8月の引き金
「いらっしゃいませ〜」軽快な入店音と共に自動ドアが開く。私がここのコンビニでアルバイトとして働き始めてから何1つ変わらない風景。けれどここ最近になって、気になるお客さんが出来た。私は心の中で勝手に″風船くん″って呼んでいる。彼の存在は大学の夏休み中限定で入っている早朝シフトのお陰で知ることになった。
これといって気になりだしたきっかけというものは無いのだけど、強いて言うなら毎日のように沢山のお菓子といつも同じ種類で同じ味のガムを買っていくから。グリーンアップル味の風船ガム。私は滅多にガムなんて噛まないけれど毎日欠かさず買うなんて一人で消費しているのだろうかといつも疑問に思ってしまう。
朝の忙しい時間も終わり、レジの前でそんなことをボーッと考えているとカウンターの前にカゴがボンと置かれた。慌てて「いらっしゃいませ」と言ってからお客さんの顔を見て驚く。カウンターの前に立っているのは例の風船くんだった。自分が頭の中で思い浮かべていた人物が目の前にいると想像以上に驚いてしまうことに気が付いた。どうにか平静を装いカゴに入れられた商品を1つ1つ取り出しレジへ通していく。
「お姉さんって最近ここのバイト入ったの?」
「へ!?」
思わずバーコードリーダを持つ手が止まる。まさか彼から話しかけられるとは考えもなかったので、「えっと…」口篭っていると彼はプッと吹き出すように笑った。
「そんな難しい質問だった?」
「や、そうじゃなくって!話しかけられると思わなくて」
「あーそゆこと。お客さんから話しかけられることなんてよくあるんじゃねえの?」
「まぁ、ありますけど…でも、その、…」
風船くん、なんて渾名を勝手につけていたお客さんに話しかけられて驚きました。なんて言える訳が無かった。答えに迷っていると「俺には言えない何かがあるって訳ね」と1人で勝手に納得していた。「んーまあそんなとこです」と適当に返事し、最後の一品をスキャンし終え、「お会計867円になります」と合計金額を風船くんに伝える。お、ピッタリあったとニコニコな風船くんから867円ぴったり小銭を受け取り、商品を全て入れた袋を両手で手渡す。そのまま帰るのかと思いきや彼は「あ、そういえばさ」と口を開いた。恐らく風船くんはこれから学校へ行かなきゃいけないのに大丈夫なのかなと思いつつ私は彼に首を傾げる。
「お姉さん高校生?」
「ううん大学生。いま夏休みだからこの時間入ってるの」
「あーそういうこと。俺と同じ高校生かと思ったわ」
「ふぅん。風船くん高校生なんだ」
「へ?」
「ん?……あぁっ!」
風船くんの反応でようやく気付く。私は馬鹿か。こっそり呼んでいた渾名を本人に言ってしまうなんて。恐る恐る風船くんの顔を見ると、最初は目を丸くさせていた風船くんの顔は数秒後、ぶはっと吹き出し、みるみるうちに笑顔へと変わっていった。
「風船くんってもしかして俺のこと?毎日風船ガム買ってくから?」
「あ、えと……本当に毎日のように買ってくから覚えちゃって……本当にごめんね」
「やっぱりお姉さん面白すぎだろぃ」
「そこまで面白いことは言ってないけど…」
「ふーん。俺が毎日買ってくの覚えてたんだ」
「ま、まあ、あんだけ買っていけばそりゃ…」
「じゃあ俺が毎日このガムお姉さんのレジで買ってた甲斐があったって訳だなぁ」
風船くんはそう言うとレジ袋からガムを取り出し、1枚口の中へ放り込んだ。彼の言葉に、ん?と思ったがひとまず「あ、一応お店出てから食べてよ」と叱った。
「まあまあ。もう噛んじまったし」
「もう…」
「お姉さんいま夏休みってことは夏休み終わったらこの時間は入らねえの?」
「うん。元々入ってた夕方の時間でまた働く感じになるかな」
「ふぅん。元々夕方だったんだ」
「そうそう。風船くんは夕方はここ寄らないの?夏休みに入ってから私初めて見たし」
「あー…そうだったんだけど、俺も夏休み終わったら夕方も寄ることにした」
「え、なんで?」
「そりゃお姉さんに会う為以外に無いっしょ」
本日2度目の「ん?」という違和感と共に若干の戸惑い。風船くんは私の事をからかっているに違いない。高校でも寄ってくる女の子にこんなことばっかり言っているんだろう。そんな図が安易に想像出来た。見るからにモテそうだもんこの子。うん。歳下に惑わされてどうする私。
「…そういうことは冗談で言うもんじゃないよ」
「え、俺本当の本当に本気」
「だって私の名前も知らないじゃん」
「名前」
「…え、」
「名前、って名前だろぃ?」
「な、なんで知ってるの!?」
私の問いに彼は語尾に音符マークでも付いていてもおかしくない程に弾んだ声で「ひ、み、つ!」とだけ答えられた。じいーっと睨みつけてみても、ニッとしたキラキラスマイルを向けられただけだった。そんな彼の顔が一瞬壁に掛かった時計へと向けられると、「やべっ」と焦った表情へと変わった。
「そろそろ部活行かなきゃ。あぁ〜真田に怒られる…」
「ここで長話しすぎたね。お客さんいないから私は全然良かったけど」
「名前は明日も入ってるの?」
「え、あぁ…うん。同じ時間に」
「じゃあまた明日な!」
「うん、また明日」
今度こそ行くのかと思いきや風船くんは「あっ、」と言って自動ドアの手前で私の方へ振り向いた。眉を少し下げて「袋に何か入れ忘れた?」と聞くと、「いや、ちげえ」とぶっきらぼうな返答。
「明日からは風船くんじゃなくて、ブン太って呼べよぃ」
「あ…うん。分かった。ブン太…くん」
「俺は呼び捨てなのに名前は君付けって変な感じすんな」
「元々風船くんって呼んでたし…」
「まあーそれもそうか」
んじゃ今度こそ、と言って風船くんは手をヒラヒラとさせながらお店から出て行った。ラケットバックを肩にかけ、赤色の髪を揺らしながら駆けていく彼の後ろ姿を見て、不意に夏を感じた。ふとカウンターへ視線を落とすと、風船くん…ブン太くんがいつも買っていくガムが1枚そこにはあった。これは忘れたとかじゃなくて、くれた…んだよね?きっと。周りにお客さんが居ないことを確認してから、ガムを包み紙から取り出し口へ放り込む。思ったよりも爽やかなグリーンアップルの味。彼はこのガムを噛みながら部活に励んでいるのかと想像したらほんの少しほっこりした。
ふと包み紙を見てみると小さく俺の連絡先! 丸井≠ニいう雑な文字の下にはアドレスらしき字列。いつの間にこんなの書いたんだ、とかフルネーム丸井って言うんだ、とか思う前にまず頬が緩んでしまって口元を手で覆った。私はただ彼の存在が気になってたのに、こんなの、こんなの違う意味で意識してしまうじゃないか。お客さんが入店した時に開いた自動ドアから、生ぬるい風も一緒に店へ入り込み私の頬を撫でる。今年の私の夏は長くなりそうだ。