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 早朝から電車を乗り継ぎ、新幹線に腰を下ろすと大半の部員は眠りについてしまった。最初こそトランプやる!と意気込んでいたリエーフも、早起きと序盤のテンションの上がりすぎで席に着くや否やすやすやと眠りについていた。部員が風邪をひかないよう、冷房口の調整をして回るナマエは、きっと夜もトランプの出番はないだろうな、なんて、プラケースに綺麗に仕舞われたジョーカーに同情した。
 席に戻り簡易テーブルの上に問題集とペンケースを置いて、ついでに小さな保温ボトルに淹れてきた紅茶を口に含む。ほう、と息を吐くと隣から覆うような影がかかる。潜めた笑い声でクロ先輩だと分かった。

「相変わらず勉強熱心ね、ナマエチャン」
「あれ、研磨くんは?」
「俺の席取られた、窓際が寝やすいってさ」

 私の隣、通路側の席に座るはずだった研磨の姿は確かに海先輩の隣で舟を漕いでいた。でも通路側が良いと始めに言ったのは研磨くんだった筈なのに。そんは疑問はかけられた声に引っ張られてすぐになりを潜めてしまった。

「移動中くらいゆっくりしたらいーのに」
「そういうクロ先輩こそ、単語帳持ってきてるじゃないですか」
「……なんで知ってるのよ」
「お、当たりですか?やったぁ」
「ウワーかまかけられた、そんな事ばっか上手くならないでくださーい」

 3年生は仮にも進路選択の年だ。バレー部は全員が進学希望なので、バレーと勉強を両立しなければならない。とはいえ、器用な彼らならそこまで苦労はしないだろうとナマエは特別気にしていなかった。どちらかといえば他の面々の赤点回避の方が重大だ。音駒は選手の層が薄い。一人でも欠けられては困る。

「……相変わらず言われてンの?」
「まぁ、無視すればいいんですけど。頑固さはおじいちゃん譲りなので」
「学年一位キープ出来なきゃ音駒を辞めさせるなんて、ナマエの親はどこまで娘に理想を押し付けてるワケ?」
「終わりなんかないですよ。元々は上位で良かったのに、それが維持できるなら何位でも維持できるだろ〜って。それの繰り返しが今ですから」

 まだ春だというのに既に使い古されたようにボロボロな問題集は、まるでかつての自分の心を表しているようだった。遠征中くらい、なんて言葉はナマエにとっても両親にとっても甘えでしかない事を、部員の皆もきっと、知っている。その上で、やはり声をかけてしまうのだからクロ先輩は面倒見が良すぎる節がある。概ね研磨くんのせいだな。

「……分かんないとこあったら聞きなさいよ」
「わ、助かります!ありがとうクロ先輩」

 満面の笑みでお礼を述べた彼女に、黒尾は苦笑する事しか出来なかった。そんな彼らを盗み見ていた研磨達も、思わず眉を顰めてしまった。そんな事に窓際の彼女は気づかないのだが。





 新幹線から更に乗り継ぎ、目的の駅でようやっと日の下に出た面々。まずその足で黒尾たち部員は練習試合をする高校へと向かう。一方でナマエは「一度今夜の宿舎を確認してくる」と言って、別のバスへと乗り込んでいった。すっかり見慣れた光景とはいえ、一人行動させることに僅かながら心配と不安が入り混じった感情が黒尾の胸中に残る。おそらく3年は皆同じ気持ちだろう。研磨もなんだかんだで気にかけているようで、ゲーム機に向けられていた視線がバスに乗り込む彼女の背中を、一瞬だけ捉えていた。

「……ナマエはさ、天才型じゃなくて努力できちんと経験値を貯めてレベルアップするタイプなんだよ」
「おうおう急にどした?研磨」
「夜久くん寄りかからないで重い。……中学の時のバレーも勉強も、ずっと一人で抱え込んで、そうしてきたから壊れちゃったんだよ……」
「え、何?俺ですか?研磨クン」
「……心配する暇があったら、支えてやればいいんじゃないの?」

