しんどさが先立つ
「やば……しんど……」

 名字名前は315プロダクションに腰を据えるプロデューサーである。兼、315プロダクション所属アイドルの活躍を楽しみにする一ファンである。名前がプロデューサーとして彼らを支えることとなったのは、斉藤社長の計らいによるものであった。彼らのファンであることが先立ってプロデューサーをしているわけでは決してなく、彼らをプロデューサーとして支えるうちに、表舞台では明らかにされない彼らの頑張りを見ていくうちにごく自然とファンとなったというわけだった。プロダクションに所属するアイドルたちの魅力を日本中いや世界中の人に伝えたい、そのためには骨を折ることも惜しまないという精神で仕事に当たっている。プロダクションに所属するアイドルは全員推し、最推しはDRAMATIC STARSの桜庭薫である。

「いや普通に考えてこんなの行くしか無いでしょ……え、むり……」

 もはや語彙力の喪失が甚だしい。スマートフォンの画面を見ながら、むりむりと呟く名前に、ユニットの面々も引き気味である。お昼ご飯時、いきなり名前のスマートフォンが震えて彼女が画面を確認したかと思うと飛び出してきたのがその言葉であった。どうかしたんですか名前さん、と柏木が先陣を切って名前に尋ねる。表情豊かな顔が、今は目元が少し下がり、心配そうな表情をしていた。

「……10月の第4週の土曜日、有休使っておやすみしてもいいですかね」
「おいおい名前、その日はライブあるだろ、俺たちの」
「先行抽選のチケットが当たったんです……しかも整理番号が過去類を見ないほど良いんです……これ行かないと後悔します、絶対に……」
「何のライブなんだ」

 ぴきりと三人と一人の間に亀裂が走る。
 三者三様、表情は違えど、自身が担当するユニットのライブを投げ出してまでのことなのかと、表情には苛立ちや怒り、戸惑いが滲んでいるようにも見える。桜庭が名前のスマートフォンをひょい、と取り上げた。それに三人の目が行く。

「……ドラスタの、」

 この日にプロデューサーの仕事投げ出して、三人のライブを客席から見るために有休って無理ですよね、と名前が半ば泣きながら言う姿に彼らの表情が安堵したものに変わる。そうだ名前はプロデューサーでありながら315プロダクションに所属するアイドルたちの一ファンでもあるのだ。プロデューサーとして業務をこなしている間は、そのようなことを微塵にも出さずに真摯に仕事に取り組んでいるので、当のアイドルたちも名前が自分たちのファンであることをたまに忘れる。今は業務から外れた昼休みだからこそ、名前も少し砕けた口調や呼び方で彼らのことを呼ぶが、普段は敬語や名字呼びを崩さない。

「えー! もうやだー! 休みたい! 休みたいです−! ドラスタの活躍を観客席から見たいです!」
「……でも裏から見られますよね?」
「裏からじゃ見られないものだってあるじゃないですか! 翼さんのファンサとか、輝さんのきらきらした笑顔とか、薫さんの最高に決まってるダンスとか! 薫さんの曲中の余裕なさそうな顔とか、薫さんの客席に向けるぞくぞくする目線とか!」
「名前、桜庭だけ妙に多いな」
「最推しなので! あっでもプロダクションに所属するアイドルは全員推しです! 薫さんが少し特別好きってだけです! 他意はありません!」
「そこまできらきらとした目で言われると、恥ずかしくなるからやめてもらえないか……?」

 桜庭が頭を抱えながらそう言う。天道と柏木が苦笑する。彼らにとっては随分と見慣れた光景ではあるが、流石に担当ユニットのライブの日にプロデューサ−が休みを入れることは難しい。そのことは名前もしっかりと心得ているはずだが、当たると思わなかった先行抽選チケット、しかも良番。諦めきれるはずが無かった。ぐぬぬ、と唇を噛みしめる。

「もうやだ……最推しの出るライブに仕事の理由から参戦出来ないなんて生きる希望が湧かない……むり……」
「君、感情の起伏が激しすぎないか?」
「むり……円盤からではなく、観客席から、薫さんの姿を見たい……ドラスタの勇姿を焼き付けたい……生で彼らを見たい……」
「生で見たいって、目の前に居るだろう……」
「ほ、ほんとだ、あ、握手、握手ってできますか?」

 ふるふると震える手で握手を求める名前に桜庭は快く応じる。ぎゅうっと手を握り、名前にとっては永遠とも言える長い時間、実際には短い時間であったが、桜庭の骨張った手を堪能した名前は、うわ1週間ぐらい手洗わないでおこ、とぼそりと呟いた。それにすかさず桜庭がいや洗ってくれ、とツッコミを入れる。彼ら以外の面々は爆笑である。とんだ茶番だ。

「せっかく当たったし、良番すぎるので、全部とは言わないので半分くらい見たいんですけど無理ですかね」
「社長に言えば、なんとかなりそうな気もしなくはないよな」
「名前さん、ライブの時に何回か客席側に行って全体チェックしてたことありましたよね? 上手く行けば前半半分くらいは見られそうだなあって」
「ああ! その手が! 輝さん翼さんありがとうございます! 社長に、直談判してきます」

 善は急げと言わんばかりに、まだ二口やそこらしか食べていないお弁当をそのままに、名前は社長室に向かう。それに三者が止めに入ろうとするが、既に名前は走って行ったのでもう聞こえない位置に居る。以前激務で食事を欠かして名前が倒れた時以来、彼らは名前の食事にいささか厳しいのである。それが彼女が自身たちのために、粉骨砕身したためにそうなったのだと分かっているからなおさらだった。

「名前さんって、オレが言うのも少し気恥ずかしいんですけど、“俺たちバカ”ですよね」
「親バカならぬな」

 まあ俺たちが嫌いっていうよりかは良いと思うんだけどなあ、と天道が言った言葉に二人が苦笑しながら頷いた。
 平素は頼れるプロデューサーでありながら、その実所属プロダクションのアイドルバカ。それも度が過ぎるほど、である。もちろん当人たちとしては嬉しさが先立つのだが、仕事でもプライベートでもここまで全力投球されるとなると、当人ですら引く。それが名前の持ち味であることは理解しているのだが、未だ慣れない三人である。








20170512

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