夢の中で会いましょう

っああーーー、疲れた!肩を揉みながら帰り道を歩いて行く。
今日も今日とて残業パラダイス、社畜を極めた私の帰宅時間は日付を超えるか超えないかの間際だった。
はやくあのハゲ上司、不祥事を起こして左遷されないかなとあまりにも不謹慎なことを思いつつ自宅のドアを開ける。

「おかえり、ご飯にするか?お風呂にするか?」

それとも、俺?……とは聞いてこないのは高校時代の友人である降谷零だ。
きっかけはよく覚えていないがある日突然私の家に来て、私の身の回りのお世話をやりだすようになった押し掛け女房ならぬ押し掛け亭主である。

これがまた優秀な男に変貌を遂げており、私への気遣いや料理までありとあらゆる芸を身に着けているのだ。
高校の頃『お前、びっくりすると犬かってくらい口が開いてるから控えたほうがいいんじゃないか?』と言ってきた奴と同一人物とは到底思えない。別に好きで口を開いているわけではないし犬はかわいいから私が口を開けていたとしても許されるはずなんだ。その頃と比べて今の降谷は控えめに言って最高な亭主である。押し掛けだけど。
「ご飯……」と気の抜けた返事をすれば「了解」と控えめに笑って、さり気なく私のカバンを手に取りスーツのジャケットを自然な動作で脱がしていく。

リビングのテーブルに向かえば湯気の立つ温かそうな料理が私のお腹を刺激する。私の荷物を置いてきたらしい降谷が、これまた自然な動作で椅子を引くものだから、私はそのまま席に着席する。
真向かいに座った降谷が、身につけていたエプロンを脱ぐ。えぇ…そのピンクのエプロン、使ったことは一度もないけど私のじゃん…。似合いすぎて気付かなかったが、降谷はここ最近私の私物を我が物顔のように使っている気がする。ピンクが似合うとはなんとも憎たらしい男だ。
箸を手に取り「いただきます」と言えば降谷が「お上がり」と柔らかく微笑む。その姿はまさしく良妻賢母そのものだが、あいにく降谷は女房ではなく亭主であり、亭主どころか友人である。
非常に悔しいことに私はこの目の前の降谷に亭主になってもらいたい意味合いで好きなのだが、ぶっちゃけ降谷が何故ここまで私に尽くしてくれるのかわからないため、世話焼きな友人ポジションを壊せないでいる。

「あぁー、降谷の味噌汁が心に染みる」
「昔から言うことがおじさん臭いんだよ……喜んでもらえて料理人冥利に尽きるよ」
「ガチで降谷ってコックとかやってそう。やってないの?」
「生憎……お前が知っての通り俺は今も公務員さ」

そうそう、降谷は高校を卒業して警察官になったんだった。
町のおまわりさんをしていた降谷を遠くから盗撮していたあの頃も懐かしい。どんなに遠くから盗撮していても、シャッターを押す頃にはこっちを向いていてにっこり悪魔の微笑みを浮かべていたものだから、あのときは軽いホラー体験気分で盗撮していた。

「ところで今日はいつもより遅かったけど、仕事はそんなに立て込んでいるのか?」
「社畜おばさんは上司から引き受けた仕事の処理に追われております。降谷警察官殿には是非とも弊社を取り締まっていただきたいレベル」
「労働基準法違反の取締は俺の管轄じゃないからなぁ……厚生労働省の知り合いにコンタクトを……」
「まってまって、冗談だから!99%本気の冗談だから!」
「それはおおよそ本気じゃないのか?」
「そうとも言う」

至極真面目に言う降谷の顔がおもしろくてゲラゲラ笑えば、少しムッとした表情で「心配してるんだから」と言う降谷。「言ってくれればいつでもお前の会社を潰してやるからな」と笑顔で言われてしまえば、さすがの社畜もきゅんとせざるを得ない。何この押し掛け亭主かっこいい……権力って感じがする……。
権力を振りかざそうとする降谷の話を流しつつ、プロ級の料理を完食すれば次はお風呂に入るよう促される。

丁度よい温度のお風呂に入り、お風呂から上がる頃には疲労の溜まった私の眠気は限界点を突破していた。
ウトウトと髪の毛も乾かさないままソファへ行けば、降谷の叱責が飛んでくる。

