トイレの個室に閉じこもり、私は今からミッションに臨まないといけない。
それは、この電話番号を誰にも見られることなく、そして電話相手が影山選手だとバレることなく彼に連絡する事だ。
普段ならそう意識しなくても完遂出来るであろうミッション。しかしながらここは先程まで素晴らしい試合が行われていた試合会場。
そこには勿論影山選手のファンだって多くいて、バレたら何が起こるか。私の骨は残らないだろう。
「ふぅぅぅ…………。」
恐る恐る先程見たショッキングなサインをもう一度見る。
…………電話番号。
後で電話してください。このメッセージを見てからしばらく経った、そろそろ良いだろうか……?
上から誰かに覗かれたりしたら影山選手のプライベート情報が流出してしまうっ…………!!!と言う気持ちから小さくタオルを開いて、携帯に打ち込む。
すー、はー。もう一度深呼吸して通話ボタンをタップした。
まぁまだ忙しくてね、出ないかもしれないし。そしたら向こうからかけ直してくれるよね、とか言ってこれが影山選手の電話かどうかなんてわかんないよね、うんうん。
『もしもし。』
「うっ……!?」
うわああああああああ!!?!?!???
『苗字さんすか。』
「は!!ひゃい!!あ、え、ひ、ひゃい!!」
ほ、本当に影山選手だった……!!!
緊張から一気に手汗が出て、肩もビクビクと震えた。そしてまともに返事なんて出来なくて、叫んだ声は今トイレにいるのだと完全に忘れていて、
「……ふふっ、ひゃい、だってぇ。」
「めっちゃ声でかかったことない?」
ひいぃん!!笑われてる!!恥ずかしい!!…………あれ?スマホの向こうからも笑い声が聞こえるんだけど!?
『ふふっ…………はははは!慌てすぎっすよ、今どこにいるんすか?』
「とと、と、トイレに…。」
『は?トイレ?』
「はい!!トイレにいます!!」
しゅぴーん、と背筋を伸ばして出した声はまたも大きくて。扉の向こうとスマホの向こうではまた笑い声が聞こえた。
◇
「………………迷った。」
裏口って言われたけど、どこ??私ただのバレーファンだし、影山選手のファンだし。知らないっすよ……。
あまりの恥ずかしさから人がいなくなった事を確認してから出たトイレ。あんな恥ずかしい思いしたの久しぶりだ……オタク達にSNSでも笑われてたらどうしよう……。
その後影山選手に指定された会場裏口を目指しているが、館内の案内板を見たところで裏口だなんてご丁寧に書いてない。
それもそうか、こんなところに書いてしまったら選手達に会いたいオタク達が殺到してしまう。少なくとも裏口の存在を知っていたら私ならそうする。
なんてオタクとしての気持ちはわかるのだが、推しの気持ちは全然わからない。
何、飯でもって、な、なんなんですか。お、オタクを弄んで楽しむつもりですか!?………………いや、弄ばれたいとも思ってしまったけれど!!
オタクの性なのか、推しがただただかっこいいのも泣くし、ファンサービスで優しくされても泣くし、妄想の中で恋人にはこんな感じで甘くなるのかな、なんて妄想しても泣くし。
それでもって、ファンを弄ぶような悪いことをされたとしても、それはそれで美味しいのだ。結局推しは正義、何したって推せるのだからしんどい。
でも!!それはそれ!!これはこれ!!
今起こっているのは現実だ、私は今、推しである影山選手にご飯に誘われている。
落ち着け、落ち着け。これは妄想でも夢でもない。………………夢でもない?ほんと?
ぐいいいいっと頬を全力で抓る。いっっった!!?
…………ちゃんと痛い、現実だ。え、え、ど、どうしよう。
ご飯に行って、その後どうするの?と言うか何を話すの!?そ、そもそもなんで私さそわれて、
「……………………ぶふっ。」
「……………………え?」
もう今の状況が何が何だかわからなくて、遂には頭を抱え始めた所吹き出すような声。
声のした方を振り返ると、マスクや帽子で多少なりとも隠れているが、隠しようのないオーラ。そして見間違えるわけが無い私の推し。
「か、影山選手……。」
「すいません、裏口って言ってもわかんないっすよね。」
「う、あ、は、はい。……迷ってました。」
「ですよね、すいません。…………ちょっと前に見つけたんすけど、……な、なんか青くなったり頭抱えたりしてて……面白くて…………ぶふっ。」
口元を抑えて笑われる。え?私影山選手に笑われてばかりでは?この際芸人にでも転職するか??
「…………そ、そんで、ちょっと前から見てました、すいません。」
「え、あ、それは、別に…………影山選手に笑われるなら大丈夫、です。」
むしろ影山選手の笑顔の糧になる事が出来ただけで幸せです。その笑顔を見れただけで私の心臓はえらいことになってます。
「……ちょっ…………また変なこと言わないで下さいよ…………ふふ、あははは!!」
今度は隠すこと無く声を上げて笑われた。下がった目じりは普段凛としている影山選手とはかけ離れていて、幼く見えた。
その普段見られない笑顔に、私の心は勿論鷲掴みされて。どうしよう、どうしよう、かっこよすぎる、心臓がきゅうきゅうしんどい音出してるよ、と慌てるほどだった。
「……はぁ、すいません。苗字さん俺の事笑わせるの得意ですね。」
「え!?そ、そうですかね。」
きっと影山選手からしてオタクの言動が珍しいだけではないかな?気持ち悪がられないだけでも凄いのに、笑ってくれるなんてやっぱり天使だと思う。
「はい。すげぇ笑わされる。…………今から時間あります?あ、帰るのに時間かかりますか?」
「い、いえ。私都民なのでそんなには、」
「え!そうなんすか?じゃあまた会えますね。」
???????
また会えますね?え??
「俺も都民です、今から時間あるなら飯でも行きませんか?」
「ご、ご飯……!?」
ややや、やっぱりご飯行こうって事だったんだ……!!
「はい、……駄目ですか?苗字さんと話したくて、連絡先書いたんすけど。」
!?!?!!??
雷に打たれたような衝撃。
私と、話したくて………………!!?
あなたと話したい。なんて、その、あれだ、それなりに好印象じゃないと言えない言葉だ。
と、という事は、影山選手からして私はそれなりに好印象…………!!?
「苗字さん……?」
「ぅえっ、は、はい!!」
「飯行けませんか?」
「い、いいっ、」
小首を傾げた影山選手に胸打たれながら、どもる自分を叱咤し、
「行きます!!」
そう拳を握って叫ぶと、またも軽やかな笑い声が返ってきた。