++口づけに毒される/葛之葉雨彦



ちょっと不思議



 毎朝飛び起きるように目を覚ます。薄い唇の感触も、ねとりと口のなかに入ってくる厚い舌の感覚も、あまりにも現実味を帯びている。
 体の調子はすこぶる良い。でも見ている夢が問題だ。プロデューサー、そう声をかけられる度に強く思い出す。思い出しちゃいけないのに。





 まただ。自室では無い部屋。日本家屋の作りをした部屋の中に私は居た。畳のにおいがする。柔らかな羽毛布団を押し退けて、私はゆっくりと起き上がった。左隣にはもう一組の布団。人が眠っていたような跡があるが誰も居ない。いつものことだ。その主はどこにいるのか。薄暗い部屋のなかではあったが、毎日のようにこちらに来ているとなれば、どこに何があるかなど分かりきっていた。磨りガラスが上部に取り付けられた木製の戸を開けると、朝日の昇る直前の、何とも言えない空気が肌を撫でる。薄い橙色と濃紺とが混じりあった空。縁側に佇む、濃紺の羽織と浴衣を着た大きな背中。朝の露木のにおいがした。彼はまだ花が開かない金木犀を眺めていた。おはようさん、低い声が鼓膜を震わす。

「葛之葉さん、おはようございます」
「さあこっちへ座んな」

 彼の言うままに隣に座る。残暑とは言え、朝は冷える。身を震わすと、彼が自身の羽織を私に着させた。葛之葉さんのにおいがふわりと香る。恐ろしいぐらいの現実感があった。

「随分とこっちへ来るのも手慣れてきたもんだな」
「毎日来ていますから」

 くつくつと彼が笑った。葛之葉さんが私の手に自身の手を重ねた。そうして大きな背中を傾げて、私の目尻に口づけを落とす。彼の薄い水色の目が私の目を見据えている。
 彼が後頭から頬にかけてをゆっくりと撫でる。最初の頃はこうやって触れるのにも時間がかかった、と彼が目を細める。私だって自ら進んで彼からの歯が浮くような甘いことばを、まるで恋人同士のような挙動を享受しているわけではない。そうしなければ帰ることができない。否、目覚めることができない。だから私は彼とこうした行為をしている。

「……どうして葛之葉さんは、私の夢に出てくるんですか?」
「いいや、お前さんが俺の夢に出てくるのさ」

 囁くような優しい声音だ。彼は私の唇をついばむ。ちゅ、と軽いリップ音が耳の奥にこびりつくように響く。
 葛之葉さんが私の肩や腰に手を添えて、上半身を反らさせた。押し倒されるような形になる。こうされると私は彼の腕のなかにすっぽりとはまる。まるで恋人同士の情事のようだ。

「私は葛之葉さんの夢の中にいるんでしょう?」
「そうさなあ、俺とこういうことがしたいから?」
「どうしてキス以上のことはしないんでしょうね」

 私が思い通りに出来るなら、これ以上のことをするのに。
 まさか、私が彼の夢の中に出ているとは到底思えなかった。私がこの夢の中で出来ることには制約がある。この部屋の外には出ることができない、彼とキスをしなければ目を覚ますこともない。誰かの支配に置かれているようだ。誰の支配に、それは他でもない葛之葉さんの支配下に、である。この夢の支配権は彼にある。つまりこれは彼の夢の中で、私は彼の目的を達成するために連れてこられているのではないか。それか私の夢に彼が強制的に介入している。そうとしか考えられない。
 葛之葉さんの目が弧を描いた。
 ぬるりと分厚い舌が口のなかに侵入してくる。いつも苦しくて、彼の浴衣の襟を掴むことになる。余裕そうな顔だ。私の反応を逐一楽しんでいるようにも見てとれた。彼の舌が顎の裏を撫でた。私の舌を絡めとるように吸って、歯並をなぞっていく。鼻の空気が抜けていく。頭がぼんやりするのはいつものことだ。彼のキスはねちっこくて、呼吸をする暇がない。唾液と唾液とが混ざる音が耳の奥で聞こえる。どちらともつかない唾液が喉を通っていく。
 彼の大きな手が、私の襟の中に潜った。あ、と声をあげるとくつくつと彼が笑う。ブラを着けてない。胸を包むように触れ、するりするりと下に。帯が緩くとまっているだけ。彼次第ですぐにはだけてしまうだろう。
 ――お前さんが望めば、この先だってできるだろうよ。嘘だ。あなたが望んでいるだけでしょ。ゆっくりと意識が沈んでいく。最後に見えたのは口角の上がった唇だったか。






「――昨夜は眠れたかい?」
「はい大体は」

 嘘だった。今朝の目覚めは類を見ないほど悪かった。そう尋ねられるのも、彼のどのような夢を見ているのか見透かされるようで気味が悪かったのだが、案に私が大きなあくびをしたからただ尋ねただけだろう。あのような夢を見ている以上、眠れないと言うのも癪で嘘をついた。
 今夜はよく眠れるといいな、そう言った彼の口許が弧を描く。夢の中でも見た、あの口許だった。


お題箱より、雨彦さんか桜庭でヤンデレっぽい・桜庭薫か葛之葉雨彦でヤンデレをお願いします・ひたすら雨彦さんとキスする話
20180906


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