自然な意識の浮上に合わせてゆっくりと重かった瞼を開く。カーテンの隙間から入る日光は、まだ昼頃であることを教えてくれた。寝不足だったことを思えば十分な睡眠量を取れただろう。硝子ちゃんの心遣いに感謝しながら、簡易的ではあるがベッドを直して部屋を後にした。
 昼頃とはいえ、皆はもう食事を終えて(或いは各々持っていったのだろう)キッチンから水流音だけが人の存在を伝えている。

「変わるよ硝子ちゃん、ベッド、ありがとう」
「後少しだからいい。それよりホレ、お前も食っとけ」

 顎をしゃくって指した先には、私のとはちょっと違うおむすびと卵焼きが小皿にまとめてあった。お星様のパンチングがされた愛らしい海苔は、恐らく綺羅羅辺りの遊び心だろう。くすりと思わず笑みが漏れる。これは味わって食べなくてはと、かぷりと三角のてっぺんから齧り付く。気の持ちようなのだろうが、やはり人に作ってもらったものの方が美味しく感じた。
 さて、今日の私は何をするべきだろうか。





「あ、ナマエさん」
「エッほんとだ!ナマエち〜んッ!!」
「秤たちお疲れ様、おむすびと卵焼き美味しかったよ。秤、卵焼きの腕上げた?」
「おっ、わかっちゃう?」
「今では片手で卵割っちゃうもんね」

 ニヤリとニヒルな笑みを浮かべる秤は、綺羅羅の補足に随分と得意気である。高専に来た頃は卵を綺麗に割るところからだったのだから、離れてからも練習していたのだろう。
 あの頃はやむを得なかったとはいえ、高専を居場所としてあげられなかったことが悔しかったのを覚えている。そんな彼らも今では心強い高専の仲間。いざという時は見捨てる事はしない、そういう子達だったなと当時のことを思い出す。

「……ナマエちん、酷い顔してる」
「えっ、睡眠も食事も取ったんだけど」
「五条さんと話してないのか」

 イントネーションは疑問形、けれど彼の瞳は断定している、そんな言葉だった。私は思わず閉口する。この子は出会ってからこうである。敬称抜きで呼べと言ったのもこの代が初めてだったし、その分の近さ故か、どうも隠し事が上手くいかない。
 なんと返せば正解なんだろう。私は必死に頭をフル回転させていると、ふと視界がぐるりと回った。何事かと思えば、どうやらあぐらをかいていた秤の膝元に座り込まされたりらしい。視線の先では綺羅羅が柔い微笑みを浮かべている。

「ナマエさんさぁ、こーゆー時こそ頼ってやれよ。五条さん拗ねて当日に支障出たら泣くじゃ済まねーぞ」
「うん……」
「ナマエちんの事情も分かるよ。でも、最強五条悟を心から支えられるの、多分ナマエちんしかいないよ」

 秤と共に高専を去った綺羅羅の言葉が酷く突き刺さる。私は、悟くんが去る時、共にゆけるだろうか。わからない。まるで今までのツケを払うような気分だ。心が、感情が、歪だから。自分がどうすべきかは分かるのに、どうしたいのかは分からない。自分で選ぶという責任からまるで逃れているみたいで、なんて浅ましくずるいのだろう。
 いつの間にか視線が落ちていたのか、後頭部に思いっきり秤の顎が降ってきた。痛すぎて思わずうっすら涙を浮かべたまま、半開きの口は文句を言うでもなく言葉を失っていた。だって痛すぎたんだもん。

「ナマエさんのレア顔ゲット〜」
「それ撮るのはいいけど消しとかないと端末ごと消されそうだね」
「洒落になってねぇよ……」

 シャッター音は確かにしたが、その後も操作をしているところを見るに、悟くんという人間をよく知る秤は写真を削除したようだ。(正直それがいいと思う)

「……ま、二人の問題だけど?俺としてはナマエさんにも悩みすぎて欲しくないワケ。自分押し殺してまで守られるほど俺達弱くねーよ」
「そーそー、だって私たちさ」

 最強五条悟と、その彼が認めた夜蛾ナマエに教えを受けた生徒たちなんだよ?





「五条先生、通知来てましたよ。多分秤さん?」
「憂太ありがと。…………へぇ?」
「あの、どうかしたんですか、せんせ」

 乙骨は言い切らずに息を呑んだ。顔は確かに笑ってるのに、目だけが笑っていない。怒り、執着、嫉妬。そんなない混ぜの感情が先生の周りの空気をいっそう重くしている。これはナマエさんに関する事で間違い無いだろう。それ以外にここまで先生をキレさせるなんて、渋谷事変ぐらいじゃないだろうか。(聞いた話でしか知らないけど……)

「憂太ごめん、今日ここまででも良いかな?」
「むしろそうしてください……僕が無理です」
「何それウケる」

 先生、それ全然ウケてる顔じゃないです。緊張から一瞬にして解放された僕は、大人げない先生が出ていったドアを呆れながら暫し眺めていた。





 彼女の呪力を追ってゆったりとした足取りで廊下を進んでゆく。夜蛾ナマエという人間は、なんとも掴みどころのない人間だったと思う。それが今では五条ナマエとして生徒に、仲間に、慕われ愛されている。与える愛は惜しまないくせに、どこか距離を置いているのは、失うことへの恐怖だろうか。

「あ……悟、くん」
「ナマエはさぁ、夜蛾センの教えに忠実すぎじゃね?」
「は、」
「術師なんて碌な死に方しねぇよ。死ぬ時は一人だ。でもさ、生きてる間まで一人になる必要、ねーだろ」

 七海も父親ももう居ない。それをおくびにも出さず奔走し続けた彼女。もう、良いじゃないか。無力だったなんて悲しいこと言うなよ。自分のこと、許してやれよ。抱え込むぐらいなら、俺と一緒に最期まで、ちゃんと生き抜いてくれよ。
 懇願するような言葉を理解したのかは分からない。けれど、まあるい瞳が瞬いた瞬間、月光に照らされた彼女の幼い頬に、一筋の涙が、伝った。



さよならかみさま


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