ナマエを起こさぬように細心の注意を払いながら向かうのは彼女の部屋−−ではなくぼんち揚の積み上げられた俺の部屋。そっとベッドに下ろすと瞬く間に布団の中に潜り込んでしまった。はや。
 決してやましい気持ちがある訳ではなく、単に彼女の部屋に寝かす為だけとはいえ無断で入るのは気が引けたからだ。普段から自身の部屋を見せたがらない理由を知るまでは、寝こけた彼女は狼手前の俺の部屋に運ばれるだろう。万が一間違いが起きてもコイツのせいにする。隙のありすぎるコイツが悪いのだ。
 控えめなノック音が聞こえて振り返ると、支部長が半開きのドアからナマエの様子を訊ねて来た。

「まぁ……ぼちぼち、ですかねぇ」
「連れてくのか?」
「コイツも大事なキーマンなんで……先の未来にどう作用するか分からないのが怖いですけど」
「……辛かったな、迅」
「辛かったのは俺じゃない」

 視えたのは戦闘が始まって暫く経ってからのことだった。ナマエがガロプラの指揮を取る人物と面識があるような場面が脳内に映る。泣きそうな顔で手を伸ばす姿は、少なからず敵対関係では無いのだろう。概ね渡り歩いてきた国のひとつにガロプラがあったということか。
 過去の彼女の話から、渡り歩く中で顔見知りを手にかけることは、感覚が麻痺する程に日常茶飯事だったという。そんな彼女が玄界に腰を下ろして随分経ち、その麻痺していた感覚はある意味人間らしいものに戻っていったのだろう。知る人を、しかもあの表情はそれなりに関係のある相手を、手にかけるということがどれだけ辛いことなのか、俺たちは共感してやれない。幸い今回はベイルアウト機能を敵も導入していたからそうならずに済んだが、場合によっては命を奪うことも有り得ただろう。ボーダーは基本命を奪うことは控えているが。

「分かってても、有り得た"もしも"を想像したろうな、コイツのことだから」
「……視逃した俺の所為です」
「そう何でもかんでも背負うな、敵を視認しなきゃ分からなかったことだ」
「それでも、外から侵攻される時はこの可能性を考えるべきでした」
「相手が何であれ、戦うことは止めないだろ。ナマエはそういう奴だと迅がよく知ってるだろ」

 一瞬の動揺こそするだろうが、きっと彼女は冷静に戦闘を始めただろう。分かっていても、心の負荷を考えると歯痒い気持ちを抱かずにはいられない。送るよう冬島さんに頼んだのは自分だというのに、覚悟が足りなかったことを痛感する。

「何事にも避けられないことはある。お前はその時支えてやればいい」
「……ありがと、林藤支部長」
「身綺麗にしたら一緒に寝てやれ。アイツ寒がりだろ、ほれ」
「……俺もう20近いの知ってますよね?」
「何だ?襲う未来が視えてんのか?」
「悪い大人だなぁ……」

 そんな未来、あいにく視たくても視れない。夢で見た事があるとは流石に言えないが。こちとらお年頃の男の子だという事を承知してもらいたいものだ。
 肩を落とす俺の気をまるで知らないナマエは、風呂から戻った俺の温もりに擦り寄るのだからタチが悪い。叩き起こしてやりたい気持ちを抑えてそっと同じ布団へと身体を滑り込ませた。眠る前に彼女を見つめる。朝、何事も無いように起きて挨拶を交わす自分たちが視えて、それが虚しいような、少し嬉しいような、むず痒い気持ちになった。





 目が覚めて最初に視界に入ったのは、ナマエの小さく丸まった背中だった。こんな小さな身体が昨日何百何千ものトリオン兵を一人で対敵していたのだというのだから、世の中分からないものである。そしてもう一つ分からないのが、俺の記憶ではこんな未来視た記憶がないということだ。経過をすっ飛ばして挨拶をする場面だけを見たのだろうか。空気から起きてることだけは分かった。ただやはり普通じゃない。俺はすっかりはだけてしまった掛け布団で包むようにナマエの身体を引き寄せた。一瞬びくりと揺れたが、大人しく収まってくれている。

「……おはよう、悪い夢でもみた?」
「じん……」
「うん、みんなの人気者迅さんだよ」
「うっ……わたしっ………」
「泣いていーよ、此処には俺しか居ないから」

 かけていただけの布団を波立たせて、彼女ごと頭まで被れば、2人だけの閉ざされた世界に成る。背を向けていた彼女はようやくこちらに身体をこてん、と向けて、落ちかけていた涙は跡を辿って今度は反対側に跡を作ってゆく。

「じん、だまっててごめん」
「何のこと?」
「ガロプラ行ったことあるって言わなかったこと」
「古い情報だと思って下手に言わなかったんだろ?お前の事だからな多分皆そう思ってる」

 驚く様子のナマエに、少しだけ呆れてしまった。お前周りからどう見られてると思ってたの?皆がお前のことをずっとずっと気にかけてるっていうのに、それに気付かないなんて、そんな贅沢なことあっていいもんか。

「今回最前線で精一杯努めを果たそうとしてた事も、俺の視逃した万が一の為にすぐ本部に迎えるようにしてくれてた事も、みんなが感謝してる。昨日お前に会いたがってるスナイパーの奴ら諌めてくれたの東さんだしな」
「……聞いてない、そんな事」
「うん、会わせたら無理して笑うから止めといてって俺が言った。ただ冬島さんに飯連れてかれて諏訪さんまで様子見に行くとは思ってなかったけど」

 伝っているだけだった涙が一気に溢れ出した彼女をそっと抱き寄せる。布団を被って俺に吸われて仕舞えば、泣いてるなんて誰も気づかないよ。だから全部出し切ってしまえ。不安も、悲しみも、何もかも。

「スナイパーのみんなスゲー感謝してたぞ。滅多に見れないお前の両刀での戦い方に感動したってさ。んで、ガンナー勢は見れなかったって悔しがってた」
「やるべきことをやっただけだよ……?」
「それがかっこいいってお前凄いよ、昨日はあれこれ言われてけっこー妬けたもん」
「……妬けた?迅が?」

 首肯で返せばほんのり紅く染まった頬を隠そうと彼女の手が動くが、おあいにく様、そうはさせない。彼女の手を素早く捕まえて、まるで薄化粧でもしてるのかと思うほど綺麗にじんわり染まった頬に唇を落とす。
 わわ、と戸惑う彼女の姿はきっと俺しか見たことのない貴重な姿。我ながら自分のものでもない女の子に独占欲をこんなにも向けるなんて、本当に情けない。でも悪いのはナマエも同じだ。振り払って仕舞えばいいのに、掴まれた途端大人しくされるがままなのだから、俺はただただ都合の良い方へ捉えて好き勝手するだけだ。

「お前はさ、俺の言う好きの意味をちゃんと理解してないよね」

 思わず出た言葉にしまった、と思った。しかし時すでに遅し。未来視でもかわせない布団越し(のはずなのにエグい威力)のキックを脇腹に貰って、悶絶しているうちにナマエは静かにベッドから降りて部屋のドアを開けた。閉めかけたところで思い出したかのように言葉を発した彼女は、さっきと打って変わって冷ややかなものだった。

「言い忘れてた、おはよう迅。」

 俺の見たおはようはこんなのじゃなかったのにどうしてこうなったんだ!!

大人になれない系おとなたち

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