粛々とした空気の中、不釣り合いな微笑みを携えて黒衣を纏うナマエの姿があった。俺の未来視通り、今、彼女の母は息を引きとらんとしている。元々身体はとっくに限界を迎えていたのだ。三門にきて暫くもっていただけでも幸いだろう。病室の中には俺と林藤さん、それからナマエの希望で遊真がいる。窓越しには上層部……ナマエが三門に来てからずっと見守ってきた大人たちが、再び家族を失う彼女を想って思い思いの顔をしている。
 ナマエの母は虚ろ気味な目で、手渡された黒トリガーとなった我が子を慈しむように両手で包み込んでいた。その両の手を更にナマエがゆったりとした動作で摩る。言葉は無いが、そこには確かに家族の交わりがあるのだろう。

「……かあさま、ねむい?」
「ふふ、お見通しなのねぇ。そろそろ眠いかも、しれないわ」
「お父さん達に私はもう暫くそっちに行けないって伝えておいて、まだ当分生きる予定なんだ」
「あらお兄ちゃんなら此処にいるじゃない」

 そう言って包んでいた黒トリガーをナマエへと手渡す。幼い彼女を守り続ける。その為だけに黒トリガーとなって、今もなおその刃は研ぎ澄まされていた。
 手渡された黒トリガーは今の彼女の手には些か小さく見えた。初めて手にした時は握るので手いっぱいだったというそれが、彼女の歩みの長さを物語っていた。

「ナマエ」
「なあに?母様」
「最後にね、お話しなきゃいけないことがあるの」
「お話?」
「私達の家系はね、代々継いできた能力があるの。私はトリオンが少なかったから、もしかしたら既に貴方に片鱗はみえてるかもしれないけれど」
「……どんなチカラなの?」
「玄界に合わせて言うなら……門が開く前に生じる磁場で誰よりも先に敵の侵攻に気づけるわよ」

 それだけだけど、そのチカラ故にナマエの家系はずっと国の中で権力を握っていたという。振り返ってみれば、大規模侵攻の時もガロプラ侵攻の時も、ナマエは門発生の連絡が来た時にはもう出動していた。あれはそういうことだったのかと当時の違和感が払拭されていく。

「本来なら一世一代だけの能力……今は微弱でも、これからはもっと明瞭になっていくと思うわ。……迷わないで、絶対に」
「うん、ありがとう
…………………おやすみ、お母さん」

 親子最期の時間が、黄昏時に終わりを告げた。病床の彼女もその娘の表情も、始まりと変わらぬ穏やかな微笑みをうかべていた。そして俺はこの先の未来を、知っていた。





 玉狛支部に比較的近い場所にあるナマエの父親の眠る墓地に母親も眠ることになり、諸々の手続きは大人たち上層部が支度をしてくれるという。ナマエはありがとう、と変わらず微笑みながら俺の手を引いて本部を後にする。
 視えていただろうと彼女も思っているのか、行き先も目的も何も言わない。ただただ危険区域の中を迷いなく進んでゆく。

「嫌われている仲でも、報告したくて」

 辿り着いたのは過去にナマエが新たな星の子として命を狙われ、伯母の命を奪った場所。いつだったか、彼女がぽつりと漏らしていた。「玄界だったらこんな風に関係が拗れることはなかったのに」と。星の子という贄を必要とするシステムが、トリオンに恵まれた彼女の運命を狂わせた。こんな星々が近界にはあと幾つあるのだろう。考えたところで、今の俺にとっては目の前の彼女が二度と母国のことで迷い、傷つくことはない事が何より大事だった。

「伯母様の遺体は無いから同じ墓地に眠らせる事は出来ないけど、元々母様とは不仲だったわけじゃないらしーから……まあ、上手くやってるでしょ」

 どっちも天国行きならだけどねぇ。そう呟いた言葉は俺に向けたものではなく、あくまで彼女が自身の中で一連の出来事に区切りをつけるための作業的行為だ。俺はただ何も言わず、静かに彼女の数歩うしろを歩いた。
 暫く気にしないうちに伸びたナマエの髪が風で揺蕩う。まるで、居場所を求め、されど拒絶を繰り返したいつかの彼女自身のように。今の彼女は形こそ玉狛支部に身を寄せているが、本心は誰にも分からない。恐ろしくて聞けないのは、きっと俺が臆病だからなんだろう。ようやっと掬い上げた燦めく星屑を、見失うのが酷く恐ろしいんだ。
 ぴくりと動きを止めて探るようなしぐさを見せたナマエは、向けた先から視線を逸らさぬままトリガーを起動させた。

「迅、けっこー近くで門開くかも」
「視えた、B級の奴ら手こずりそーだ」
「本部に支援行くって連絡して、先行ってる」

 要件だけ話すと、彼女は軽やかなステップであっという間に視界から消えてしまった。いい加減本部トリガー持ち歩く癖をつけて欲しい所だが、まあそう急く事でもないか。応答してくれた本部のオペレーターから、防衛に当たってる隊より先にナマエが現着したと聞いて俺もすぐさま現場へと向かった。確かに門発生の分かるサイドエフェクト、これは重宝されるに値する能力だな。着いた頃にはケリがついている未来を流し見しながら、俺もまた、力一杯地面を蹴り上げた。

もう宝石ではいられない

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