「こら、風邪引くだろ!」
「引きませんー。子供じゃありませんー」
「疲れが溜まっているときは免疫機能が低下しているから、少しの油断が体調不良に繋がるんだぞ」

そう言いながら、ドライヤーを持ってきて私の髪の毛を乾かし始める降谷。
動作は大きいものの、私よりも一回りも大きい手が、意外と優しい手付きで髪の毛を梳き手入れしていく。
そうやっているうちに、降谷のゴットハンドのせいで再度強烈な眠気に襲われた私はうとうとと下がってくる瞼と格闘を始めざるを得なくなってしまった。
せっかく降谷が来ているのに寝てしまうなど…!そう強い意志を持って起きようとするが、そんな私の様子にいち早く気付いた降谷に「眠いのか?疲れただろうし、今日はもうおやすみ」と心地よい声で誘われる。
ぽんぽんと頭を寝かしつけるように撫でられていると、いつの間にかドライヤーの音は止んでいて、私の意識は完全に落ちていた。

そして私の意識が完全に浮上した時にはベッドの布団の中で綺麗に横になっている私。
あぁ、また夢が覚めてしまったと落胆する。

ぼやけた頭でリビングへ行くも降谷の姿はない。一人分の、昨日食べた料理のお皿が食卓に並んだままの姿が目に入る。あぁ、洗わずに寝てしまったのかと昨日の自分にうんざりした。


そう、これは私の夢の中の世界である。


*


明晰夢とは、睡眠中にみる夢のうち、自分で夢であると自覚しながら見ている夢のことである。(Wikipediaより)

ある日をきっかけに私は、高校時代の友人である降谷零と過ごすだけの夢を見始めた。
きっかけは些細なことである。女友達とふと何気なく初恋について話していたことが始まりだろうと思う。

『初恋はいつ?』そんなありきたりな問いかけに対して『わからない』と答えた私。恋とは違うが、仲の良かった異性は居たと伝えたのだが、当時の様子を根堀葉掘り聞かれて気付かされたのが"高校時代の友人である降谷に私は恋をしていた”という事実。高校を卒業したのはもう随分と前なのに、29歳にして気付いてしまった初恋に戸惑いを覚えてしまった。そして、ずっと他の異性を好きになれない理由にも気付いてしまったのだ。
そう、私の初恋は未だ続いているのだ。
いつだって出会った男と降谷を比べていた。降谷ならこうしてくれる。降谷ならああ言うだろう、と。

あぁ、そうだ。夢を見始めたきっかけといえばその時友人と居た喫茶店に、降谷に瓜二つな安室という店員が居たことも要因しているだろう。思わず私が「降谷…?」と声をかけてしまうくらいにはそっくりだった。

「降谷…?いえ、僕は安室ですよ。お知り合いですか?」そう物腰柔らかに言う姿は、確かに降谷とは別人のような気もした。いつも私のことをからかってきた少し意地悪な降谷とは違って、安室さんはとても紳士的で優しく笑う人だった。「世の中には自分と似た人間が3人は居ると言いますからね」確かに、と納得の一言だった。

「高校の友人が初恋だなんて、ドラマみたいなお話ですね」

聞いていたのか、と私と友人がびっくりした表情を浮かべたのを見たからか、「すみません、聞こえてしまったもので…」と安室さんが手を合わせて申し訳なさそうに眉を下げた。
静かな店内で聞こえないほうがおかしいだろう。私と友人はお気になさらず、と言った。

「何でもできる人間だったせいで私は今でもあいつ以上の男を見つけることができないんですよ」
「へぇ…まるで今でも気になっているような言い草ですね」
「お恥ずかしながら…私はまだあいつのことが好きなんだと思います」
「会いたい、と思わないんですか?」

「貴女のような素敵な女性なら、今からでも遅くない恋だと思いますよ」そう微笑む安室さん。友人が安室さんに見惚れる気配を察知。わかる。降谷の顔でこんなこと言われたら流石の私もときめきがフィーバータイムに突入している。
「まぁ、もうなんでもいいからとりあえず会いたい気持ちはあります。もう何年も音信不通なので恋とか愛なんてさて置いて、普通に安否が心配です。なんなら当然のように部屋に居て、当たり前のように押し掛け女房でもしていれば安心しますね」購買へパンを買ってこいと当然のように私をパシリに使っていたあの頃を思い出しつつ冗談めかしてそう言えば、安室さんは顎に手を当てて何やら考え込んでしまった。

