「………………あれ。」
いない。時間は伝えたし、この会場で試合してからも会ったことあるし、裏口の場所はわかってると思うんだけど。
スマホを開き、今どこですか?と苗字さんに連絡する。
あの日、……苗字さんにキスした日は平常心を保つことで精一杯で、あまり記憶が無い。
出来るだけ平然としたつもりだったけど、苗字さんにどう映ったのかはわかんねぇ。
でも苗字さんの慌てようは尋常じゃなかったから、向こうもあまり記憶無いかもな。なんて考えるとあの日の慌てようを思い出して、笑えてくる。
あの人の一挙一動は面白過ぎる、なんでいっつもおどおどしてんのか知らねぇけど。
姉ちゃんの言った通り、一緒にいるとすげぇ楽しい。
それにすげぇ楽だ、……人と付き合ったことがないから比べようが無いが、たぶん凄く楽な部類に入ると思う。
あとあの人はファンとして真摯で。他のファンの事や、俺の立場まで考えて行動してくれる。その結果は俺から離れることで、……まぁそれは俺が止めてしまったけど。
とにかく良い人なんだ、……綺麗だし。面白いし。
なんて姉ちゃんに話したら、もう大好きじゃないの。なんて言われてキレたのは記憶に新しい。
たぶん……好きなんだろう。間違いなく。
向こうの気持ちはわかんねぇし、本人もわかんねぇって言ってたし。
気長に待つって言ってしまった以上待つしかないのだが、……勢いでキスしてしまうぐらいには好きなので、あまり待てる気がしない。
…………こんな事してる間に嫌われねぇようにしねぇと。
既に苗字さんの中で俺は手が早い男にでも認定されてそうだ、だってあの慌てようだし。……付き合ってもねぇのに。
ガッ!といきたくなる気持ちもあるが、慎重にいかないと手の届かない場所へ行ってしまう。
だからこそあの日からそう言った行為はなんとか踏みとどまっていられてる。ただ会って飯食って、話して。
たったそれだけでもすげぇ楽しいのは、苗字さんだからなんだろう。
今日は何を話そうか、何を聞かせてくれるだろうか。そんな事で笑みが浮かぶのはバレー以外のことでは初めてだ。
なんて苗字さんのことを考えているとついた既読。
そして
『トイレにいます。』
またトイレかよ!?
ぶふっ、と吹き出す。なんでまたトイレ…………そう言えば試合会場でも珍しく姿を見つけられなかった。もしかして腹でも下してんのか?
『腹でも痛いですか?』
『いや、違くて…………。』
『すぐ出て来れそうですか?』
『無理そうです……。』
なんとも歯切れの悪い苗字さんを問い詰めると、なんとも言いにくそうに返ってきた返事に、はぁ!?と声を上げ、
俺は自分のカバンからまだそんなに臭くねぇジャージを引っ張り出して、苗字さんが閉じこもってるトイレへと走った。