やさしさが氾濫する
(※大学生パロです)脇に挟んでいる体温計が、ピピピと音を立てる。気怠げに脇から体温計を抜き取ると、それは38.8゜と表示されていた。その数字に怠かった身体が、更に怠くなる。物心がついた頃から熱を出した記憶がなかったので、ついに病原菌に負けてしまった気がしてなんとなく悔しくなる。
時刻は朝の9時を少し回った頃。さっきから幾度となく鳴っていた携帯を手にする。熱がある所為か、携帯が何処となくいつもよりも重く感じた。携帯の電源をつけ、ロック画面を表示させると中学からの友達である幸村精市からのLINEの通知で画面いっぱいに埋め尽くされていた。その通知の数に反射的に顔を歪めてしまう。
『1限始まるよ?席とっておいたけど、遅れるの?』
『もしかして、まだ寝てるのかい?』
『名前?』
『まさかあの名前が風邪引いたとか?』
『あれれ、死んでる?』
こういった類のメッセージが何通も送られてきていた。ついでに熊が右手でうさぎの耳を掴んでいるスタンプが何個も。それがなんとなく精市らしくて笑ってしまう。少し私を小馬鹿にしているのが癪だけど、心配してこういったメッセージを送ってくれているのは分かっていた。そんな精市からのLINEをボーッと眺ながら何て返そうか考えていると、既読がついたことに気付いたらしく
『あ、おはよう。風邪?』
新たにそんなメッセージが届いた。私が今起きたことは言わずとも分かっているみたいだった。
『うん。さっき測ったら38.8あった』
『名前でも熱出すんだ。珍しいね』
『うるさい。少しは病人を労ってよ』
『なんか買ってくるよ。食べたいものある?』
お見舞いにでも来てくれるのだろうか。でも、そんな気遣わせたくないし…。『別にいいよ』とだけ送って、携帯を閉じた。すぐにブーと携帯が震えたが、もう携帯を手に取る気力も無い。そのまま寝返りを打ち瞼を閉じると、あっという間に眠りに落ちた。
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ピンポーン。インターフォンの音で目を覚ます。壁掛け時計を見ると、針はまだ11時に差し掛かろうとする所だった。2時間位しか寝られていない。誰よこんな時に…、と独り言を呟きながら重い身体を起こし、ふらふらと玄関まで向かう。普段だったら開ける前に必ず覗き窓から確認するのに、頭がぼぅっとしていた所為か何も考えずに扉を開けた。
「わぁ、想像以上に辛そうだね」
「別にいいって言ったのに〜…茶化しにきたの」
鼻をずびっとすする。梅雨も明けて今日も外は暑いというのに、私の身体はぶるぶると震えていた。
「あはは、ごめんごめん。茶化しに来たんじゃなくって、ちゃんと看病しに来たから」
そう言って精市はニッコリとした顔で右手を上げると、ガサと音を立てながら大きなレジ袋を見せた。中にはゼリーだったり、果物が入っているのがチラと見えた。こうして私の家に精市が来るのはいつぶりだろう。大学で毎日のように顔を合わせているはずなのに、何故か久しぶりに会った気持ちになった。
「看病なんてされなくても勝手に治るもん…」
「とりあえず上がるね。…ほら、俺の肩に掴まって。ベッドに行くよ」
私の言葉なんて聞かずに、無理矢理私の腕を精市の肩に絡ませる。正直なところ、一人で歩くのも辛かったから助かった。部屋へ着きベッドに腰掛けると、水の入ったペットボトルと錠剤を2錠を手渡された。
「これ、飲んで」
「この薬って…」
私の家には薬なんて置いていなかったはずだけど。そんな顔で精市を見つめると、
「さっき買ってきたやつ」
「え、じゃあお金…」
「今はそんなこと気にする場合じゃないよね」
「あー…ありがとう」
いつもとは違ってかなり優しい精市に調子が狂いながらも、言われた通り薬を口に含み水を飲んで流し込む。精市は薬を飲んだことを確認すると、私の両肩をぐいっと押して横たわらせる。
「ほら、寝て」
そう言って精市は布団を掛けてくれた。優しいような雑のようなその看病に、思わず笑みがこぼれる。
「今日は何か食べた?」
「そういえばまだ何も食べてないや…」
「お粥くらいなら食べられそう?」
「うん。…作れるの?」
「あはは。俺のこと少し馬鹿にし過ぎじゃないかな、作れるよ。あ、鍋とか使わせてもらうね」
「う、うん…ありがと」
「それまでは安静にしていて」
こくりと私が頷くと精市は満足そうに笑みを漏らし、部屋の外へと出た。少しして、カチャカチャと鍋や調理器具が擦り合う音と精市の鼻歌が聞こえ始める。そんな心地のいい音をBGMに、そっと目を閉じた。
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次に目が覚めた時は陽が傾きかけてきた頃。部屋の中は薄暗く、壁に掛けている時計を目を凝らしてもよく見えなかった。部屋をぐるりと見回すと、少し離れたソファーで腕を組みながらうたた寝している精市が見えた。上半身だけ起こし「精市」と呼んでみると、精市の目がゆっくりと開く。精市はそのままこちらへ顔を見やると、枕元の方へと移動し床に腰を下ろした。