「どうしたんですか?」

覗き込むように様子を伺うと、安室さんは何か納得したように「いいえ、お話に付き合ってくださってありがとうございます」とにこにこ上機嫌な様子でカウンターへ戻って行った。

*

そして何日か経ったある日、残業三昧でくたくたになった私が玄関を開けるとそこには昼間会った安室さんとそっくりな私の友人、降谷が居た。
え、待って?どうやって入ったの?と疲弊してあまり回らない頭の中で疑問を抱くも、降谷が「久しぶりだな」とツンとした、少し照れたような表情で話すものだから、疑問はすぐにどこかへ飛んでいってしまった。
降谷だ。急に音信不通になってしまったけれど、こんな絶妙に小馬鹿にした表情で私を見るのは降谷だ!と、数年ぶりの再開にときめきと喜びが止まらない。

「ご飯、できてるぞ。それとも風呂にするか?」
「え……これは夢…?社畜の見る夢は明るい………?」
「仕事疲れか?無理はするなよ?」
「うん………降谷が優しくて戸惑っている以外は大丈夫……」
「お前の中の俺はどうなっているんだ」

はは、と私の頭をくしゃくしゃと犬を撫でるように、それでいて優しく撫でる降谷。
夢なのだろうか?そう思うも私に触れる降谷の大きな手は本物だ。混乱を極める脳内だったが、降谷があれこれ尽くしてくれるせいで私の脳は完全に思考を停止して久しぶりの再会を楽しむことに全力をかけるようになっていた。
至れり尽くせりの時間を過ごせば、仕事で疲れていた私は必然的に途中で寝てしまった。薄れゆく意識の中で、起きたら降谷に話したいことがいっぱいある、と色々考えていた。

だが起きてみたらどうだろう。降谷の姿はなく、置き手紙もない。食卓には私1人の食器だけが並び、降谷が居た痕跡は何一つとして無かった。

そこで私は気付いてしまったのだ。これは疲れが見せた夢なのだと。
睡眠を取ってある程度回復した脳で考えてみれば、そもそも私の家の鍵を持っていないはずの降谷が私よりも先に部屋に居ることがおかしい。そして今まで音信不通だったのに私の家を知っているのもおかしいし、ただの友人に夜ご飯を用意してお風呂を沸かし、ドライヤーをかけてくれたりベッドまで移動したり……そんなことをするはずがないのだ。

あの喫茶店の店員があまりにも降谷と似ていたから。高校時代からこじらせて引きずってしまっている恋心を自覚してしまったから。そんな偶然と疲れが引き起こした夢なのだと気付いてしまった。

残念だと思った。降谷と過ごすほんの僅かな時間はとても楽しかったから。夢と気付いてしまってはもう見れないだろう。そう思っていたが、数日後にまた私は同じように降谷が私の家に居て、私のくだらない仕事の愚痴を聞いてくれる夢を見た。そんな意地汚い私のせいで、初恋を諦めることができなくなってしまった。

「どうした?俺の顔になにか付いてるか?」

私の夢は必ず私が仕事でくたくたになった夜、自宅にて待ち構える降谷と何気ない時間を過ごすだけのものだ。夢は潜在意識が見せるものでもあるともいうが、どんだけ私は降谷と同棲したいんだ。もはや結婚願望と降谷への恋心が合体してあらぬ夢を見ているだけな気もする。

「いや、歳を取っても降谷の顔はかっこいいなぁと思ってただけ」

素直に私がそう言えば、頬杖をついてニコニコしていた降谷はきょとん、と固まった後、私から目を少しだけ逸して「相変わらずストレートな物言いだな…」と言った。よく見ると耳が少しだけ赤い。も、もしかして照れた?あの涼やかな顔でスマートに私に嫌味を言ってきた降谷が!?
夢という名の願望と欲望はすごいなと、自身の想像力に関心しつつ「照れた?」とからかえば、降谷は逸していた視線を私に戻してまっすぐと大真面目な顔をして言った。

「お前は大人になって、ずっとずっと綺麗になったよ」

今度は私が照れる番だった。
ずるくない?茶化すように言ってくれれば流せたのに、至極真面目な顔で言われたら、照れるしかなくない?「そういうトコ、ずるい…」と恨めしげに言えば、降谷は大きく口を開けてとても楽しそうに笑った。