 研磨の鋭い視線が黒尾に向けられて、思わず声が漏れる。見かねた夜久が間に入るが、言葉の裏を理解した黒尾は、目的地に着くまでの十数分が酷く長く感じた。

「そうさせてくれたらこんな苦労してねぇっつーの……」





 到着したバス停にはコーチが待っていて、監督は既に高校の中だと教えてくれた。宿舎に残ったナマエは、途中から合流するらしい。元々マネージャー業は下級生が中心となって行っているから、然程問題はない。一人残ったという事は、概ね監督に頼まれ事をしたのだろう。音駒の遠征ではそう珍しいことではない。その考えが甘かったと分かるのは、遠征1日目のスケジュールを終えて、宿舎へと向かう最中であった。





「うむ、そうか……分かった、お前は部屋に居なさい。……なに、気にするな。明日は頼りにしてるぞ、じゃあ何かあったらまた連絡しなさい」
「監督、俺だけでも先に戻りますか?」
「いやぁ大丈夫だろう。それに行ったとして、コーチに手を焼かせたと自分を責めるだろうからな、あの子は」
「それにしても、まさか出張中の親御さんに遭遇するなんて……」

 黒尾達と別れた後、不運にもナマエは出張で宮城に来ていた親に遭遇してしまったらしく、少ししてからやっと猫又監督が間に入った事で解放されたという。
 過ぎたことは仕方がない、フォローをしっかりしよう、そう言った監督は何処かいつもの余裕が無いように見える。ナマエが如何に完璧を演じてみせても、それを否定しては更に磨く事を求める彼女の親は、磨き過ぎて出来たヒビから、一度粉々に割れてしまった事を忘れたのだろうか。タクシーで宿舎に戻っていった監督の後を追うように、コーチと音駒バレー部はバスで宿舎に向かう。いつもなら一緒に向かうか、宿舎で出迎えてくれるナマエの姿は、何処にもない。
 やっと姿を確認出来たのは、夕食の時間だった。部員は皆ラフな服装に着替えているのに、その時間すら惜しいとでも言いたげに彼女は制服姿のままだった。貼り付けた笑みがどこまでも痛々しい。片側の頬は大きなガーゼで覆われていたが、どうしたなんて聞く事は誰もしない。ただただ普段通りに挨拶を交わしていくだけだ。

「みんなお疲れ様、試合、どうだった?」
「楽しかったです!!」
「てことはリエーフ、良いレシーブが出来たってことね?後でビデオ観ておくから」

 サッと血の気を引いた顔をするリエーフを見てその場の皆が湧き立つ。アイツのレシーブ、形にはなってきたが、まだまだ練習の余地がある。伸びしろを感じたナマエのレシーブ指導が熱を増すのが容易に想像出来てしまう。監督と一言二言交わしてから黒尾の向かいに着席したナマエは、ゆっくりとした動作で手を合わせてから、綺麗な所作で食事に箸をすすめた。いつもなら会話を弾ませながらテンポよく食事を進める彼女だが、今目の前にいる彼女は、箸こそ止めないが黙々と食べ進めている割に量が減らない。そんな様子を眺めていると、視界の端からにゅ、と見慣れた手が割り込み、皿に乗ったトマトを掴んだ。

「……ナマエ、このトマトちょーだい」
「えっ?別に良いけど、研磨くん野菜あんま得意じゃ……」
「じゃー俺は生姜焼き一枚もーらいっ!!」
「ナマエあとで一緒に食後のデザート食べよう、ゼリー買ってきたんだ」
「えっ、あっ」

 研磨、夜久、海にあれよあれよと流されて、すっかりナマエの皿は綺麗に空っぽだった。突然のことにぽかんとする彼女の左手を黒尾がそっと引いて席を立たせた。

「今日の試合、一緒に観ながらデザート食べませんか、ナマエチャン?」
「……!」
「ハハ、決まりだね。用事済ませたら三年部屋集合。何かあったらすぐ連絡しなさいよ」

 ぱっと明るい表情を咲かせたナマエに黒尾はホッとしたが、決して顔には出さない。あくまでいつもの得意げなニヒルな笑みで彼女の顔を見下ろす。見下ろした先の彼女の耳が、ちょっとだけ赤かった。




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