帝都に移り住んでから3ヶ月。着くまでは人の多さに不安を抱いていたけど、ユーリの家がある下町は良い意味でこぢんまりとしていて暮らしやすかった。
ユーリの家は宿屋兼酒場の2階所謂宿屋の1室で、どう考えても一緒に住むのは不可能で。主に私が使わせてもらっていて、本来の家主であるユーリは営業後の宿屋さんの椅子で寝たり他の宿屋行ったりしていた。当初はさすがに気が引けて出て行こうとも考えたが、慣れというものは恐い。1ヶ月もすれば私も特に気にする事は無くなっていた(ユーリと下町のみんなのおかげでもある)。
こぢんまりとした下町に暮らす人々はユーリの言う通りに人情に溢れていて、半引きこもり&人間不慣れな私に対しても良い意味のお節介をたくさんしてくれた。日に日にユーリがなぜ私を連れて来たのか、実感していた。自分がほとんど家に居なくても下町のみんなが私の世話を焼いてくれる、恐らくそんな感じ。
特に不自由無く暮らしていたけど、不安な事はあった。私がユーリの家を使っていると言う事。空き家が無く、どうしようもない現状だから仕方が無い事なのだけど、さすがに若い男性の家を何の関係も無い私が使っているのはおかしい。周りの人もどう思っているか、実際の所はわからない。元来の疑心暗鬼が本領発揮しそうになっていた。そんなタイミングで良い情報が入り込む。別な街に移る人が居るらしく、1部屋空きが出たというもの。女将さん(宿屋の人、ユーリが呼んでたからそう呼ばせてもらってる)から引っ越すかと聞かれて二つ返事で答えた。すぐに引越しの準備(と言っても当初持って来た鞄に収まる程度しか無いけど)をして、家を移った。ユーリは家に居なかったから、少し迷ったけど置き手紙を残して来た。
新たな家は1Kの小さ過ぎず大き過ぎない1部屋。前の人が残してくれた必要最低限の家具に、お風呂もトイレもある。生きていくには十分……そんな考えが出た事に驚いた。生きる気力が無かった数ヶ月前から見ると大きな変化、これもユーリと出会って変わった事。ユーリが居て、話をしているだけで気持ちが切り替えられる。改めてとんでもなくすごい人だと実感していた。
でも、もう関わる事が少なくなるかもしれない。ユーリの家を出た、下町の人達は私の世話を焼いてくれる。それならわざわざユーリが私を構う必要は無い。きっとユーリは心配だったのだと思う。生きる気力が無く自堕落な暮らしをしていた私の事が。彼の“ほっとけない病”が、そんな私を見過ごせなかった。それだけ、でもそれも終わり。とんでもなく大きな不安が襲って来るような感覚がして、胸と胃が痛んだ。
引越しをして早1ヶ月。不自由ない家に、不自由ない暮らし。昔に比べたら上々過ぎる生活を送っていたけど、大きな不安と腹痛は度々襲って来た。その度にユーリに依存をしていた事を思い知らされる。恋や愛なんて綺麗なものじゃない。出会って数ヶ月の歳下の彼に、私はどうしようもなく依存していた。
──まだ世界のどこかを旅してる?それとも帰って来てるけど会いに来ないだけ?
