きみと泥沼

(※ヤンデレ要素が含まれます)


…最近、どこにいても誰かの視線を感じる。誰なのかは全く分からない。家に出た瞬間。電車の中。授業中。帰り道。とにかくどんな時でも誰かに見られている気がする。私が気にしすぎなのかもしれないけれど、なんとなく気のせいではない気がする。

「はぁ…」
「溜め息ついてると幸せが逃げていくぞ」

隣りの席に座っている柳くんが意地悪そうに言う。なんでか柳くんの優しい顔を見ると、少しホッとした気分になる。

「そもそも幸せじゃないもん。…ていうか最近色々と怖くて」
「何かあったのか?」
「何かあったって訳じゃないけど…常に視線を感じるっていうか」
「…気にしすぎも良くないが、帰り道なんかは一応気をつけた方がいいかもしれないな」
「うん。一応気を付けてはいるんだけどね…」

最近はこのことで頭の中を占めている。誰に見ているんだろう。ストーカーなのかな。もしそうだったらどうしよう。そんな考えがぐるぐると渦巻いている。

「…顔色悪いが」
「えー…ほんと?」
「あぁ。無理はしない方がいい。保健室へ行くか?」
「そうしようかな。サボりたいし」
「ふっ、それは聞かなかったことにしよう。保健室へ行くなら俺も付き添うが」
「え、いいよ。別に一人で歩けるよ」
「今の名前には一人で歩くのは怖いんじゃないのか?」

う。確かにそれは合っている。ここ最近は一人で歩くのも怖くなってきていた。誰かと話していれば気も紛れるし、視線のことも少し気にしなくなるから一人でいることを極力避けていた。

ていうか、柳くんって名前で私のこと呼んでたっけ?いやまぁ、別に苗字だろうが名前だろうがいいんだけれど。少しドキッとしてしまったのは本人には内緒にしよう。

「じゃあ…お願いします」
「あぁ。それじゃあ行くぞ」

私がそうお願いすればすぐ柳くんは即座に立ち上がり、私に手を差し伸べる。少し困惑気味に私はその手を見つめる。

「なんだ。立てないのか?」
「いや…そうじゃないけど」

そう呟きながらも柳くんの手を借りて立ち上がる。初めて触れた彼の手は思ったよりも冷たかった。私が立ち上がった後も、依然として手は握られたままで恥ずかしさのあまり顔を俯ける。

「ほら、行くぞ」
「あ…うん」

そのまま私の手を引いて柳くんは教室を出る。少し力を入れれば振りほどけるのに何故だか私はその手を振りほどくことが出来なかった。理由は私でも分からない。




保健室に着くと、一瞬で先生がいないことは分かった。

「どうやら先生はいないようだな」
「むしろ私には好都合だけどね」
「そういう訳にはいかないだろう。先生を探してくるから座って待っていてくれ」
「うん…ありがと」

そう言って柳くんは踵を返して保健室を出た。ふいに視線を地面にやると、小さな手帳が落ちているのが見える。さっきまでは落ちていなかったはず。ということは、これは柳くんの…?

少し気になったので拾い上げそれを読んでみる。しかし、その内容に私は目を見開く。

W6月13日(水)
 今日の名前はいつもより5分程遅く家を出た。恐らく昨夜友人と遅くまで電話していたせいだろう。俺の隣に座る名前は最近悩み事があるようで、顔が暗くなることが多い。帰り道、電車の中、友人と話している時もふとそうした表情を見せる時がある。だが、俺はそんな表情をする名前も好きだ。悩みの正体はなんなのか、今度聞いてみるとしよう。―――……W

立っているのがやっとだった。まだ文章は続いていたが読む気になんてなれない。理解をすることを頭が拒んでいる。
こんな達筆な字を書くのは柳くんしかいないし、柳くんは廊下側の席に座っているので隣の席であるのは私しかいない…。嫌でも段々と理解してしまう。この紙がつまりはどういうことを指すのか。ここ最近常に付き纏う視線の正体は…

「あぁ、見てしまったのか」

今一番聞きたくない声が背後から聞こえる。私は驚きのあまり声に出来ず、振り返ることも出来ない。すると突然背中全体がふわりと温もりに包まれる。柳くんの腕が私の胸の前で交差される。怖さのせいで体が強張り、動けなかった。

「手帳を落としたのは意図的だ。いい加減気づいて欲しくてな、俺のことに」
「な、なにかの冗談…だよね。これ」
「冗談?俺はいつだって本気だが」
「こんなの…絶対おかしいよ」

私の言葉には答えずに柳くんは腕の力をぎゅっと強める。この状況から抜け出したい、保健室の先生お願いだから早く来て。

「勿論、この時間に保健室の先生が来ないということも計算済みだ」

低く、落ち着きのある声で私の耳元で囁かれ背中にゾクゾクとしたものが走る。私の考えていたこともお見通しだと言いたげに柳くんは、ふっと鼻を鳴らす。

「なぁ名前、この責任は取ってくれるんだろう?」
「え…責任って」
「俺をここまでさせたのは名前。お前のせいだ」

そう言うと柳くんは私の両肩を持つと体を反転させた。嫌でも柳くんと向きあう形になる。けれど顔を見るのが怖くて、咄嗟に俯く。

「名前」

聞いたこともないくらい優しい声色で私の名前を呼んだかと思えば、私の顎をぐいと持ち上げ無理矢理私は柳くんの顔を見ることになる。教室で柳くんの顔を見て安心していたのが遠い昔に感じる。今わたしはどんな顔で柳くんのことを見ているんだろう。

「俺はお前のことを愛している。…それは名前も同じだろう?」
「わ、私は…」

後ずさりをしようと足を後ろへ半歩引きずると、それ以上は逃さないといった感じで私の背中へ腕を回された。

「逃げるとはいただけないな…。まさか、名前は俺のことを愛していないとでも言うのか?」

腕の力を強めながらそう言う柳くんの顔はいつもと同じ表情なのに、どこか怖い。今この場にノーなんて選択肢は無いと嫌でも感じさせられる。

「す、好き…だよ。柳くんの、こと」
「"柳くん"じゃないだろう」
「れ…蓮二?」
「そうだ。よく言えたな」

そう言って柳くんは私の頭を優しく撫でた。こんな状況なのにちゃっかりドキドキしてしまう自分が、段々おかしいのか正常なのか分からなくなってくる。

「あのね、蓮二」
「なんだ?」
「私、蓮二のこと……愛してる。だから、もうこういうことはやめて?」
「ほぅ、嬉しいことを言ってくれるな。だが、俺は名前のことを愛しているからこそ見守っているんだ。分かってくれるな?」
「………、うん…」
「いい子だ」

そう言うと柳くんは私を更にぎゅっと抱きしめる。ドキドキとする鼓動に私は、本当は柳くんのことが好きだったんじゃないかと錯覚する。ここまで私のことを愛してくれる人、見ていてくれる人、滅多にいないじゃないか。そう考えると彼と一緒に泥沼に浸かるのも案外悪くないかもしれない。そう思いながら、私は柳くんの背中にそっと腕を回した。

「ありがとう蓮二…」

直後、彼の口角が怪しく上がったのは誰にも知る由はない。