『おーい聞こえるかー?』
「冬島さん!どうしました?」
『今からお前の着地点にトラップ置くから踏め』
「えっ?!!それってどういう、」
『仔細は知らん。が、迅のご指名だ。攻撃の意思は見せるな、だそうだ』
「はぁ?!っわ、」

 突然の着信に気を引かれている間に右足はしっかりとトラップを踏み込んで、私の身体は一気に浮遊感に襲われた。





 瞬く間に飛んだポイントは何処だろうかと確認する前に、目の前に映った人物に目を丸くした。何故玄界に。いや、今回の襲撃がガロプラなら有り得なくもないのか。幼い頃の薄れた記憶を引っ張り出して、なんとか名前を捻り出した。

「ガトおじさん?!!」
「そのトリガー……ナマエか。しかし悪いな、時間だ」
「待って、ガト……ッ!!!」
『トリオン反応消失しました!』
「敵もベイルアウト機能を持っていたのか」

 冷静に分析をする風間さんの声が、頭に入ってきたようですり抜けていくような感覚に陥る。すっかり平和ボケしていた自分を強く叱責した。多くの世界を渡り歩いてきたのだ。いつかこういうことが起こることもあり得た。いや、経験したことはあった。だというのに、すっかり慣れは消え去っていた。

「もしベイルアウトが無かったら、ガトおじさんを……殺してたかもしれないの……?」

 言葉にしてやっと、実感と共にぶわりと気味悪い汗がどっと湧いてくる。ガラン、と手から落ちた一対の刃はとても拾う気にはなれず、私は自分の身体をぎゅうと抱きしめることしか出来なかった。





 司令室にひとときの安堵の空気が流れた。勿論ステルス行動の可能性や、軌道が逸れるまでの間のひと月、再来の可能性も捨ててはならない。そんな中ふと一人の戦闘員の名前が話題に挙がる。

「まさか迅がナマエを使う選択肢を取るとはねぇ……」
「冬島さん聞き間違いかと思って聞き直してましたね」
「沢村さんやめてくれ、恥ずかしい」

 そう、あれだけナマエの事を過保護に扱う迅が彼女のことを(殆ど戦闘は終わっていたとはいえ)主力戦の渦中に放り込むことを頼むなど、長く2人の関係性を見てきた大人達からしてみれば、想定外でしかなかった。そしてそれよりも想定外だったこともある。

「……ナマエの奴、ガロプラに行ったことがあったのか」
「ったく彼奴め!話してくれりゃあもうちょい事前情報を持って対応にあたれたと言うのに」
「まあまあ室長。ナマエの奴のことだし、情報が古いとか気にして敢えて言わなかったんですよ。俺は言わなかったことより、知り合いが敵にいた事の方が心配っすけどね」
「……否定はせん」

 モニター越しにも視認出来るほどに震えている彼女の背中は、元々小柄だというのにいっとう小さく見えた。彼女にはメンタル的なアフターケアが必要だろうと冬島は東と共に対応するか、とスマホで簡潔に要項だけ送って後処理に戻ることにした。





「お、来たな。ほれここ座れ、罠の位置アレで問題なかったか?」
「お邪魔します冬島さん、一直線に飛んでいける見通しの良い場所で助かりました。スナイパー陣助けるの間に合って良かったです」

 そう話す彼女はいつも通りの振る舞いを努めているようだったが、やはり薄暗さが残っていた。トラッパーとして感想が聞きたいと頼めば真面目な彼女は即答で隊室まで来てくれた。こんな歳上にまで気を遣うことはないというのに、何処までも不器用な奴だなと思いながら彼女の罠の感想に相槌をうつ。

「おや、お邪魔だったかな?」
「東さん、お疲れ様です」
「おー来たな。なあナマエ、この後良かったら飯行かねーか?東の奢りだぞ」
「そこは年長の冬島さんじゃないの?」

