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 タイマーの音が鳴り、休憩の終わりを知らせた。午後一の練習は3対3のミニゲーム。準備を始めた部員を横目に得点板を転がしていると、突然つんのめる感覚に襲われて思わず振り返った。不機嫌そうなクロ先輩が得点板を掴んでいるのが視界に入り、私は思わず眉を顰めた。

「あの、準備出来ないんですが……」
「ナマエちゃんは得点板立ちっぱなし辛いデショ?貴方はあっちで記録つけてて」

 あっち、と指さされた先では監督を挟むように椅子が置かれているが、うち一つの前には机が置かれていた。既に腰掛けている祖父は、何も言わずにただにこにこと此方をみている。助ける気は微塵も無いらしい。仮にもマネージャーなのに、部員にあれこれやらせてばかりなのは憚られる。けれど嫌とは言えない圧を感じさせる主将と監督に、私は首肯するしかなかった。大人しく着席すると、コート内の部員と視線がかち合った。

「ナマエちゃんは名義上はマネージャーだけどサ。他のとことは出来ることが段違いなの。それを活かさないテはないでしょ〜?」
「そうだぞナマエ!元々雑務は部員で回してたしな、なんも問題ねーよ」
「必要な時はお願いするかもしれないけど、宜しくね」

 3年生の言葉に少しだけ気持ちが救われたような気がして、私はつい膝をさすった。それを見逃さなかった猫又監督ーーおじいちゃんは、いつもの柔らかい声で「少し冷えるから痛むねぇ」とブランケットを掛けてくれた。私は大丈夫だよ、と伝えてコート内で始まった試合へと集中した。





「先輩達ってナマエさんに過保護ですよね」
「おん?それは喧嘩売ってんのか?リエーフ」
「ちちち、違いますよ!ただ何でかなって!!」
「……膝に後遺症の残る怪我をしてるからだよ」

 声の主である研磨はとっくに帰りの準備を済ませていて、その手にはポータブルゲーム機が握られていた。今部室にいるメンバーの中で、事情を知るのは3年生と、既に本人から聞いていた研磨の4人だけ。そこまでの酷い怪我の理由が何だったのか聞きたい部員は多かった。それでもデリケートなことを人づてに聞いて良いものだろうかと、皆顔を見合わせた。……リエーフ一人を除いて。

「後遺症って、事故にでも遭ったんですか?」
「馬鹿リエーフおま「バレーで壊したんだよ、膝だけじゃ無いけどな」おいクロ!」
「教えといた方が下手に地雷踏まなくていーデショ。特にコイツらの場合は」

 それもそうだけど……と複雑そうな表情でごにょごにょと話す夜久の姿をリエーフは不思議そうに見ていた。そんな彼を見て周囲はやや呆れ顔である。彼の良い所とも悪い所とも言えるが……いや、悪い方に作用することの方が圧倒的に多いか。

「ナマエ……アイツはね、中学女子バレーでは名の通った選手だった。でも、部員全員が同じレベルの強さや気持ちでやってるワケじゃあ無い。……一人で頑張りすぎちゃったんダヨネ」

 途中何かを濁したようにも感じたが、そこを追及してはいけない事くらい皆分かっていた。今は主将の言葉が全てだ。同学年の虎だけはふと一年の頃を思い出して、何やら思い至った様子だが、言葉にすることはなかった。
 主将の言葉は続いた。
 中学最後の県大会決勝で膝を壊してしまったこと。その為長時間負荷がかかると痛みが走ること。監督が休憩の度に部員を寄越すのは、少しでも運ぶ負荷を減らす為だということ。
 そして、若干の人間不信であること。

「人間不信、ですか?」
「膝壊したから不参加だったけど、ナマエのチームは全国まで進んだんだ。でも初戦で完敗。当たり前、スコアラーが不在なんだから勝てる訳がないヨネ〜」
「バレーは団体戦だからね……元々ナマエ一人で成立してたあのチームがおかしいんだよ」
「でも女の子って怖いよねー。全国で恥をかいたって、全責任をナマエ一人に押し付けた。反吐の出る話だよ」

 今の彼女からは想像もつかない話に一年は息を呑んでいた。彼女の笑顔は鉄壁の防御、物腰の柔らかさは、裏を返せば要らぬ荒波を立てない為だったのだろうか。そこまで思い至った中で一人だけ、質問を投げかけようと口を開きかけたが、それは研磨に止められる。

「虎、ダメだよ」

 研磨の珍しく鋭く冷たい言葉が、喉元に刃を当てているような気持ちにさせた。研磨は知っているのだ。彼女が何故親元を離れて、祖父である猫又監督の家に居候しているのか。主将が言い淀んだのも、きっとこの事に関する事なのだろう。しかも人間不信になるほどの、重い何かが。果たしてそれは……

「もしもーし、そろそろ部室の鍵くださいなー?」
「ふぁっ?!ナマエチャン?!!」
「クロ先輩みんな着替え終わってます?扉開けても大丈夫ですか?」
「もうみんな出るから大丈夫!あとで教官室に鍵持ってくから監督と待っててチョーダイ!!」

 不思議そうな返答と共に足音が部室から離れていく。一気に緊張から解放された面々は、そそくさと荷物を詰めて部室を後にした。
 その後鍵を戻しに行ったクロは、何処となく察したような顔の猫又監督に微笑まれたという。恐るべし、猫又監督。





「あれ?今日お前もバス帰り?監督は?」
「虎お疲れ様、おじいちゃんは先に帰ってるよ。安い方のスーパー閉まっちゃうから」
「お前なぁ……監督を顎で使うなよなぁ……」
「合同合宿のバーベキューがしょっぱいお肉になっても良いなら24時間運営のスーパーに行ってたよ」
「ナマエさんが僕らの財布なんですね!!」

 語弊を生む発言をしたリエーフが夜久に引っ叩かれるのを横目に、黒尾はナマエちゃんナマエちゃんチョット、と声をかける。

「ナマエちゃん、帰り道一人は危なくね?送りますよ?」
「お気持ちだけで大丈夫ですよ、みんなには早く身体を休めて欲しいです」
「このメールを見てもそれ言っちゃう?」

 瞬かせた瞳は零れ落ちそうな程に見開かれていた。見るまでもなく内容と送り主を察したからだ。ナマエ以外の部員が画面を覗き込むと、そこには猫又監督からの一文。そんなに心配なら鍵はコーチに任せて連れて帰れば良いのに。そうしないのは黒尾のことを揶揄っているからだと、研磨だけは知っている。

『クロ、悪いがナマエを送ってきてくれ。ちなみに夕飯付き二名までだ』




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