「そういえば、この前ポアロって喫茶店に行ってきてね」
「……ん?」
「そこにすごい降谷にそっくりな店員さんが居たんだよね」
「へ、へぇ…」
「本当にそっくりなの。ドッペルゲンガーに会ったら死んじゃうって言うじゃない?だから降谷はポアロには行っちゃ駄目だからね!」

そう言えば降谷はニヤニヤしながら面白くて仕方ないといった風に笑った。

「実は行ったことがある、と言ったら?」
「え…!!安室さんには会ってない!?生きてる!?」
「そうだなぁ、面と向かって会ったことはないな」

含みのある言い方に私はムッとする。私で遊んでいるのがよくわかる悪戯げな表情だ。

そうやってじゃれ合っていれば「もう寝た方がいい。顔色が良くない」と降谷が私を寝室へ促す。ここ最近仕事が片付かなくて忙しかったから疲労が溜まっているのかもしれない。
けれどもう少し私は降谷と話をしていたかった。えー、と抗議の声を上げて軽く抵抗してみるも降谷はため息をつくだけで話に付き合ってくれる様子はない。

「まだ眠くないし」
「それでも、休息は必要だ。倒れてしまっては元も子もない。また、来るから。な?」

私をあやすようにそう言う降谷。子供扱いされた気分になってムス、と不機嫌を隠しもしない表情で降谷を睨みつければ、降谷が仕方ないなといった表情で私の側に来て「う、うわっ」いきなり私を抱き上げた。「暴れるなよ〜」と相変わらずあやすように言う降谷だが、もう子供扱いがどうのこうのと言っている場合ではない。じ、人生初の、お姫様抱っこである!大問題である!

「ふ、ふるや、自分で歩けるから!恥ずかしいからおろして!」
「いいからいいから、甘えとけって」

されるがまま寝室へ歩を進める降谷。背中や膝裏に回された腕は、見た目よりもガッチリしていて鍛えられていることがわかる。細身なのに、筋肉ついてるんだなぁと冷静な私がいる反面、その、降谷とのこれまでにない距離感に心臓がはちきれそうだった。

ゆっくりと優しくベッドに降ろされ、髪を優しく撫でられる。

「毎日仕事、お疲れ様。応援することしかできないけど、お前は本当によくやってるよ」

本当に、まるで私は子供だ。降谷の言葉に涙が止まらないなんて。
泣き顔を見られたくなくて枕に顔を埋める。それがわかっているのか降谷はもう何も言わなかった。
そして、朝になればまた降谷は居ないのだ。それがまた、私の涙を増やしていった。

*

年甲斐もなく泣いてしまった!非常に恥ずかしい。穴があれば頭から突っ込みたい。あれはどういう潜在意識なの?幼児化願望?私はばぶなの?

だが、あの誰にも見せられない(見せる予定もつもりもないが)醜態を晒したあの夢から、しばらく降谷の夢を見ることはなかった。恥ずかしいという思いが夢を見ることを邪魔しているのだろうか?それであれば大変余計なお世話であるぞ潜在意識くん。確かに恥ずかしいと思うけれど、そもそも夢の話であるし夢の話じゃなかったとしても正直降谷に会いたい。好きな人と会えない方が羞恥心を煽られるより辛い。いや、夢の話だけど…。

そんな寂しさから、数少ない休みの日を使って私は降谷のドッペルゲンガーもとい安室さんの居るポアロへ向かっていた。
今日は残念ながらいつもの友人とは時間が合わなくて1人で来ていた。

扉を押して入れば、可愛い寄りの顔立ちの女性が「いらっしゃいませ」と飲食店の常套句を私に投げかける。「お1人様ですか?カウンターにします?」とにこにこ可愛らしい笑顔で微笑む店員さんに「はい、1人です。よければ、カウンター席で」と答えつつキョロキョロと安室さんを探す。

「あー、安室さんなら最近お休みしてるんですよ」

困ったように眉を下げて言う店員さん。
な、なんでわかったのだろう…!?と動揺していると、「安室さんって女性、特にJKに人気なんですよ〜」と笑われた。
あぁ、なるほど。と安室さんの顔の良さから容易に想像できる理由に私も釣られて笑った。JKと同じような行動をしている私とは…。