 くふくふと笑うナマエはあまりお腹に入らないかも、と前置きをしつつも同伴してくれるようだ。

「トラッパーよりスナイパーの東の方が報酬入りやすいんだよ、だから奢るのは東」
「って言いつつ結局奢ってくれるんだよこの人」
「麻雀トリオほんと仲良いね」

 そんなグループを組んだ覚えは無いが、彼女の中にはそういう括りがあるらしい。おそらく最後の一人は諏訪だろう。太刀川もまあまあいけるクチだが。今度教えるからお前も加入しろと言えば、打てるけど煙草臭いから嫌、と予想外の回答が返ってきた。……消臭剤、置いとくようにするか。

「冬島さん、東さん」
「ん?ナマエどうしたんだい」
「気遣ってくれてありがとう、嬉しい」
「……気遣ってんのはお前だろーが」
「そうそう。抱え込む癖、良くないぞ」

 走り出した車中に静かにしゃくり声が響く。あえて後部座席に座った東がそっとナマエの頭を撫でる。ミラー越しにそんな彼女を見て冬島は若いな、なんて思った。





「う〜〜ん……」
「悩んでるなぁ」
「俺エネルギー補充してきて良いか?」
「あ、ごめんなさいっ!決めたら冬島さんのも一緒に頼んでおきますからっ」
「気にすんな、俺は気にしてない」
「ほら、どれとどれで悩んでるんだ?」
「東さん……えっと、デザートが気になってるんですけど、メインこれ食べちゃったら入らないなって……」

 うんうんと悩む姿に思わず笑みが零れた。今の彼女は正しく年相応に見えるからだ。悩んでいるというメニューも女の子らしいチョイスだが、少食過ぎやしないかと心配になる。まあ今は玉狛支部にやっと住み込みになったから、その点は多少心配は緩和されたが、それでも目が離せないのだから困ったものだ。この子は一人で背負いこみすぎる。それで言えば迅も負けたものではないが。

「ナマエ、もし良かったら少し分けてくれないか?俺はこれを頼むんだけど、実はそっちも気になってて」
「……気を遣ってません?」
「そう見えるなら甘えてくれる方が嬉しいかな」
「あ、えと、じゃあそれで……」

 ストレートに弱い彼女はすぐに頬を紅くしてメニューで隠してしまった。可愛いやつめ。ふ、と漏れた息は呼び出しボタンの音で誤魔化した。注文を済ませて外に彼の姿を探すと、煙草をふかしながらなにやら電話をしているようだった。暫くその様子を眺めていると、スマホを耳から離して誰かを呼んでいるような素振りを見せた。

「麻雀トリオって何だよ、もっとマシなネーミングねーのかよ」
「じゃあ喫煙コンビ……」
「東さんハブってんじゃねーか」
「諏訪さん任務後なのに何でそんな元気なの……」

 ズカズカとやってきた諏訪はナマエの向かいに座って早々に決めたメニューを追加注文してこの会話に至る。
 諏訪が言うには、冬島さんから届いた「麻雀トリオと名付けられた」という笑い話に異議を申し立てにきたそうだ。実際は一人最前線でトリオン兵の半数以上を相手取っていたナマエの事を気にかけていた所に、俺たちと共にいることから何かを察して様子を見に来たのだろう。諏訪も言葉こそガサツだが、後輩の面倒見は良い方なのだ。先に届いたナマエのパスタを小皿に分ける様子を見てデザートの件を話した際も「そんぐれー残ったら食ってやるっつの」とぶっきらぼうに言うが、心遣いという点では俺と変わらない。まあ気になってたメニューなのは嘘じゃないが、パスタだけでは成人男性の腹を満たすには少々物足りないのだ。

「お、美味いなこれ。今度来た時はこれ頼もうかな」
「私も久々に食べました、やっぱり美味しい」
「オメー久々って、外食がか?」
「だって少し前までは一人暮らしだったし、今は玉狛でご飯あるから必要なくて」

