「……と、言うわけで。今回の捕虜及び亡国の王族は全員エンジニア室で預かるぞ。迅も異論無かろう?」
「別にナマエの母親絡みでも、最優先は三門だから安心しなって鬼怒田さん。ぼんち揚げ食う?」
「食わんわ!!」
ナマエと母親が面会した翌日。集められたいつものメンバーは、いつもより何処か緩い空気に苦笑した。捕虜だった彼らは特例で研究員として扱われ、玄界にはまだ渡っていない知識を共有、アップデートしていくという。……それは表向きの話であり、結局は新型トリオン兵による疲弊、長期に渡る接続の後遺症の経過を看る為の鬼怒田の優しさだった。
もとよりナマエと彼女の父親が築き上げた信頼があの国の民にはある。国内の対立でナマエと同じ意志を持っていたのであれば、帰る場所のない、しかもトリガーや他国への情報を持ち、エンジニアとして活躍出来るであろう彼らを受け入れない理由がない。仮に戦闘になってもこちらが勝つのは目に見えているし、そうなる前にナマエが止めるだろう。
「情報制限については手元の書類に纏めてあります。くれぐれも取り扱いにご注意を。書類は確認したら私にご返却ください」
「根付さん有難う〜」
「迅くんが感謝することではないでしょう。これも仕事のうちです。さて、最後にナマエさんからどうぞ」
緩んでいた空気が少しだけ引き締まったような気がした。今日の会議の大目玉でもある議題……というのもおかしな話だが、全員がナマエの言葉を待っていた。珍しく言葉を詰まらせる彼女だが、小さく息を吐いてからの言葉はなんとも滑らかなものだった。
「私が亡国の次期王女って話はお父さんから聞いた事はあったよ。でも本当に、ほんっとーに小さい頃の話で!……でも昨日母様と話して分かった。次期王女っていうのは、結局次期星の子。つまりはアフトで云う所の金の卵?雛?みたいな。だからそんなにお偉いものでもないし寧ろ奴隷よりよっぽど酷いよね。あと話すこと……んー、あっ!一応何かあった時シバくのは私だけど、原則捕虜の面々の統括は鬼怒田さんだから、そこだけよろしくお願いします」
いじょーでーす、と気の抜けた締め括りと共に会議はお開きとなった。各々自身の持ち場に戻る者、資料に再度目を通す者、立ち話に花を咲かせる者、様々である。そんな中一際目立つのは矢張りというか、ナマエとそこに集まる隊員たちだろう。
「この後ナマエは面会か?」
「うん、良かったら一緒に来ません?私紹介したい、風間さん達のこと!」
「楽しそうだな、元気でなによりだ」
「母様実は遠距離射撃のプロなんです。だから東さんとも話したがってました」
「なら一旦外で見舞い品を用意するか」
風間の気遣いはやんわりとナマエが断った。曰く、既に色んな人からの見舞い品で溢れ返っていて処理が追いつかないのだという。皆の話が何よりの土産なのだと、自分の事のように嬉しそうに話す彼女の姿に一同は安心を覚えた。
ナマエの母の余命はそう長くない。
それは彼女が母と再会して始めに交わした言葉だったという。母親の身体は既にトリオン兵として酷使されボロボロになっていた。元々トリオン量も少なくまた病気がちだった事もあり、既に研究員に混ざる亡国の民がいる一方で彼女だけは一人個室で経過観察を余儀なくされていた。
元々統括と指示系統は城戸から鬼怒田、そして亡国民に限りナマエの母親へ、という草案だった。しかし、本人からの申し出により鬼怒田がほぼ全てを担う形になった。当の鬼怒田本人は「使える人材が増える分には文句は言うまい」と、遠回しな肯定でナマエの母親を笑わせたとか。
「母様、ナマエです。今宜しいですか?」
「大丈夫よ、入ってらっしゃい。あら、迅くんと……はじめましての方がいらっしゃるわね?どうぞお座りになって?先程美味しそうな茶葉をいただいたばかりなの」
「あ、遊真くん達来てたんだ。これ昨日持ってた持ってた。今淹れるからみんな座ってて!」
「初めまして、東春秋です」
「あら、素敵な名前ね。玄界の"シキ"が2つも!」
「こちらに来たばかりなのに、博識ですね」