そんな負の感情がぐるぐると回っていた。人を信じない、考え過ぎる私の悪い癖。考えないようにすればする程、頭に浮かんで来る。最初は数分だった不安が、数時間、数日とどんどん増えていく。変わったと思っていたけど根本的なものは何も変わっていない。
その日も日雇い仕事中に頭に突如不安が湧いてきて。痛む腹部を押さえ、俯き加減で帰宅していた。下町の入り口、もう少しで家の前……そんな時に痛みは強くなり思わず立ち止まる。
『どうした、お姉さん。具合でも悪いのか?』
ふと聴こえてきた声に反射的に顔を上げた。やばい、泣きそう。
「ユーリ…?」
『おう。元気だったか……って見りゃわかるな。腹痛いのか?』
「あっ…、ううん。もう大丈夫」
嘘じゃなかった。さっきまで激しい痛みを訴えていたのに…今は痛みが引いている。痛みが消えると同時に、本当に依存していると再認識した。
『ふーん……まあ、平気ならそれで良いけど。ひとまず帰るか、また痛くなるかもしれねぇだろ』
「あっ、待って。違う…ユーリ、私の家こっち」
『ん?へ…?』
「アレ?家戻ってない?私引っ越したの」
『はぁ?いつ?』
「1ヶ月…くらいなるかな」
『1ヶ月…オレそんなに帰ってなかったのか…。ちなみにたった今戻って来たとこ。そしたらユウが居たから声掛けたんだ』
「あー…なるほど。えっと……ごめん。散々ユーリの家使ってたのに何も相談しないで引っ越して…」
『別に謝る事じゃねぇだろ。ユウの事なんだからユウが決めりゃ良い』
「……うーん、…うん」
少しだけ寂しかった。もう私に構わない、そう聞こえた気がした。ただの疑心暗鬼だったのは当時はまだわからなかった。
『なんだよ、その気の抜けた返事。……で、家に上がらせてもらって良いか?』
「え?」
『ダメなら上がらねぇよ。それならどこかにメシでも食いに行くか…って腹痛いんだったな…』
「えっ、いやダメじゃないけど……家に、来てくれるの?」
『ん?そのつもりだけど……オレそんなに変な事言ってるか?』
「あっ…ううん、ごめん。何も変な事言ってない。えっと…それじゃあ、どうぞ…?」
『はは、ぎこちねぇなあ』
「うっ…だって誰も招いた事無いから…」
世話は焼いてくれるけど不要な深入りはしない、そんな下町の人達だからこそ家に不要に入って来る事は無かった。下町の人を見ているとユーリがこう育ったのもわかる気がする。今は違うけど。
『なんつうか……何もねぇな』
「……あんまり女の人の部屋をジロジロ見るもんじゃないよ」
『ん、悪い悪い』
「…まあ、何も無いのは事実だけど」
ベッドに小さなテーブルに椅子が2脚、クローゼットにソファ。どれも前の人が置いていってくれた物。十分揃ってたから私が何か買い足す事は無かった。
「何か飲む?お腹空いてるなら何か作るよ」
『気遣いは要らねぇぞ。それより具合良くないなら休んどけって』
「えー……なら何で家に上がって来たの…」
『ただの好奇心』
「……好奇心だけで女の人の部屋に入るもんじゃないよ、ユーリくん。デリカシー無さすぎ」
いつものしょうもないやり取り。でもそれが心地良い。胸もお腹も痛くならない、不安も襲って来ない。いっそこのまま時が止まれば良いのにって本気で思っていた。
もちろんそんな事はあるわけも無く。数日後ユーリはまた依頼の為に街を出た。その日から始まる不安定な体調と感情の動き。疑心暗鬼が止まらずに、ユーリの言葉を悪い方に悪い方にと捉えてしまう。彼が居ないからと言うよりも、先の見えない関係への不安。関係…私とユーリの関係は何だろうとずっと考えていた。恋人ではもちろん無い。友達にしては歪んでいる。1番的確なのは依存している人とされている人。ユーリからしてみたら迷惑な話だ。何の関係も無い人間から勝手に依存されて重く汚い感情を向けられて。いっそ出会わなければ良かったのかもしれない、そんな事ばかり考えていた。
体調も疑心暗鬼も悪くなる一方で。この日も何とか仕事を終えて、ふらつく足で帰っていた。1歩が重い、いつもの何倍にも感じる帰路。それでも早く帰りたくて急いでいた……それが悪かったのかもしれない。急に目の前がぐらつき思わずしゃがみ込む。心配して近付いて来る人、心配そうに見ている人、たくさんの目に見られている事で腹痛に加えて頭痛すらしてくる。何とか立ち上がらないと、そう思っても力は入らなくて。声をかけられても上手く聴き取れなかった。
「ワンッ!」
人の声をかき消すような大きな鳴き声に思わず顔を上げた。見覚えのある犬……ユーリといつも一緒に居た子だった。私に近付き確認するように匂いを嗅ぐと、また1度大きく鳴いた。
『よくやったラピード。ユウ、大丈夫か?オレが誰かわかるか?』
「ゆー、り…?」
『意識はちゃんとしてるみたいだな。じゃあひとまず家で休ませるか』
ふわりと体が宙に浮いて抱き上げられる……抱き上げられる?抱っこされてるっ!?