「起きたんだね。調子はどう?」
「薬のお陰かな、さっきより大分いい感じ」
「そう。なら良かった。…お粥食べる?」
「うん。あ、食べる前に寝ちゃってごめん」
「いいんだ。寝たおかげでだいぶ良くなったみたいだし。それじゃ、よそってくるから待ってて」
部屋の扉が閉まると、ガスコンロの「チチチチ」という音が聞こえた。さっきまでは頭がぼーっとしていてあまり気にしていなかったけど、精市が私の家のキッチンを使っているなんてちょっと変な感じがする。精市と付き合ったらこんな感じなのかな、なんて突拍子も無い想像をしてしまう自分に思わず驚く。今日の自分は何処かおかしい気がする。無意識に早くなる鼓動を落ち着かせるように、深く息を吐き出すと同時にガチャリと扉が開いた。
「お待たせ〜」
お椀を乗せたお盆を持った精市が部屋に入ってくる。すん、と美味しそうな匂いが鼻を掠めた。
「わぁ、美味しそう。本当に精市が作ったの?」
「お粥だよ?誰だって作れると思うけどな」
そう言って意地悪そうに微笑む精市を横目にスプーンを手にしようとすると、そのスプーンは精市に取られてしまった。
「え…?」
「憎まれ口叩く元気が出たとしても、病人には変わりないからね。ほら…、はい」
精市はお粥をスプーンで掬うと、それを私の口元まで運んできた。条件反射なのか、思わず口を開けてしまう。お粥は熱すぎない温度で、すぅっと喉を通っていく。今日初めての食事ということもあってか、お腹がじんわりと暖かくなった気がした。
「美味しいかい?」
「うん…美味しい。すごく」
「…うーん。今日の名前は素直で、なんだか調子が狂うなぁ」
「それはこっちの台詞」
「ん?なんで?」
「今日の精市優しすぎて怖いもん」
「あはは!優しいのが怖いだなんて心外だなぁ」
小さい子供のように声を出して笑う精市を見て、なんとなく抱きしめたくなってしまった。そんな邪念を振り払うように頭をブンブンと横に振ると案の定というか、視界がぐらぐらと揺らてしまい、気づけば私の頭は精市の胸元に埋める形になっていた。
「…何やってるの名前、頭おかしくなっちゃった?」
「ち、ちがうの…」
慌ててそこから離れようとしたが依然私の視界はぐるぐると歪んだままで、離れようにも離れられなかった。精市とは長い時間を共に過ごしてきたけど、ここまで近い距離で密着したのは初めてで視界も頭の中もぐるぐると混乱していた。
「ご、ごめ…目眩がすごく、て」
「しばらくこうしていればいいよ。無理に頭を動かさない方がいいだろ?」
そう言って精市は私の頭を優しく撫でた。精市のその優しさに思わず涙が溢れそうになる。そして、そんな精市の行動にいちいちドキドキとしてしまう今日の私はやっぱり何処か変だ。
しばらく経ってようやく目眩は治まり、大きく息をつく。
「…ごめんね、やっと落ち着いた」
「よかった。まだ安静にしていた方がいいみたいだね」
私の頭と背中を支えながら精市は、再び私を寝かせてくれた。私は布団を掛けてくれた精市の手をそっと掴んだ。
「名前?」
「…前に精市さ、健康な人が好きって言ってたじゃん」
「それいつの話?まぁ、確かに健康であることは大事だと思うけどね」
「私…精市の好きなタイプから外れちゃったかな」
「さっきから名前おかしいよ。熱で頭、やられちゃった?」
体調を崩すと人ってここまで精神的にも弱り、自分の気持ちにも素直になれると今日初めて知った。
「あの、さ。…今日やっと、精市のこと好きなんだって気づいたみたい…私」
「…ふふ、本当に遅いよ。俺なんて中学の時には気づいていたよ。名前への気持ち」
その言葉に思わず「えっ」と精市を見ると、いつもと変わらない顔で私を優しく見詰めていた。
「名前が俺を好きになってくれるまで待とうと思っていたけど、まさか大学生になるまで待つとはね」
「精市…」
「悪い虫がつかないようにするのも大変だったんだよ、名前モテるから。それに俺は名前が風邪を引こうがそんなことで嫌いになんかならないよ。こうして全力で看病するよ、治るまでね」
精市の言葉に目頭が熱くなり、段々と視界が滲む。私のそんな顔を見て精市は、一瞬驚いた顔を見せた後、はにかんだように笑った。
「ようやく俺たち恋人同士だ」
「改めてそう言われると照れるんだけど」
「じゃあ、もっと照れるようなことしてあげようか」
「…え、ちょっと待っ…」
私の言葉になんか耳を貸さず、精市は私にそっと唇を重ねた。
「ずっとこうしたかった…」
瞳を潤ませながらそう言った精市は再び私にキスをする。風邪移っちゃうよ、なんて言う隙も与えずに2度目のキスが降ってきた。夏の訪れを知らせる蝉の鳴き声が遠くで聞こえた気がしたが、それを聞いている余裕は段々と失われていった。