「これでも代理王女をしていたから。トリオンは無いけれど、知識だけは嫌と言うほど詰め込まれたわ」
ふくふくと笑う姿はそっくりだというのにナマエ自身は母親に対して距離のある話し方をするんだな、と思った。人好きのする笑みを浮かべつつ、茶葉のパッケージを持って部屋を出ていったナマエが脳裏を過ぎる。再会の場面に相席したという迅はなんともなさげにお茶請けを皿に移しているが、俺の隣の風間は表情こそ変わらないがナマエの言葉に驚いたのだろう。礼儀正しいコイツが挨拶ひとつしないなんてよっぽどだ。
「あの子、堅いわよねぇ。分かるわ、私もそう思うもの」
「えっ、」
「あ、ごめんなさい……"教えて"くれたものだから、つい返しちゃったわ」
「教えてくれた?」
「トリガー経由で少しだけ感情を汲み取れるんだってさ。鬼怒田さんが興味津々で話聞いてたよ」
茶請けのマドレーヌを運んできた迅はその様子を思い出しているのか、苦笑いを浮かべながら丸椅子に腰をおろした。嬉しそうにマドレーヌを食べる彼女の姿は、いつだったか、ファミレスでナマエが見せた表情そのままで、ああやっぱり親子なんだなと綻んだ。
「実際に体験して思ったけれど、玄界は本当に豊かだわ。自然も、食も、トリオンに縛られない生活も。……近界民の誰もが羨ましがるわね」
何処か遠くの方を見据えながら、ナマエの母親はぽつりと呟いた。言葉の見えない所に、玄界が狙われる理由や、その戦禍に自身の娘が立ち続けてきたことを憂う気持ちがあることは想像にかたくない。
「私と距離を置くのは、きっとなくした時の傷を少しでも残さない為ね。この国を守る戦士として選んだ事なのよ、きっとね」
ふとかつての彼女の振る舞いが思い返される。玄界民でも近界民でもない自身を否定し続けて一人を選んだ彼女。それは少しでも傷つく事がないようにしていたのかもしれない。一人で再び立ち上がるには彼女はまだまだ幼すぎる。そして今また、傷つくことを恐れているのだろう。最後の肉親を失ってしまうことを。
「だからこそ後悔しない為にすべき事があるだろう。相変わらずだなアイツは」
珍しく口角を上げた風間の言葉にその場の全員が深々と頷いた。しかし最後に決断するのはナマエ自身である。俺たちに出来る事はそう多くはない。だからこそナマエの母親も何も言わずに見守っているし、あの迅さえも好きなようにやらせているのだろう。迅に至ってはなんとも殊勝なことである。
「じーん、扉あけてー。両手塞がっちゃった」
「ハイハイどうぞ王女サマ」
「もうなくなった国なので王女ではないですぅ。あ、母様母様、遊真くん達が持ってきてくれたやつ、フレーバーティーでしたよ。すっごく素敵な香り!」
彼女の母親は紅茶にはミルクを淹れるのだろうか、ミルクピッチャーが添えられていた。淹れずに持ってきたのは先に香りを楽しんで欲しいというナマエの計らいだろう。くん、とカップに鼻を近づけた風間は「さくらんぼだな」と言ってひと口含む。
ナマエが戻ってきたところで改めて俺たちの紹介があり、そこからはあまりお喋りを好まない風間も珍しくよく喋るほど、ナマエの母親はなんとも聞き上手であった。カメレオンの話になった時には、なんと実演しただけでなく「触れるのかしら?」と目を輝かせる姿に手を取って見せたのだから驚きだ。歌川がいたら目を丸くする事だろう。
少しずつ摘んでいたマドレーヌが尽きる頃、ひょっこりと部屋の入り口から鬼怒田さんが顔を出して、そろそろ身体に障ると言った。面会終了とバッサリ切らないのは、ナマエを可愛がっている証拠である。本部の大人はやたらとナマエを甘やかしたがる節が以前からあったが、今日の母親との交流をみて少しだけそうしたくなる気持ちが分かってしまった。勿論甘やかしたいのは迅も例外ではないだろう。
「お仕事の迷惑でなければ是非またいらしてね。次は他のスナイパーの子も交えての狙撃討論、続きを待ってるわ」
閉まりかけた扉の向こう、そう言って微笑む姿は、そのまま光に溶けて消えてしまいそうなほど儚かった。