羊雲に飛び込んで往け

『初戦は隊長の修はいないけど、ナマエさん観にきてよ』

 先日菓子折りを持って(多分持たせたのは玉狛支部の誰かだろう)我が家へ遊びに来た遊真くんから、間も無く始まるB級ランク戦に向けて各々勤しんでいるときいた。そういえばそういう時期だったな、と思い耽っていた。私は現在の体制になってから、黒トリガー所持者という特例の立ち位置の為チームというものを組んだ事が無い。個人のランク戦さえ経験がない。頼まれて模擬戦はするけれど、ポイントの変動はないものだけだ。

「……非番だとやる事ないなぁ」
「じゃあ俺と散歩でも行かない?」
「迅さん!いつの間に」
「お前、一応玄関口は閉めとけよ。危ないだろ」

 迅さんの指した先にはこの家と道場を囲む塀の木製のドア。そういえば今朝ゴミ出ししてそのままだった気がする。とりあえず迅さんを待たせるわけには行かないので、急いで自室で身の着を整えミニリュックの中身を確認する。急いで戻ると、庭先に座る彼の茶髪が揺れていた。表情は上手く読み取れない。じんさん、とつい声を漏らすと、いつもの何処か儚げな笑みが返ってくる。

「迅さん、少しだけ休みましょ。お昼をウチで食べてから、午後散歩に出れば十分です」

 干したばかりのタオルケットをうっすら隈が出来た迅さんの頭に放り投げて、私は頭のてっぺんを突き合わせるように寝転んだ。大規模侵攻が来るまでずっと働き詰めだった迅さん。そして終わっても尚この人の心が晴れる事はない。未来視を託された者としては、些か優しすぎるのだと私は思うのだけれど。きっと本人はより多くを救う為に見殺しにする事もある己を酷い奴だと、いつか言っていたように今でも思っているのだろう。
 修くんの生死が際どい未来だった事さえあなた一人で抱えたら、もう潰れてしまうじゃないですか。修くんの生死は、彼の運命が、チカラが、仲間たちが決めてくれる。だから少しくらい、自分を許してあげて欲しいと願う。
 間も無く聞こえた静かな寝息に、私はそうっと身体を起こしてお昼の準備に取り掛かるのだった。





「………はっ!やべっ!!」

 突然覚醒した意識は反射的に身体を床から起こす。タオルケットをかけてきた相手をキョロキョロと探すと、視界より先に嗅覚が家の主の居場所を教えてくれた。台所には、優しい味噌の香りと、ゆったりとした動作で鍋をかき混ぜる小さな後ろ姿があった。玉狛支部でも時折料理をしてくれる事はあるが、カウンターキッチンの為そのどこか無防備な後ろ姿を見る事は無い。
 出来る限り邪魔をしないよう距離をとって見ていたつもりだが、流石に彼女には通用しなかったようで、振り返ったナマエは嬉しそうに俺の名を呼んだ。未来視では確かに彼女と街中の様子を探りながら過ごす未来が見えていたが、まさかその前に寝てしまうとは思わなかった。読み逃しか、疲れていたんだろう。短時間とはいえ慣れた畳の香りと優しい温もりで、質の良い睡眠を取れたらしい。お陰様で霧がかっていた思考はクリアになっていた。

「迅さん、お昼食べたらお散歩行きましょう」
「お前の味噌汁相変わらずさつまいも入ってんのな。懐かしー」
「食物繊維、大事。加古さんの教えです!」

 少なめの白米と具沢山の味噌汁、つけ合わせの小鉢が数種類。きっとこの後の出先でいつも通りカフェに長居することを想定して、軽めにしてくれたのだろう。

『それは俺のことが好きだから?』
『迅さんは嫌いですか?私のこと』

 大規模侵攻が起こる前。ここまで送り届けた時に交わした言葉は、結局有耶無耶なまま、関係性も人より踏み込んでいるし近いが、まだ名前をつける事を許してはくれない。有耶無耶でも、互いがどう思っているかなんて、流石の俺もアイツも、そこまで初心じゃないから分かっている。
 ここまで来て決定打を許さないのが彼女なのである。頭では分かっている。彼女が俺の特別になることで、未来視による選択に苦しむ俺を望んでいないという事も、逆にあっさり割り切られてしまうことを恐れていることも。そのどちらも起こり得ないと断言出来るのに。それ程にナマエは聡明で、遠く先まで見据えて考えられる少女だった。最前線で戦い続けても、心を腐らせる事なく真っ直ぐな視線で、現在も未来でも俺を射抜くのだ。

「さて、どう進めようかね」
「午後ですか?カフェに入るなら私新作食べたいとこあります!」
「はは、じゃあ目的地はその店だな」

 そうじゃないんだけどなぁ。キラキラと眼を輝かせてデザートに想いを馳せる姿が愛おしいので、何も言わずに味噌汁を飲み干した。午後もいい日になりそうだ。
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