top > information >> 閃の軌跡 > ライノの花が咲く頃に

ライノの花が咲く頃に




ふっ、と目の前を花びらが横ぎった。
リィンは思わず手でそれを掴み取る。それはこの季節に花を咲かせるあの木のものであった。


「一気に暖かくなったからな、咲き始めたか」


ふわりと手のひらに収まった花びらを見て思いを馳せる。
士官学院に入学した春も、そして大切なものを亡くして取り戻せたあの春も。この木々は見守ってくれていた。


「トリスタに来るのも久しぶりだな〜」
「あぁ、街並みは全く変わってないな」


ここを巣立ってからもう三年が経っている。それから一度もこの懐かしい地を訪れたことはなかった。
あれからリィンは英雄として。命からがら助け出されたクロウはリィンの人質として。窮屈で憂鬱な日々も去年一区切りを迎え、それから二人は遊撃士としての人生を歩き始めていた。

「ヴァンダイク学院長からの依頼か」
「なんか狙ったような依頼だよなあ」

トールズ士官学院までの道のりを二人並んで歩く。それまでに懐かしいトリスタの住民とも挨拶を交わしたり、キルシェに寄ったりしていく。これもまた依頼主からの要望であった。あれから一度も顔を見せていなかったクロウは予想道理もみくちゃにされ、それをリィンは隣で微笑ましく見守ったりしたのだ。



「久しぶりじゃのう、二人とも」
「お久しぶりです。ヴァンダイク学院長」
「お久しぶりです」


帝国の英雄と反逆の英雄。
灰と蒼を見た学院長は、皺をさらに深めて嬉しそうに微笑んだ。





「何だか学生時代を思い出すな」
「全く、いろんな思い出が有りすぎて何にも言えねー」


ははっ、と笑いながらリィンは懐かしい鍵を開けた。
二人の新米遊撃士に与えられた最初の依頼は、長い間観察対象とされていた旧校舎の調査であった。
ヴァリマールが目覚めてからは大きな異変が起こっていないようだが、魔獣たちは相変わらずのようでその退治も兼ねている。



「クロウ!」
「あぁ!分かってる!」


現れる魔獣は数が多いものの、二人の敵ではなかった。
クロウは遊撃士として、そしてクロウ・アームブラストとして二丁銃を使っている。前衛のリィンとの相性を考えた結果でもあるが、リィンにとって学院生時代に背中を預けていたお金にがめつい、だらしない、そんな慕い続けた先輩を思い出し、心がほわほわとするのであった。


「とりあえず最下層まで来たけれど…」
「どこの仕掛けもあの時のままだな」


ヴァリマールが眠っていた場所もそのまま。毎月のように造りが変わっていた旧校舎の内部は、この隣の男が引き金を引いたあの日のままであった。


「おい、リィン?お前顔真っ青だぞ」
「あぁ、大丈夫だ」
「本当かよ…っておい、何抱き付いてるんだ」
「………」
「はぁ」


ここもダメなのか。クロウは頭を掻きながら天を仰いだ。
リインは自分が裏切ったあの日になると精神的に不安定になってしまう。そして年末の自分が死にかけたあの時に至ってはクロウの傍から離れようとしない。
自分が彼に与えた傷がそれほど大きなものだという事実に心がどす黒い愉悦に満たされるのはこの少年には秘密だ。

リィンは無言でクロウに抱き付いて彼の心臓の音を聞いていた。年末のあの日をいくつ跨いでも、どうしてもあの光景を忘れることが出来なかった。彼が遠くへ行ってしまって、ようやく捕まえたと思ったら、今度は二度と会えなくなるところだった。そう、二度と。
トクン、トクンと響く彼の鼓動に目をぎゅっと瞑り、リィンはクロウから離れる。離れようとした。


