BARミゼリコルデ。
 意識が曖昧な時間が長いときほど、よくこの文字を目にしている気がする。
 そしてまた今日もこの文字をぼんやりとした意識の中で見つける。経年劣化などしていない美しい銅板に彫られた英字が味を出しているなあ、と何度見てもしみじみ思うのである。
 その銅板がさげられている、銅板とは違って年季の入った茶色い扉を、今日は開けることがなぜかできなかった。
 中にいるであろう赤髪の彼。本当は毎秒でも会いたい相手である彼に、たまにこうして会いたくない気持ちができる時がある。
 それは決まって『仕事』が一人の時に告げられた場合だった。後ろめたさでもあるのか? いいやそれはない。俺は殺し屋だ。彼もそのことを重々承知している。隠したことなど一切ない。なのにどうして?
 悶々としながら、店近くの時計をちらりと見る。約束の時間まではあと一時間ほどあった。彼に会うには十分すぎる時間だった。
 
 ——会いたい。セロくんに。
 
 本心が出たものの、身体は頑なに動かなかった。やはりやめておこう——そう思った瞬間。
 がちゃり。
「うわっ、びっくりした!」
 飛び出してきたのは赤髪の彼——セロくんではなく。紙袋をかぶった情報屋の阿保オットだった。残念に思っていると後ろからひょこりとセロが顔を覗かせたので、俺は後ろに倒れるところだった。
「なんだ、来てたのかよ。どうした? なんか変なもんでも食ったのか? シチュー食うか? 今作ったところなんだが」
 店内から陽気な音楽と共にビーフシチューの良い香りが漂ってきた。ごくり、と喉が鳴る。仕事を告げられた日は極力食べないつもりでいたのだが、今日だけはその決まりも無しにしよう。
「邪魔だ」
「187さんひっどーい!」
 オットの気持ちの悪い声など気にもせず、扉を閉めると扉はぎいいいという不協和音を立てた。これも味があっていいなあ。なんて思っていたが。
「扉、新しいのに替えてもらうんだ」セロくんがビーフシチューを皿に入れながらさらりと言ってのけた。
「えっ」
「だってあんなにうるさいんだぜ? 交換時期かなーと思ってさ。苦情も来てるんだ」
 この良さがわからないとは! 俺は頭を抱えたが、店主が決めたことなら変えられそうにない。
「セロさん、ご馳走様でしたー!」
「おう。またいつでも来いよ」
 オットが手を振り、バケツ頭のアハトが後ろでぺこぺこと頭を下げている。
 扉がまたぎいいいと唸り声を上げた。嗚呼、この音がもう聴けないのか。俺は少しの憐憫を感じながらセロくんの出してくれたビーフシチューに口をつけた。美味い。



>> list <<