からないが、今、私は異常なほどに緊張しているのだろう。頭から、指先から、足元から、じわじわと血の気が引いていくような気がして、段々地に足がきちんとついているのかさえあやふやになってきていた。そんな私を見て鬼怒田さんと林藤さんはやめとくか?無理するな、と声をかけてくれた。応答したいのに、声が上手く出ない。ぎゅっと握り込んだ手のひらの感覚も、正直分からない。ただ漠然とした感情に飲み込まれて、あと一歩で開くドアの前で私は立ち往生していた。

「大丈夫、悪い未来は見えないよ」
「うん、迅さん嘘ついてないし、オレも悪いことにはならないと思うよ。な、オサム?」
「……きっと会いたいんじゃないでしょうか」
「母様を置き去りにしたのに?」
「それはナマエさんの意志ではないでしょう」

 苦笑気味にそう言った三雲くんは、同意を求めるように遊真くんにアイコンタクトを送った。遊真くんも笑みを浮かべて静かに頷いた。床に落ちた私の視界に迅の手が入りかけたその時だった。

「ナマエ……そこにいるの?」
「あ………」

 扉越しでも分かる母様の声。朧げな記憶が一気に彩りを取り戻すように、気づけば私は躊躇っていた一歩を踏み越えて、彼女の元へと駆けていた。





 時を遡ること一時間程前。
 実は目覚めたナマエの母と最初に"事情"を話したのは鬼怒田と林藤、そして迅だった。途中から偶然やってきた三雲も交えて、出国後のボーダーが知る限りでのナマエのこれまでの境遇、兄の黒トリガー化、玄界での父の死。それらを経て彼女がどのように考え、どのように生きてきたのか。そして今ちょうど転換期を迎えた最中であったこと。玉狛支部に戻ってきたものの、まだ何処か気持ちが落ち着かない姿に、かつての彼女のように、進んで孤独に戻ってもおかしくはないと見守ってきたこと。

(話の聴き方がナマエさんとそっくりだ……)

 三雲は血縁とはいえ、生活を殆ど共にしてなかった者同士がどうしてここまで似通うのだろうかと思えてならなかった。戦いのノウハウは父譲りでも、根の部分は母親譲りなのだろうかと静観していた。
 息つく間もなく今度はナマエさんのお母さんが、祖国の現状やナマエさんのお母さん自身のこと、他の捕虜達のことを要約して伝えていく。
 ふと途中でお母さんの方から「こちらのトップの方にはいつご挨拶出来ますか」と質問が投げかけられた。ボーダーのトップ、ということであれば城戸さんだろう。けれど問題はそこではなく、「何故この場にトップが存在しないと思ったのか」という点だ。僕は驚きで小さく声が漏れ出たけれど、他の面々は何処か気の抜けた表情で「もう少し貴方の容態が安定したら、こちらから挨拶に伺うと言ってましたよ」と伝えた。

「やっぱりナマエの血縁なんだなぁ」
「ふふ、そんなに"あの子らしい"問いかけだったかしら?」
「洞察力の鬼ですよ、貴方の娘さん……」
「本来なら国を治める立場にあったのだから、それくらいは器用にこなしてくれなきゃ困ってしまうわ」

 ふくふくと笑う声に暫しの沈黙。数秒後、一同は驚愕の事実を知る。

「あら、あの子自分が次期王女だったって話してないの?」

 王族だとぼんやりとは聞いていた。でも王女とかそんなビッグスケール聞いてない、聞いてないぞ。その場にいた玄界民の全員が、大事なことほど蔑ろにする彼女に思わず肩を落とした。
 再会した親子を見てしまえば、そんなことも些細なことに思えてしまえるから恐ろしいのだけれど。聞きたい事は山程出来たが、今はまだ、この優しい空間に浸っていても良いだろう。この場にいる全員が、そう思っていたに違いない。

夜はおしまい

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