「わぷっ、」
「ほーらよしよしリィンくんはまた怖くなっちゃいましたかー?」


頭の後ろに手を回され、リィンはまたクロウの胸板に逆戻りした。さっきよりも早くなった鼓動を感じながら、未だに自分を子供扱いする銀髪を睨み付ける。


「何するんだクロウ!」
「大丈夫だ、もう俺はどこにもいかない」
「………」


具ずる子供をあやすように。優しく髪をすかれてリィンは反論しようと開いた口を閉ざした。
ああ、何でこの男は自分が今一番欲しい言葉が分かるんだ。やっぱり、敵わない。


人は堕ちるという。
堕ちる理由はさまざまで、でも心が闇に負けるのは、自分より大切な誰かを失ったときが多いらしい。もし、もし自分がクロウとエリゼを失ったら。冷たくなる身体をただ見送るしかなかったら。自分は確実に堕ちてしまっただろう。
だから、どこにもいかないと愛しい彼は言ったのだ。


「取り乱してすまない。もう、大丈夫だ」
「んー?予定より早く掃討は終わったし、まだ大丈夫だぜ?誰も見てねぇよ」
「もう大丈夫だ!」


甘やかされている。全く、この糖度は帝国で人気のハニトーですら敵わないものだろう。ああ、安心する。自分はこんなにも弱くなってしまったのか。だから彼に子供みたいに反発してしまうのか。でもそれごと楽しまれているようなのだから何も言えなくなってしまう。


「俺だってお前いなきゃ壊れちまうさ」
「クロウ?……ん、」


目尻に溜まった涙を吸い上げられる。耳まで真っ赤に染まったリィンは再びクロウの胸板にくっついた。頭上からくつくつと彼の笑いを殺した声が聞こえる。
頬を膨らませたリィンは仕返しと言わんばかりに、クロウにぎゅっと抱き付いた。わずかに動揺した彼の気配がして、くすりと笑う。

そしてふと、自分の父親だと言ったあの人のことを思い出した。
銀髪に確かに撃ち抜かれたはずのあの人は、何事もなかったかのように生きていた。もはや人間ではないのかもしれない。だって、自分を置いていったあの人は確かに人であったのだから。もしかしてあの人もまた、何かかけがえのないものを亡くしたのかもしれない。そんなことをぼんやりと考える。


「ん?クロウ?…っちょ!?」
「“誰”のことを考えていた?」
「わ、悪かったって…!ひ、やめっ」


するりと侵入してきた大きな手と耳朶に落ちる口づけの同時攻撃にリィンは情けない声を上げる。誰を思いぼんやりしていたかだなんて、未だに彼には言えない。でも、声のトーンやまるで<C>のような話し方で、これまたクロウには筒抜けだったようだ。お蔭で意地悪いお仕置きを喰らってしまう。
たまに、だがクロウの考えていること、思っていることが手に取るように分かる時がある。エマやセリーヌに聞けば、それは騎士同志の感応現象なのではないかという憶測が返ってきた。クロチルダに聞くのがいいと思うけれど、あの日以来彼女と邂逅していない。

クロウに、誰よりも近い場所にいる。
その事実は空っぽだった自分を埋めてくれる大きな大切なものとなってしまったようだ。自分の心を読まれるということは、普通なら恐怖することだろう。実際、リィンもクロウだからいいのだ。Z組のメンバーやパトリックなら気を遣わせてしまうだろうし、もちろん赤の他人になど絶対に読まれたくない。
クロウだから。彼だけ。まるでうら若き恋する乙女のようだとリィンは心の中で自虐した。


「お前、それ意識してんのか?」
「何がだよ」
「はー、お前はたまに俺を萌え殺させるつもりなのかと疑うわ」
「萌え?」
「ああ、萌え」


クロウを見上げるリィンは目にうっすら涙の膜を張り、薄く開いた唇はまるで誘っているかのようだった。これで本人に自覚がないのだから、無意識怖いとクロウは頭の中で叫ぶ。脳内にちらつくあの男の姿を消し去るように、リィンの首筋に顔を埋める。そのたびに反応を見せる彼は、それが煽っているということに気が付くのは一体いつになるのやら。

時間まであともう少し。もう少ししたら外に出て、夕焼けに染まる懐かしいトリスタへ帰ろう。これからもずっとずっと隣にいよう。そうでなければお互いが堕ちてしまうだろうから。


タイムリミット、と声がして、クロウが離れる。
それになんだか名残惜しい気持ちを抱えながら、リィンは出口へ向かうクロウを追いかける。

扉を開けたその先は、満開のライノが咲き乱れる二人の新しい時間の始まり。