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「ナマエは今日も部活?」
「うん、そっちも大会控えてたよね?練習頑張って」
「大会日程と練習被ってなかったら応援来てよね!じゃ!」

 帰りのホームルームが終わり、友達はラケットケースを背負って軽快に教室を出ていった。初めての団体戦のレギュラーだと言っていたのを思い出して、緊張より練習したい気持ちが先行する姿がなんとも彼女らしいと思った。
 そんな私の脳内では、今日のこの後の予定をパズルの様に組み立てていた。次の土日は予選間際の合同合宿がある。
 今日の部活のミーティングが終わったら先に仕舞える荷物を纏めなければならない。可能なら部員の手を煩わせずに済むように部活中に済ませたいなぁ。そんなことをぼんやり考えていると、クラスメイトから声がかかった。研磨くんじゃない、違う男子の声。去年の出来事が頭を過って少しだけ手が震えた。





「苗字さんのことが好きなんだ。付き合って欲しい、勿論部活優先でいいから!」

 呼び出された先で待っていたのは、予想とは大きく異なる展開で、嫌がらせどころか寧ろ好意的なものだった。今年からクラスメイトになったばかりの彼と大した接点が無かった私は、何故、という疑問ばかりが浮かんでは消えていく。

「去年、私の噂……聞いてないの?」
「本人見たら、あんなの嘘だってすぐ分かるよ」
「あはは……えっと、気持ちは嬉しいけど応えられない。ごめんね」
「……そっ、か。うん、有難う」

 相手は傷ついただろう。私が今傷つけたのだから。誰も悪く無い、それでも申し訳ない気持ちが私の内側を満たしていく。それでも目を背けるのは逃げだと、落としていた視線を彼に向けると、傷つくどころか納得した表情でこちらを見ていた。

「苗字さん、好きな人がいるでしょ」
「え、いない、と……思う」

 突然の指摘に私は何故かどきりとした。けれど、思い至る中にそんな人は居ないはずだ。今の私はバレーが大事で、私を守ってくれたおじいちゃんに報いる為に部活にのめり込んでいた。だから、そんな暇は無かったはずだ。だというのに目の前の彼は、私が恋をしているという。脳裏をよぎったニヒルな笑みを無意識に消し去っている自分になんて、気づきたくなかった。





「あれ、研磨くん……部活は?」
「……ナマエ待ってた、それだけ」
「心配してくれたんでしょ」
「……まぁ、居ないと困るから」

 研磨くんは何も言わないし何も聞かない。私が今は触れてほしくないことだと、何処となく察してくれているのだろう。人と関わるのを面倒くさがり、好んで首を突っ込むことはしない彼の、垣間見せる優しさだ。
 ふと私のリュックが机の上から消えていることに気づき、慌てて視線を右往左往させると、研磨くんが肩に掛けて持ってくれていた。ああ、持っててくれたのか。有難う、と研磨くんからリュックを受け取ろうとしたが、彼はリュックを渡す事はなく、私を一瞥して再び席についてしまった。それから隣に座る様促され、タオルだけ放られた。

「……もう少し、休んでから部活行こ」
「え、でも研磨くんミーティングが」
「ナマエと一緒に聞き直せばいい。それよりも我慢するの……やめたら?」
「そんなに隠せてなかった、かな」
「……多分クロとか3年ぐらいじゃない?気づくの」

 ナマエは隠すのが上手いから、とだけ言って再び手元のゲームを再開してしまった。私は言葉に表せない気持ちを吐き出す様に、我慢していた涙を流した。机に乗せた両腕にタオルを乗せて、そこに俯く。廊下から見たらただ寝ているだけに見えるだろう。私にとって弱さをみせる事は、この学校という社会ではあまりにも致命的すぎる。ミーティング中であろうバレー部を浮かべながら、ごめん、と独り言を残して瞼を伏せた。涙は当分止まりそうにない。