「あの、この前お友達と一緒に来てた安室さんのそっくりさんのお知り合いがいらっしゃる方ですよね…?」

カウンター席へ座ればそう声をかけられる。

「お、おもしろい覚え方されてますね!?合ってます!」
「ああー!良かった!実は私もお話聞こえてて、密かに初恋の成就をお祈りしてたんですよ〜!」

確かにあの時のポアロは今みたいに人もまばらで静かだったけれど、そんなに筒抜けだったとは…と思い返して少しだけ羞恥心が湧き起こる。

店員さんの名前は榎本梓さんというそうだ。少し幼気な可愛らしい笑顔をコロコロ変える彼女は女性の私から見ても、とても美人な人だった。

「それでそれでっ、安室さん似の彼と連絡は取れました?」
「あはは、取れてないというか取っていないというか……」

まさか夢の存在があるから現実の降谷に連絡は取らなくていいか〜、なんて思っているなんて言えない。連絡を取ってみようとは思うけれど、もう結婚しているなんて言われても燻る初恋は捨てることなんてできないし、ただただ辛いだけだ。

「もし、彼がもう結婚していたりしたら、悲しいじゃないですか」
「それは…確かに…。でも安室さん似なんだとしたら結婚まではこぎつけていない気もしますね」
「え?どうして?」
「だって、安室さんって確かに顔も良くてモテるんですけど、どこか一線引いてるっていうか……女性の扱いに慣れすぎてて逆に付き合いたいとは思わないっていうか……」

うーん、と顎に指を当てながら安室さんのことを分析していく梓さん。ズバズバと言っていく彼女の姿に一種の感動を覚える。そこまで言う?安室さんこの場に居たら泣いちゃうんじゃない?大丈夫?とこの場には居ない安室さんの心配をしつつ、「あいつも色々ハイスペックすぎて釣り合う女の人が見つかってない可能性はあるかも」と笑った。

「スペックは関係ないですよ! あっ、だから相手が見つかるとかそういうわけじゃなくて、なんていうか、自分のステータス目当ての女の人とは付き合わないだろうし、スペックが高いからこそ本当の自分を見てくれるような人とじゃないと一緒にならないと思います!」
「あはは、ドラマの見過ぎだよ〜」
「いやいや!だからこそ高校時代を知っている友人っていうのは強みですよ!」カチャ、と注文したカフェラテを私の前に置きながら力説する梓さん。
「案外、安室さん似の方も初恋を拗らせていたりして!」
「そんなまさか! 拗らせて大変なことになっているアラサーは私だけだよ……」

言葉にすると中々に酷い字面である。
30歳手前になった私はこのままどうやって生きていくのだろう。がむしゃらに働き続けてきたけれど、一生私は1人で生きていくのだろうか。
漠然とした孤独感と焦りに襲われる。私はこのまま、夢の存在だけに縋っていてよいのだろうか。

*

夢を夢だと認識した上で見ることのできる夢―――それが明晰夢だ。

このまま毎日仕事に追われて、結婚相手も見つからなくて、疲弊するだけの日々を送ってどうなるのだろうか。毎日毎日同じことの繰り返し、挙句の果てに今どうしているのかもわからない初恋の相手と幸せな日々を送る夢を見続けている。

ポアロへ行ってからしばらくして、また降谷は何食わぬ顔で家に上がり込んでいた。だが、仕事のことや将来のことを考えてしまって疲れていた私はいつもより言葉数が少なかった。
疲れているから弱気なんだ。そう思っても脳内をぐるぐると回る漠然とした不安や寂しさは拭えなかった。

「降谷はこれからもずっと私と一緒に居てくれるのかな」

そんなことを考えていたからか、口をついて出たものはほとんど無意識のものだった。これは私の夢だから、私の思い通りにできるはず。そうは分かっていても、私は降谷にどう答えてほしいのかわからなかった。

弱々しく吐き出した私の問いだったけれど、降谷は馬鹿にすることなく、茶化すわけでもなく、あの時みたいに至極大真面目な顔をして「俺の命の続く限りはずっと一緒だ」と言った。その声に同情の色は一切なくて、あまりにもその答えが嬉しくて、私はまた泣いてしまった。いい歳の女が恥ずかしい、と思うかもしれないがいっそのこと前回も含めて疲れが溜まりすぎていたのだと言い訳したい。

