++SS

▽2017/04/16(Sun)
ハルトと人魚
Who ever loved , that loved not at first sight.

 
「ごめん。こんな狭い場所、君に似つかわしくないとは分かっているのだけれど」

 王子はとんとん、とガラスを叩きました。ガラス越しに王子を見つめ、首を横に振るのは一人の人魚です。彼女は人とよく似た姿形をしていましたが、足に当たる部分にあるのは、太陽の光をかざすと淡く透ける美しい鱗がぴしりと並ぶ尾ひれ。彼女はそれをゆるりと泳がせ、水槽の中をくるりと回って見せます。十分満足しているよ、そう言うようなその行動に王子は口元を緩めて微笑みました。
 部屋の中には暖かな日が差しています。部屋の真ん中に置かれた巨大な水槽の中には、彼女が退屈をしないように海の魚が何匹か。柔らかな海藻や、眠ることに適した滑らかな曲線の流木や石、海と同じように生活が出来るようにと砂利が敷き詰められていました。それらの全ては、王子が彼女のために誂えたものでした。
 ハルトさん、彼女がそう言葉を紡ぎます。好き、屈託のない笑顔でそう言われた王子は俺も、そう緩やかに彼女に応えました。豪華絢爛たる王城での暮らし。人付き合いが苦手な王子はすっかりそれに疲弊していましたが、彼女と出会い、一目で恋に落ちようやく心に安寧がもたらされたのです。国王様やお付きの者の言葉なんて聞こえないふり。人魚と恋に落ちるなど、国の民からもそう噂される始末。王子があまりにも人魚に世話を焼くので、一時の迷いであろうと口々に言われる王子でしたが、彼はいたって真面目でした。香水を身体に塗りたくり、ドレスで身を着飾り、猫なで声で嘘のような本当よりもずっと誇張した話をしてくる女性にはほとほとうんざりしていたのです。彼女からは海のいおいと、抱きしめると仄かにあまいにおい。今まで見てきた女性たちよりもずっと自由で、しっかりと目を見て話をしてくれる。王子はそんな彼女を一等に素敵だと思っていたのです。
 でもこんな所に閉じ込めて置かなくても、どこにも行かないよ。彼女が泡をぷくぷくとさせながら彼に伝えます。一目で恋に落ちたのは彼だけでなく人魚もまた同じなのでした。憂いを帯びた空の色の瞳。毎日のように海を眺める彼に近づいたのはほんの少しの好奇心。彼女は彼の目の前に現れた途端の、少し驚いたように目を見開いて、今までの憂いを帯びた二つの目がきらきらと輝き出したのをよく覚えていました。優しく尋ねる声音や様々なことを教えてくれる彼の知的な内面に惹かれて、姉や父王、海の魚たちの反対を押し切って彼の元へと来たのでした。

「……君が海を自由に泳いでいるのを見ていると、そのままどこか遠くに行ってしまいそうで怖いんだ。そんなことは無いって、分かっているのだけど」

 彼がガラスに手を添えました。彼女もまた、彼に倣い同じように手を当て、にこりと微笑みます。ハルトさんは怖がりなのね、そう囁くように人魚は言いました。
 人魚は王子がひどく寂しがり屋であることを知っていました。もう二度と海には戻ってこれないよ、彼女は海の中、そう引き留められたことよく覚えています。寂しがり屋の彼は、もう二度と海へと彼女を返すつもりがないことを知っていました。君だけを愛している、そう彼女の目をじっと見つめながら彼が柔らかな声音で語り掛けます。彼女もまた、それに確と頷きます。彼が誂えてくれた水槽、抱きしめた時の彼のぬくもり、自分だけに見せてくれる柔らかく微笑む彼の透き通った目を見るのが、とても幸せで仕様がないのでした。




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