「……へっくしゅ!!」
「名前さん、大丈夫ですか!?」
「うぅ……ごめん、大丈夫だよ。」
ズズっと鼻水を啜って、仁花ちゃんに頷く。
10月に入った。夏に比べて段々と冷えてきて、服装の調節が難しい。
部活の時も、今までは半袖でも暑いぐらいだったのに、今では半袖の上に長袖のジャージを羽織っても少し寒い。
「私のジャージ、いりますか!?」
「いやいや!!仁花ちゃん寒くなっちゃうし。……中をもうちょっと着込んで来るべきだった、私の不注意です…。」
「もう結構寒いですもんねー……割と最近まで半袖1枚だったのに。」
「ほんとそれ。今も中半袖しか着てないんだけど、寒すぎ。」
「えぇ!?ジャージの中半袖だけなんですか!?それは寒いですね…。」
仁花ちゃんにも驚かれる。私は10月を舐めていたようだ。
◇
「うぅ……。」
寒い外でキンキンに冷えた冷水を使って、洗い物に勤しむ。寒すぎる……!!
「苗字さん、何か手伝うことありますか。」
「あー……ううん、大丈夫、ありがとう。」
ひょっこり、体育館から顔を覗かせて今日も聞いてくる影山くん。優しい。
しかし、洗い物は大切な影山くんの手を荒れさせてしまうかもしれないので、日頃からお願いしないようにしている。
「他の人手伝ってあげて?」
「わかりました。……手、大丈夫っすか。」
「え?」
「バンソーコーだらけ。」
言われて見る自分の手。至る所に絆創膏を貼っており、綺麗な影山くんの手とは天と地ほどの差がある。
「あぁ、これは……洗い物、部活でもやってるから荒れちゃって。傷が割れて血が出るからその為の絆創膏。」
「……痛そうっすね。」
「毎年の事だから、心配しなくても大丈夫だよ。」
痛いには痛いが、どれだけ保湿を頑張っても追いつかないぐらい荒れてしまう。なので防ぎようがない。
なんて話しているうちに終わってしまった洗い物。
「そういえば、自主練しなくていいの?」
「……キャプテンに休めって怒られました。」
「あららら……。」
確かに最近の彼らはオーバーワーク気味だった。毎日毎日何時間練習してたんだろうか。
代表決定戦まであと少し、大地さんが心配になる気持ちも分かる。
「そっかぁ、じゃあ今日は帰らないとだね。」
「はい。……苗字さんも帰るんすか?」
「うん、今日は田中くん達も帰るみたいだし、自主練に付き合うこともないからね。」
影山くんがオーバーワークだと言われたのなら、田中くん達もそうなのかな。先程今日は自主練無しだから帰れ!と言ってきたのは大地さんからのお達しなのかもしれない。
「…送ってもいいっすか。」
「え!?いやいや、帰って休みなよ。」
「こういう時じゃねぇと、送れないんで。」
何故送ってくれようとするんだ……?
嫉妬。研磨くんに言われた言葉を思い出す。なんてね、そんなわけない。だって嫉妬は好きな人に対してするものだし。
「……わかった、着替えてくるから待ってて?」
「うす。」
もしかして、もしかして。そんな期待はもう止まることを知らない。ただ単に暗いから送ってくれようとしてるだけかもしれないのに。
でも、もし本当にそうだったら、送りますって言ってくれるのももしかしたら、そう考えると途端に綻ぶ私の顔。
もうずっとこのままで良いかもしれない、だって充分楽しい。片想いで充分お腹いっぱい。
気持ちを伝えて、涙を流すよりずっとずっと楽しいや。
◇
「お待たせ!」
「…帰りましょう。」
「うん!」
制服に着替えても冷たい風は変わらないし、着込んでいない私の寒さも変わらない。
「うぅ……寒っ。」
「そうっすか?」
「うん、寒くないの?」
「俺は全然。」
上下黒いジャージを着て歩く影山くん。足の長さが際立ってかっこよすぎる。
「いいなぁ……私は手の先までキンキンに冷えてるよ…。」
「………本当だ。」
え?
じんわり伝わる手の熱。あ、影山くんの手は暖かいんだなぁ。
え?
恐る恐る見ると、感触通りの結果が。大きくて暖かい手に包まれた私のキンキンに冷えた手。
そして何も言わずそのまま、手を繋いだまま歩く影山くん。
待て待て待て、落ち着け。落ち着こう。まるで恋人じゃないかとか考えるのやめよう??
「か、影山くんの手暖かいね!」
「俺は寒くないんで。……苗字さんの手は冷たすぎます、大丈夫っすか?」
「大丈夫……ちょっと今日は着込み忘れちゃって…。」
まさかこんな寒い日になるなんて思わなかった朝の私よ。日中寒くて地獄だったが、帰りには影山くんと手を繋げるなんてラッキーイベント発生したよ、でかした。
「…ジャージいります?」
繋いでないもう片方の手でジャージの襟元を掴む影山くん。
「いやいや!!選手に風邪引かせる訳には!!」
「そんな寒くないですし。あと、もう1枚持ってきてます。」
俺そっち着るんで、これあげます。そう言って手を離して脱ぎ始めた影山くん。
「いや、ありがとう!?わざわざ脱がなくてもそっち私借りるよ!?」
「あー……こっち練習着と一緒にカバン入れてたから、たぶん臭いんで。今着てた方にして下さい。…これも臭かったらすんません。」
そう言ってこの寒空の下半袖1枚になり、私に脱ぎたてほやほやのジャージを差し出す影山くん。
一刻も早く着てもらうため、急いで受け取り腕を通した。
すると先程まで着てたからか、影山くんの温もりを感じる。それに、いつも影山くんが近づくと香る優しい匂いがする。柔軟剤かな…?
それにすっごい大きい。腕の長さが違うし肩幅だって。影山くんが着るとぴったりなのに。男の子なんだなぁ…。
って!!気持ち悪!!
「あああ、ありがとう!!暖かい!!」
「………そっすか。なら良かったっす。苗字さんも風邪引いたらダメっすからね。」
それもそうだ、選手と関わるのに風邪菌を持っていたら危険だ。
「うす……これからは気をつけます。」
「はい。…バス停着きましたね。」
「あ…本当だ。」
「じゃあ、また明日。」
「あ……ありがとう!ジャージ洗って返すね!」
「そのままでいいっすよ。」
「駄目!!洗って返す!」
「……っはは、じゃあお願いします。」
「はい!!また明日ね!」
くるりと踵を返した影山くん。姿が見えなくなったのを確認して、ちょっとだけ、本当にちょっとだけジャージの匂いを嗅いだ。
それは柔軟剤の匂いもあるけど、なんか、……影山くんの体臭も混じっているようで、匂いを嗅いだ瞬間顔を離した。なんか、危険だこれは。
匂いも危険だったが、家に帰った私は姿見で自分の姿を見てしまい、絶句する。まるで彼シャツのようなだぼっとしたシルエット。
影山くんの彼女を疑似体験したような気持ちになり、ときめき過ぎて心臓が苦しくなった。