「ぜったい、私を置いていなくなっちゃ駄目だからね」

私の絞り出すように出た我儘に降谷は返事をしなかった。その代わりに、私の手をぎゅっと強く握ってきた。

「いまの案件が終わったら……伝えたいことがあるんだ」

そう言って、馬鹿力が手加減なしに握ってくるものだから、私はびっくりしてしまった。「もうお前を1人にはしない。それだけしか今は約束できない」どこか苦しげにそう言う降谷。握られた手がミシミシとすごく痛かったけれど、私は何も言わずにその手を握り返した。

*

「……ってことがあって〜。びっくりして返事はできなかったけどもうその言葉だけで幸せ……」

ポアロにて近況報告会を開いている私と友人。
降谷のドッペルゲンガー(仮)である安室さんが居る空間で降谷の話をするのはなんとなく気が引けるが、安室さんを目の保養にしている友人のお気に入りのポアロがいい!と言われては、他に行きたい場所もお気に入りの場所もない私は了承する他ない。

今日は安室さんは居ないようだし……そう思っていた時、「きっと彼は貴女が離れていってしまうことが怖いんでしょうね」と安室さんの声がした。
カウンター席で並んで友人と談笑している間に安室さんが出勤してきたようだ。カウンター越しにニコニコ微笑む彼を見て、なんとなく気まずい気持ちが湧き上がる。

「それで、返事はどうするおつもりですか?」

上機嫌でそう話しかけてくる安室さん。あぁ、途中から聞こえていたのだろうな、と友人と顔を見合わせた私は薄く笑いながら答えた。

「え?どうもしませんよ」

え、と安室さんが低い声で声を漏らす。何その声、こわ…と思いつつも、「どういうことですか?」と続けて聞かれては答えざるを得ない。

「だって…これ、全部私の夢の話ですから」
「は?」

先程よりもずっと、恐ろしく低い声で安室さんが唸る。思わず降谷の姿に見えるほど、機嫌が悪そうだった。

「いやいやいや、そこまで明確に見る明晰夢とか聞いたことないですよ。しかもとても現実的な夢ですし、そのお友達は実際に貴女のところへ訪れていたと考えてよいのでは?」

饒舌に語る安室さんの姿がどこか必死に見えて、少し面白くて「ふふ、」と笑いを漏らす。

「安室さんこそ現実的に考えてください。数年間音信不通で今の家も教えていない友人が私の家を探し出して不法侵入していたら、それって立派なストーカーですよ。通報案件すぎる」

ゲラゲラと笑う私を安室さんは「うそだろ…」とありえないものを見るような顔で見てくる。さっきからまるで降谷のように遠慮のないリアクションを取ってくる安室さんが気になるが、そろそろ時間である。「それじゃ、また来ますね!」と友人と共にポアロに別れを告げる。

友人のお気に入り、とは言ったがなんだかんだ仕事の合間を縫って来ているこの一時が夢の次に楽しみである。夢の中で告白してくれた降谷を思い出して少しだけ胸が切なくなるが、逆にいえば安室さんを見ていると夢を見ている気分になるのだ。明晰夢の次は白昼夢といったところか。次はいつ来れるかな…と仕事の忙しさから若干遠い目になるが、次に心を踊らせて店を後にした。

*

「安室さん……その、大丈夫…?」
「道理ですんなり受け入れるなとは思っていたんだ……まさか夢と思われていたとは……」

カウンターでアイスコーヒーを啜るコナンが、至極呆れた表情をしているのが安室の視界に入る。
呆れたいのはこっちだ。馬鹿だ阿呆だと思っていたが、まさか現実を夢を思い込むほど馬鹿だったとは…。

確かに潜入捜査官として痕跡を残さないよう気を使っていた節はある。彼女に危険が及ばないよう、僕は居なかったものとして彼女の何時も通りの日常を再現していたつもりだ。それがまさか仇になるとは思ってもみなかった。

「それで、どーするの?あの人完全に安室さんのこと夢の住人だと思ってるみたいだけど」
「ははは…どうもこうもないさ…夢から覚まさせてやる」

昼下がりのポアロで、これから覚悟しておけよと心の中で強く誓った安室透、もとい降谷零だった。