「あれ、研磨とナマエ居ねーな。泊まりの話とか去年はナマエがしてたよな?」

 そう言ったのは夜久だった。初めての泊まりの遠征となる一年にあれこれ教えていたから、言われてようやく気づく。確かに居ない。研磨がサボりたがるのは分かるが、ナマエが居ないのは珍しいことだった。
 すると鞄の方から音が鳴り、確認をする。ちょうど話題にあがった研磨からだった。2人ともまだ教室にいるという事、ナマエも一緒にいる事が簡潔に書かれていた。それだけで何となく状況が読めるのは、付き合いの長さ故だろう。

「ワリィ、ちと俺出てくるわ。一年の面倒頼んだ」
「おー行ってこい行ってこい」

 虫を払う様に夜久に部室から追い出されて苦笑が漏れたが、それでも行く事を止めなかったのは夜久なりの気遣いだと知っている。彼も何となしに事情を察したのだろう。
 早足で研磨たちのクラスに着くと、机にうつ伏せになったナマエと、机に肩肘だけ預けてゲームをしている研磨の姿があった。廊下から声をかけると、起きていたのかナマエが驚いた様子で椅子ごと跳ねた。

「クロ遅い……あとよろしく」
「待て待て、説明してちょーだいよ研磨クン」
「……多分クロの方が対処得意だと思、う」

 切れ切れになった言葉と共に移ろう視線は、研磨の腕を掴むナマエチャンの指先に向けられていた。控えめな声で研磨が「大丈夫だよ」なんて言うから、お前そんな顔できたのか、と思わず目を見開いてしまう。その優しい顔俺にもくれよ。
 教室に一歩踏み込んで、やっと人目を気にしていた理由に気づく。小さく啜り泣く声が俯いたままの彼女から絶えず聞こえてきた。研磨と入れ違いで席に着いた俺は、そっと名前を呼ぶ。躊躇いがちに向けられた顔は、擦りこそしてないが、目元が赤く腫れていた。

「アラアラ、そんなに泣いちゃう程のことがあったの?先輩に言ってみなさいよ」
「……上手く、纏められないです」
「いーよ、全部聞いてあげる」

 瞬いた瞳から雫がまたひとつ零れた。こんなに綺麗に泣ける人がいるのか、と感じるのは果たして惚れた弱みだろうか。しばし思考を逡巡させたのか、ナマエは漸くぽつりぽつりと丁寧に並べる様に言葉を置いていく。

「今日、クラスの男子に呼び出されて。私、真っ先に怖いって思ったんです。去年のことを思い出して。でも実際は違くて……告白されたけどハッキリとお断りして。でもこれがきっかけで嫌われて、また去年みたいな思いをしないかなんて、そればっかり考えてた自分が……情けなかったんです」
「あれだけの思いをしたんだから、何も不思議じゃないんでないの?」
「それに相手の子に、好きな人いるだろ?って聞かれて、私、よく分からなかったんです。だって、盲目的にバレーの為に生きてたから、余所見をしたら、親も友達も選手生命も……失くしたものばっかりで、心が、折れちゃいそうだったから、だから……」

 そう言って再び溢れる様に、何粒もの涙が彼女の頬を伝っていった。蓋をしていた感情が、ふとしたきっかけで少し開いてしまったのが痛い程伝わる。叫んでいるわけではないのに、声はまるで裂けてしまいそうな彼女の気持ちを伝えるには十分すぎた。そっと頭を撫でてやると、彼女は空っぽになるまで泣いていた。教室は無音な筈なのに、彼女の張り裂けるような泣き声が、耳の中で響いてしかたなかった。





 落ち着いた彼女の様子を気に掛けながら、彼女の手を引いて部室へと向かう。彼女のリュックは俺の背中で揺れている。部室の明かりが見えた頃、つんのめったような感覚をおぼえて振り返ると、俯いたまま微動だにしないナマエちゃん。必死に言葉を選んでいる姿をじっと見ていると、ぱっとあがった彼女の瞳と目が合う。何かを決めたまっすぐな瞳。

「私、いい加減向き合わなきゃいけないって、分かってたんです。でも、バレーが好きだから、みんなといるバレーが好きだから、だから私決めました」

 ゆらりと、まだ何処か躊躇いを含む彼女の瞳が、大きく、揺れた。

「両親との関係に、ケリをつけます」




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