海辺の真秀
日は傾き、空はオレンジ色に染まっている。太陽はもう沈んでいるというのに、昼間の熱気を残したかのように生暖かい空気が漂っていた。部活終わりということも相まってか、汗がじんわりと滲み出てくる。パタパタと掌で顔を扇ぎながら、私の隣を汗ひとつ掻かずに涼しい顔をして歩いている男に羨望の眼差しを向けた。「…暑くないの?」
「いつもよりは暑いかもしれないな」
「腕も捲らないでよく涼しそうにしていられるよね」
「涼しそうにしているつもりはなかったが」
そう言う蓮二の顔はやっぱり涼しそうな顔をしている。きっと本人は本当にそんなつもりはないんだろうけど。たまに部活中の蓮二を見かけるけど、彼はいつでもジャージを羽織って首元までチャックを締めている。そんな姿を見る度に、暑くないのかといつも心配になってしまう。
「あ、そうだ。今日はちょっと寄り道しない?」
「あまり遠くは駄目だぞ」
「遠くじゃないよ。そこのコンビニ寄りたいの。いい?」
「あぁ。構わないが暑い日はすぐに帰りたがるのに、今日に限ってどうしたんだ?」
「んー今日は真っ直ぐ家に帰りたくない気分なの!」
というのは、建前で本当はもう少し蓮二と一緒に居たいだけ。そんなこと恥ずかしくて本人には言えないけど。蓮二も部活で疲れているというのに、こうしてたまに私の我が儘を聞いてくれる。
入店音と共にコンビニへと足を一歩踏み入れれば、ひんやりとした空気が私の体を包んだ。掻いていた汗もみるみる引いていき、思わずうっとりとした表情になってしまう。
「なにか食べたいものでもあったのか?」
「うぅん…これといってないんだけど…あっ、」
「どうした?」
「アイス食べたい」
アイスケースを見た途端、どうしようもなく食べたくなってしまった。暑い日に食べるアイスはいつもよりも格段に美味しく感じる。アイスケースを覗きながら何にしようかと悩んでいると、とあるアイスに目が留まった。
「蓮二もアイス食べたい気分だったりする?」
「そういう風に聞くということは、そうであって欲しいんだろう?」
「あはは、バレた?」
「バレバレだ」
「じゃあ私が何言いたいか分かる?」
「これだろう?」
そう言って蓮二はアイスケースの扉を開けると、迷わず手に取ったのはパピコ。得意気な顔をしているのが少し癪だけど正解だった。
「当たりか?」
「うん、当たり。流石私の彼氏だね?」
「ふっ…そうだな」
軽く鼻で笑い飛ばすと蓮二はパピコを手に、レジへとそのまま向かって行こうとしたので慌てて腕を掴む。
「待って。私が言い出したんだから、私が買う」
「今日の昼、俺に水を買ってくれただろう?そのお返しだ」
「あんなの別に…。私が勝手に買ってきたんだし」
「ちょうど喉が渇いていたから助かったんだ。とにかく、礼をさせてくれ」
「う…分かった。ありがとう」
掴んでいた腕を離し、私は先にコンビニを出た。自動ドアが開くと同時に生温い風が顔に当たり、思わず顔をしかめる。この暑さで食べるアイスは格別に違いない。早く食べたいなあ。
後ろでぶぅん、とドアの開く音が聞こえたので振り向くと、蓮二がレジ袋片手に「待たせたな」と言って微笑んでいた。1秒でも早く食べたいところだけど、私は「あっ、」と思い立ったように声に出す。そんな私に蓮二は首を傾げる。
「どうした?」
「どうせなら海眺めながら食べようよ。すぐそこだし。土手にでも座りながらさ」
「あぁ。名案だな。行こうか」
「うんっ」
...
..
.
「いつ見ても綺麗だよね、海」
「そうだな。この時間は特に綺麗かもしれないな」
学校の土地柄、毎日のように海を見ているのだけど、それでも、やっぱり、海は綺麗だなと毎日のように思う。今のような日が沈む前の黄昏時なんかは特に。横に座る蓮二を見ると、風になびく彼の横顔が海面に反射した日差しにキラキラと照らされて、今にもこのまま海に吸い込まれてしまうんじゃないかと錯覚するほどに儚げに見えたりして私の鼓動は勝手に早くなる。
ぼぅっと気を取られていると、蓮二は突然私の方を振り向くものだからバッチリと目が合ってしまった。慌てて目を逸らしたけど意味は無いと思う。どんな顔で蓮二のこと見つめていたのか考えるだけで顔が熱くなる。
「…どうした?泣きそうな顔をして」
「え、あっ、そんな顔で見てた…?蓮二のこと」
「あぁ。何か嫌なことでもあったのか?」
「嘘。そんなつもりはなかったんだけど…」
「…大丈夫か?」
「うん。ごめん、大丈夫。…それよりも早く食べよ!あいす!」
「ふっ、そうしようか」
はしゃぐ私を横目に蓮二はがさがさと音を立て、先程買ってきたパピコを袋から取り出す。封を切り、くっついているパピコをパキッと2つに分けると、蓋の部分を千切ってから私に渡してくれた。こういうさり気ない優しさも彼に惚れた理由の1つだ。「ありがとう」と言って受け取ると、ひんやりとした感覚が手から伝わってきた。
「んん、冷たいっ」
「少しは暑さも和らぎそうだな」
「うん、そんな気がする。パピコで正解だったね」
「あぁ、そうだな」
ぐっと両手に力を入れると、想像以上に溶けていて溢れそうになってしまい慌てて口をつける。買ってからまだ少ししか時間は経っていないのに。いつも手の熱で溶かしてから食べているから、ある意味丁度いいのかもしれない。このカフェオレの味としゃりしゃりとした食感は何度食べても飽きないと思う。そしてこのアイスの何よりも有難いことは、溶けてきても手がベタベタしないこと。
「暑い日にわざわざ名前が寄り道したいだなんて珍しいな」
「そうかも。暑い日は1秒でも早く帰りたいもん」
「…何かあったのか?」
「ううん……ただ…」
「どうした?」
「今日はすぐバイバイってしたくなかったの」
「…ここが外でなければ名前のことを抱き締めていたかもしれないな」
ふっ、と静かに笑うと蓮二は私の手を優しく握った。今更になって自分の言葉に少し恥ずかしくなり、顔が俯く。
「何故帰りたくなかったんだ?」
「…なんとなく。本当になんとなくだよ」
私がそう言うと頭上で「そうか…」と溜息混じりに呟く蓮二の声が聞こえた。かと思えば彼の唇が近付いてきて、静かに重なった。コロン。視線を下に落とせば、手にしていたパピコが砂浜の方へと転がっているのが見える。自分でも思う以上に気が動転しているらしい。
「ど、どうしたの…突然…」
「なんとなくだ」
ダメか?とでも言いたげに私を見る顔が何となくムカついて。わさとらしく怒った顔をして見せたけど、優しく頭を撫でられてはそんな顔もあっという間にだらしのない顔になってしまって。
「ふっ、たまにはこんな帰り道もいいかもしれないな」
「……」
「名前?」
「そうかもね」
「顔が赤いぞ」
「う、うるさいなっ」
そんな私に蓮二は優しく笑うから私もつられるように笑う。きっと恐らくこの日のことは何年経っても忘れられない、そんな気がした。何故かは分からないけど。