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▽2022/04/03(Sun)
もう恋はしない/五条悟

 私たちは誰よりも、大切な人を失うことがどれだけ悲しいことなのかを、いつも通りの日々が続くことがどれだけ儚いことなのかを知っている。
 繋がりが強ければ強いほど、失った時の後悔は強くなる。表面上の付き合い、決して超えてはならない一線、私たちが独りを選ぶのはきっとそれが理由なのだろう。


 歳を重ねるごとに他人の葬式に参列することが多くなった。普通に生きている人間からしたら、そういったことを意識し始めるのは60歳だとか70歳だとかそんな歳からだろうけど私たち呪術師はもっと早い。呪術師の最盛期は、いくら呪力で身体能力を底上げしているとは言え肉体の稼働能力が高い20代から30代の間だろう。もともと呪術師の絶対数は少ない。そのためその年代となれば仕事が多く舞い込んでくる。運悪く自分の能力以上に強い呪詛師や呪霊の仕事が来れば死ぬし、一人で最低限仕事が出来るようにならなければ死ぬ。呪術師として独り立ちをしてから脂が乗ってくる20代から30代の間は人がよく死ぬのだ。
 今年何度目になるかも分からない喪服に身を包む。
 会場、と言っても高専構内の一角ではある。お線香のにおいか充満し、同じく喪服に身を包んだ者たちがぽつぽつと参列している。
 棺桶の蓋から故人の顔を見たときに、ああこの人はきちんと身を保って死ねたのだなと思った。呪術師の遺体は呪力への適正がある。そのため呪詛師や呪霊から利用をされないように呪術的な処置が施される。この仕事をしていれば、最期が凄惨であることも珍しくない。全身を潰されてペラペラの紙のようになってしまったり、四肢をもがれてしまったり。最もそのまま遺体を呪霊や呪詛師から持って行かれることもある。人の原型を保っていないようなら棺桶の蓋は閉め切ったままにする。遺体がないなら空っぽのまま、体裁だけの棺桶を葬儀場に置く。今まで何人もの同胞を見送ってきた私なりの呪術師の葬儀の解釈だった。おそらく大体は合っているのだろう。
 仲間の葬儀に参列する度、次は私だと思うのだけれどその次はまだ来ていない。神様がまだ早いよとでも言っているのか、ただ単に運が良いのか。おそらく後者なのだろう。私自身は呪術師として大して強くない。そのため強い相手とは当たる確率が低い。運が良いだけなのだ。
 焼香を終えて椅子に腰を下ろす。
 呪術師は家族と疎遠になっている者が多いため、家族からの遺体の受け取りを拒否されたり、家族と連絡がつかなかったり、そうした場合は高専で葬儀が行われる。火葬をした後の遺骨でさえも受け取りが拒否されれば、高専内にある共同墓地に遺骨が安置される。
 高専で行われる葬儀は一般的なそれよりずっと簡素かつラフだ。お通夜はない。火葬までの間は誰もが焼香が出来る。
 会場の引き戸を引きずる音が聞こえて、誰かが来たのだと思った。コツンコツンと靴を鳴らして来る、その音に聞きなじみがある。その人物は長い長い背を折り曲げて少し長いと感じるぐらいに手を合わせる。彼でも人の葬式にはちゃんとした格好で来るんだ、と少し感心した。葬儀場で彼を見かける度にそう思っていると思う。歩く不謹慎という言葉が彼より似合う人間はまず居ない。
 彼は私の通路を挟んだ隣に腰掛ける。

「お疲れサマンサ。久しぶりじゃない?」
「毎日会ってますよね?」
「#名前#の通勤ついでの挨拶ぐらいでしょ。こうやって話すのが久しぶりだってこと」
「私は話すネタもないですけど」
「つれないね〜」

 焼香が終わった後、何人もの人を見送った。尻に根が生えているかのように動けない。故人を偲ぶ気持ちもある。次は私かもしれないという気持ちも。彼には確か配偶者が居たはずだ。残された人間の気持ち。死ぬときは痛かったのだろうか。そういった複合的な感情がぐるぐると内側を巡って立つ気力がまるで湧かないのだ。
 呪術師は感情的になればなるほど辛くなる。仲間の死を割り切る。自身の死に鈍感であれ。辛い苦しい痛い、負の感情に入り込めば入り込むほど、立ちすくみそうになる。今まで見てきた仲間たちのように死にたくない、そう思えば思うほど体が竦んでしまうのだ。学生の頃は守られていた。今は自己責任がまとわりつく。けがを負っても死にそうになっても助けてくれる人は誰もいない。自分を助けるのは培った経験と技術だけだ。遅かれ早かれ凄惨な死を遂げるとわかっているのに、この仕事を辞めることができないのは、私にその度量も覚悟も無いからだ。呪術師をしている人間がまともに生きられるか
 



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