 俺と冬島、諏訪は顔を合わせてからナマエの表情を窺う。多分考えていることは皆同じだ。

「……今度焼肉、行こうか」
「出た、東さんの焼肉会。まあ俺行くけど」
「俺も久々に東達と行くか。二人は隊員も連れて来いよ」
「今度こそ冬島さん奢り宣言ですか?」

 元々すすんで一人になろうとする少女ではあったが、一人暮らししていた頃の食生活を聞いて何もせずにいられる奴は此処にはいない。孤食もいいところだ。玉狛支部に呼び戻した迅の働きは特級相当の報酬が出ても良いんじゃないだろうか。
 届いた餡蜜を一人嬉しそうに頬張る彼女を、大人3人は静かに見守っていた。きっと当分の間、彼女は食事の誘いが絶えないことだろう。





「やべ、コイツ寝たぞ」
「支部まで行けば迅が出てくんだろ。一応連れ出してるって連絡してあるし」
「迅アイツ保護者かなんかか?」
「迅はナマエ溺愛してるからなぁ」

 ファミレスで他愛も無い話で盛り上がって、すっかり遅くなってしまった帰り道。程良い車の揺れに抗えなかったのか、ナマエは静かに寝息を立てている。いつの間に、と思ってしまう程、諏訪の指摘があった今の今まで気付かなかった。今日は最前線での戦闘で黒トリガーフル稼働だったそうだし、精神的にも揺れた日だったから疲れていたのだろう。不安定で眠れないよりはよっぽどマシだ。顔にかかった長めの髪束を耳にかけてやると、助手席の諏訪から「迅に怒られますよ」と揶揄う声が聞こえた。そんな事はないさ。だって彼はよく分かっているから。

「ナマエも迅のこと溺愛してるから、怒られないよ、おあいにく様」
「結局コイツら付き合ってるんスか?」
「多分そういう次元の関係性じゃないんだよ」
「うわーおっも、激重感情」
「だからこそ互いに取りこぼしがないようにフォローし合えているんだろ」

 前の席の2人から「確かに」と同意を得た所で、玉狛の建物を背景に夜空を仰ぎ見る迅の姿を捉えた。ゆっくり減速していく車に気づいた迅は「ナマエどうです?」と運転席の冬島さんに訊ねていた。そういえば直接的な事情を知っているのは彼らだけだった。

「別に詮索するような事はしてねーよ。ただ、気を遣われたことには気づいてたし、いずれお前に話すだろ」
「だと良いんスけどねぇ〜」

 罠のことも話してくれなかったからなぁ、とへらりと言ってみせたが滲み出る嫉妬は隠しきれていない。笑いを堪える諏訪の肩が震えている。

「言わなかったのは、それだけお前を信頼してるのさ、迅。悪いが寝かしたままでも良いか?」
「……この中の最年長、東さんでしたっけ?」
「お?今日の無理難題聞いてやったのは俺だったよなぁ、迅?」
「基地内へのワープなんて冬島さん余裕でしょーよ」

 こうなることが視えていたのか、迅は持っていたブランケットをナマエに緩く巻きつけてから後部座席からそっと抱き上げた。未だ深い眠りの中に居る彼女は、無意識だと思うが迅の温もりにすり寄るようにしがみついていた。

「正直、断腸の思いでの判断だったんで、3人がアフターケアしてくれたのすげー助かりました」

 ナマエを落としてしまわないよう、会釈だけに留めてお礼を述べる迅に、いよいよ我慢ならないと諏訪がゲラゲラと笑いだす。

「別にお礼言われるまでもなく普通に飯ぐれー行くっつーの!可愛い後輩なんでなァ」
「諏訪さん面白がってるでしょ?」
「俺ァ曖昧なのは好きじゃねーからな。さっさとくっつくならくっついちまえ、油断してっと掻っ攫われるぞ」

 たしかに。ナマエは隠れファンも多いし、何だかんだ人当たりよく接する。内心は冷え切ってる事が多いのはあまり知られていないことだが。とはいえ諏訪の指摘もあながち的外れでもないな、なんてあり得ない事を思う程度には、俺も迅とナマエの関係性に早く名前が付けば良いと思っているようだ。

 他人事だと思いやがって……とごにょごにょ喋る迅も、そんな彼に抱きかかえられて眠るナマエも、そうやって普段から歳相応で居られれば良いのに。なんて難しいことを思いながら、車は玉狛支部を後にした。

月の涙が降る美しい夜に

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