悟くんの約束した日はあっという間にその日を迎えた。今頃教え子達との最後の時を過ごしている頃だろう。その中に私は居らず、一人約束の地へと降り立った。
久方振りに袖を通した着物は、やけに重く感じた。それだけ身体が後退してしまったのだろうと、自重気味に笑う。この大きな作戦の、最初で最後の私の仕事。着物の重さ程度で失敗する訳にはいかない。
「姫彼岸のオマエか、五条悟は如何した?」
「こちらに向かっている最中です。お時間までは少しだけ私とお話してくださらない?」
「……フン、姫彼岸の血筋、なんてくだらん術式だ」
「悠仁くんの檻の中にいた時はあんなに関心を持ってくれたのに?」
私の言葉が癪に障ったのか、両面宿儺はギロリと視線をこちらに向けた。暫し思案したあと、宿儺は言葉を続けた。
「愚かしいとは思わんか?己の為の呪術ではなく、ただ贄となる為だけの存在。くだらないとは思わんか?」
「贄になる事さえ叶わなかった私には論じても詮無いことです」
「贄になり損なったのだから無価値だな」
「いいえ、贄になる力だと私はずっと知らずに生きてきました。だからコレは、純粋な守る力です」
これだけ煽っても宿儺とその一派が手を出さないのは、私一人の犠牲で共倒れできる事を証明しているだろう。実際には此処で術式を使う事はないのだけれど、私のことを警戒しているという、悟くん達の読みはどうやら当たったようだ。あとはどれだけ私がこの場を言葉だけで凌げるかだろう。
「下らんな。守る力?周りを見てみろ、お前は何を守れたと言う?」
「全てを守れるとは思っていません。可能だと思っていたなら、それはただの傲慢というものです」
「ハッ!言い訳ばかりだな、貴様は」
「貴方の寄生した彼はよく言っていました。『守りたいものは自分で選ぶ』ってね」
袖から一枚の呪符を取り出して、ゆっくりと呪力を込めていく。宿儺であれば、これが自分にとって無害なものであると分かっているから特別手出しはして来ない。……これが始まりの合図とは知らずに。
「戻りました!戦況は?!」
「伏黒の術式が狙われたのがよく分かる」
「……恵くん」
虚式の爆風と共に始まった戦いを、本拠地に戻った私は着物も脱がずにモニタリングルームへと駆け込んだ。複数のモニターに映る激戦は、思わず目を逸らしたくなる様なものだった。
此処からは日下部さん達の役割。私が再び戦地に赴くのは、皆が死んだ時だけだ。せめてもの悪あがきで事前に守護の札を配置してきたが、相手があの両面宿儺では、雀の涙にもならないだろう。
「しっかりしろ、お前の旦那は何だかんだやるべき事はキッチリやる男だろ」
「硝子ちゃん……」
「いずれオペ室に篭る事になるだろーからね。今のうちに見ておこーと思ってな」
そうだね、と小さく零れた言葉に、果たして感情はこもっていたのだろうか。"今"となってはもう分からないし、思い返すだけ意味の無い事だろう。
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「えーっ?!野薔薇ちゃん建物壊しちゃったの?!もー、あとでちゃんと始末書書いてよね!え?ちゃんと向かってるよ、遅いって仕方ないでしょ、子どもの歩幅なんだから!文句言うならお迎え寄越してよ〜!」
「と、言われると思って虎杖タクシー来ました!」
「わっ、悠仁くん最高!恵くん文句しか言わないんだもん」
ビルの上から飛び降りてきた悠仁くんに抱き上げられた拍子に、手元のスマホには『通話終了』の文字が映っていた。うっかりブチ切りしてしまったのだろう。まあ悠仁くんが此処に来ているのだから、電話が切れた理由も彼なら大方察しているだろう。
「虎杖タクシーはやーい!1メーターいくら?」
「………」
「……悠仁くん、何かあった?」
「いや、なんも無いっす!えっと、ナマエさんならタダ乗りし放題です!今なら虎杖トーク付きッスよ!」
目の前の優しい嘘つきの嘘は見逃してあげよう。皆私の心を案じてくれているのだ。私たちが悟くんを失った、あの日から。