++にがてごと/ハルト


 苦手なもの。少し恥ずかしいけれど、野菜は今でも苦手だ。それも青っぽい味と妙な食感のせいで、それでも彼女が工夫をして調理をしてくれているおかげで美味しいと感じ始めた。人が溢れている場所や虫、机に積み上がった書類の束、ちかちかと点滅する電灯や手が凍ってしまいそうなほど冷たい水道の水も。
 挙げてみれば切りが無いほどだけれど。俺が一等に苦手なものは、きっと雷だとそう思う。
 
 


 先ほどからカーテンを閉めた窓の外で、激しい雨だれの音が聞こえ、一筋の閃光が走ってはごろごろという音が鳴っている。テレビの画面の上部には雷注意報という文字が躍っていた。
 雷は苦手だ。良い思い出が無い。雷のせいでパソコンで報告書を打ち込んでいた最中に停電して全てが消えてしまったり、落雷で足止めされてしまったり。でも雷のことで一番記憶にこびりついているのは、幼い頃のそれだ。それのせいで俺は雷が苦手なのだなあ、と今でも感じる。
 
「──珍しいね、雷が鳴るなんて」
「ああ、そうだな……」

 隣に居る彼女が外の方を見遣る。カーテンの隙間からは分厚い雨雲と窓に殴りつけるように降る激しい雨粒が見えた。   
 ごろごろごろ、という雷鳴。閃光と音の感覚から近いところに落ちた、とふと思った瞬間、一筋の光が走り、ばちんと音がして視界が一瞬にして真っ暗になる。停電だ。静寂が辺りを包む。

「……ハルトくん、もしかして怖い?」
「どうして……?」
「ハルトくん、緊張してると指をぎゅって握る癖があるから」

 彼女には何でもお見通しなんだな。大人になってまで雷が苦手だなんて、少し子供っぽいと思うのだけど。苦手なものは苦手なのだ。
 研究員をしていた父と母は家を空けることが多かった。広い家の中、1人で居るのはあまりに寂しくて、あの頃は家に帰ったら最初にテレビを点けていたような気がする。暗くなってから電気をつけて、リビングで父と母の帰りを待つ。そのうち雲行きが怪しくなっていき、雨が降り出す。そしてそうなるとよく雷が鳴る。閃光が走りごろごろという低い音。雷が鳴るとよく停電になって、ばちんと電気が落ちて辺りは真っ暗になり、音さえ何も聞こえなくなる。わずかに自分の呼吸をする音と、窓に叩きつけられる雨音。暗い中1人だけ世界から取り残されるような、そんな感覚。それがいやで仕様が無かったのだ。このままずっとこの暗闇が続いて、もう二度と光を見ることが出来ないのではないかと、そんな気がして。
 
「……雷には良い思い出が無いんだ。小さい頃1人で留守番をしていたときに、雷がよく鳴って。停電をして怖い思いをよくしたから」
「そっか、……でも今は1人じゃないから、大丈夫?」

 彼女が俺の指をぎゅっと握る。それに俺も握り返すと、ね、怖くないでしょ?、と暗いながらも彼女がにこりと笑ったのを声音から感じる。
 ぱちりぱちりと再び明かりが灯り始める。テレビもざざっと一瞬砂嵐が出てから、アナウンサーが一時的な停電を知らせるものに。

「もう少しで産まれるのに、これじゃあ示しがつかないかもな」
「父親の威厳?」
「そう」

 彼女がお腹をさする。その膨らんだお腹に手を添えると、胎動を感じた。もう少しでお父さんになるのに、このままじゃ子供と一緒に雷に震えることになるかも。

「いざとなったら、私が守ってあげるね。だからハルトくんは私の腕の中で震えててもいいよ?」
「それじゃあ虫の駆除もよろしくね」
「うーん、それはちょっと無理」

 くすくすと笑いながら軽口をたたき合う。そうだ、俺はもう1人では無いんだ。もう暗い部屋の中、静寂に包まれて孤独に打ちひしがれることもない。心がふわふわして、浮き足立っている気さえする。温かな幸福に包まれている、そう感じた。






20161124


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