BASARA×百人一首企画に提出したもの。別名義でpixivにもアップされています。

美しい月だった。朱塗りの盃の水面にも歪んだそれは輝いていた。広い部屋にただ一人、窓の傍で酒を嗜む。こんな月の夜にはただどうしようもなく独りきりでいたくなる。それがどうしてか、自分は何となくわかっていた。

月のような男がいた。月のように美しくて、哀しい男だった。只管に真っ直ぐなその男とは、かつて友という名の関係であった。

「どうしてお前はそう言い方ばかりするんだ?そのままじゃ嫌われてしまうぞ?」
「他人がどう言おうと知ったことか」

周りを気にせず、ただ主君のみを慕い続けた。彼を嫌うものも多かったが、彼を慕うものも少なくなかった。曲がったところのない鋼のよう。自分もまた、彼の人柄に憧れるところがあった。

「あれは月よ、ツキ」
「月?」

彼の友は言う。この友にだけは彼も信を置いている。そしてこの男もまた彼のためにならどんな手も惜しまない。二人の間に何があったのか、詳しいことは知らない。けれど、男のその業と呼ばれ蔑まれる病ですら、彼にとってはどうでもいいことだったのだ。友である男はまた自分に向けてこう言った。お前は大仰な陽光だ。月を照り付けて、その光すら掠め取るような東陽だと。どこか憎々しげだったその声は、後に起こることを理解していたのだろうか。

そもそも彼と出会ったのは、彼が崇め奉る力に屈服したが故だった。彼と友になれたのも、同じ力を信じたからだった。確かにあのころの自分は弱かった。強大な力に抗うこともできずに、新たに拓かれ築かれる日ノ本を見守るだけだった。
小さかった背は大きく伸びた。力を疑い武器を捨て、拳のみで相手を倒すようになった。そうして―そうして、自分は彼を裏切り、絆で日ノ本を結ぶことを決めたのだった。

「家康様」

襖の向こうから家臣の声がする。

「今夜は冷えます故」
「わかっているよ、ありがとう。でももう少し」
「承知つかまつりました」

足音が去っていく。三河武士は結束が固いというのが自分の誇りだった。そしてそれは今でも同じこと。こんな夜に自分がこうなることも彼らは知っている。だから一度だけ、声をかけに来る。心優しい家臣たちだ。酒を呷った。

最後の戦と呼ぶものがいた。天下を分かつ戦だった。東と西、照と凶。ありとあらゆるものたちが己の信念と日ノ本の行く末をかけて戦ったその末に、もう一度彼の男と対峙した。瞳に憎悪を宿し、刀に懺悔を重ねながら男は自分を殺そうとした。そうして自分と男は緋を散らした。
月は西に沈む。彼もそうやって帰泉した。動かぬ骸を前に涙を落としたのは、その日その場所だけだった。友を殺めることになったとして、それでもこの国をと思ったのは自分自身。諸将を労い地を分けて、平和に永く続く時代を目指しあらゆるものを生み出した。
あのころの傷は薄くなり、見えなくなっていこうとする。もう何年も、何十年もたった。民は笑み、各地では友が安らいでいる。自分が表立って差配することはなくなり、位は息子に譲りこの地へ来た。

盃を置いて立ち上がる。漆黒の中に浮かぶそれもまた朧げで美しかった。周りがどんなに曇り行こうとも、そこに凛と在り続ける月。成程言い得て妙なことだ。
こんなに生き長らえ、友や子に囲まれて、平穏な時代に生きられるとは思っていなかった。人質としてたらい回しにされたり、地に伏して泣いたりしたこともたくさんあった。苦しみを乗り越えたその先に見たこれも素晴らしいが、それでも時折懐かしく思い出すのは、背を任せて戦ったあの月の方だった。

「嗚呼、そうだな。もし許されるならまた、お前に会いたいよ」

唇がたった四文字を紡ぐ。それは誰にも聞こえないまま空気に溶けていく。瞳からつう、と雫がしたたり落ちた。


心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな

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情交と街