「ゆ、ユーリ!歩ける、歩けるから!」
『おっと!おい、暴れんなって!…というより元気じゃねーかっ』
「元気、元気じゃないけど…元気だから…!」
『どっちだよ。ほら、すぐだから大人しくしてろって』
さっきとは違う恥ずかしさ。もう当分外を歩けない、そう思った。
結局部屋まで抱っこされたままで。体調悪い上でひとしきり暴れた私は、ベッドに下ろされぐったりしていた。
「ありえない…いろいろとありえない…」
『ったく…容赦なく暴れやがって…。それで結局今の体調はどうなんだ?』
「…元気…だと思う」
『ふーん……』
さっきの不安は消えた。だけど別な不安が出てくる。またこうやってユーリに依存している。情けなく、不甲斐ない。きっとこの思いが露呈したら彼は後悔するだろう。私なんか助けなきゃ良かった、と。そう考えるとまた不安が溢れて具合が悪くなる。
『オレにはそう見えないけどな』
「……………」
察しのいい彼にバレているとはわかっていた。それならこの一方的な思いも、すぐにバレてしまう。それならいっそこの場で終わりにしてしまった方が良いんじゃないか…そんな思いが出てきた。重く汚い感情で彼に負担を強いるくらいなら……。
『ユウ、相談があるんだけど良いか?』
「は…?相談…?」
言おう、言おうと思いながら言い淀んでいた言葉はユーリの言葉でかき消された。それにしても私なんかに相談って、あいかわらず意図が読めない。もしかしたら私から離れていく為のきっかけかもしれない、それなら私から言い出さなくて良い。そんな狡い事を考えていた。
「相談って…なに…?」
『…………。家賃全額出すから、一緒に暮らさねぇか?』
「はぁ…??」
ユーリが突拍子な提案をする事なんて何度もあった(そもそもこの街に来たのも、それ)。でもこれはさすがに声が出なかった。
メリットは?ユーリに何の得があるの?聞きたい言葉はあったのに上手く言葉が出て来ない。
『やっぱさすがダメか…』
「ダメ!じゃない、けど……」
『けど?』
「…………ユーリに何のメリットがあるの?私だけ得してユーリは損ばかりするよ、きっと」
『先の事なんてわからねぇだろ。それにオレにも得はちゃんとある』
「なに…?」
『それは秘密。今は教えねぇ』
「ええ…絶対に無い。無いからウソついてんだぁ…」
『ウソじゃねぇ、ちゃーんとあるっての。それに一緒に住むっても今までとそんなに変わりねぇよ。オレはどうせほとんど居ねぇし』
「ユーリの家は…どうするの?」
『さすがに一緒の部屋で寝るわけいかねぇし…オレの寝床として、そのままにしておく。何かと使うだろ』
「えー…じゃあ尚更…」
ユーリのメリットが本当に見えない。あるの?本当に?
だけど私にとっては何よりも嬉しい申し出だった。断る理由なんて無い。
『細かい事は気にすんな。それで一緒に住んで良いのか?悪いのか?』
「細かくは無いと思うけど…、うーん……納得いかない部分もある…。だけど…よろしくお願い…します…?」
『よしっ、じゃあ今度からは直接ここに帰って来るからな』
「直接…そうか…。あっ、でも家賃要らないから。ユーリほとんど住んでないも同然だから」
『…さすがに家賃要らねぇは聞けねぇよ。半分は出す。ユウが居ない時に好き勝手するかもしれねぇし』
「えー…………」
『変な事はしねぇよ。だからあからさまに引くんじゃねぇ』
「それならもっと言葉を選んでくれないかなぁ」
『今更だろ』
「今更、だね」
さっきまでの憂鬱な思いも痛みも全て消えていた。結構強引な謎の半同棲生活。それでも不安は無く、その代わりに期待ばかりが溢れていた。
今思うと、きっとユーリは気付いてたんだと思う。私がユーリにどうしようもなく依存していた事を、だからこそ考えた結果の提案だったのだと。ユーリの提案はズバリ的確で、重度の体調不良はすっかり治った。頭の回転が早いのか、ただの行き過ぎたお人好しなのか。どっちにしても感謝しかない。一生分のありがとうでも足りない程の感謝。
数日後、下町の人がネームプレートを作ってくれた。私の名前と下に小さく「Yuri Lowell」の文字。その気遣いが嬉しくて自然と笑っていた。